昨日の横浜シェア会の写真を、友人もとちゃんから送っていただきました。
そこには、おまけのメッセージが反映されていました
横浜シェア会では、私は途中参加&途中退出でしたので、多くの方とお話しはできませんでしたが
みなさんの献身的な実践の姿には頭が下がります。
お話しできなかったとしても同じ空間に参加させていただきましてありがとうございました
いただいた写真の中央下部に小さな光の粒が12、13粒~見えます。
この光は必要がある時、象徴として現して見せてくれることがあるおまけ(光のエピソード)の一つなのですが
たとえば、昨日の動きの一例で説明すると
自分(自我)の声:「たった今、合宿が終わるところ。私には映像編集の仕事がある。母の介護がある。字幕スーパー入れの作業がある。家事がある。」
などの自我の言い訳を、そっと脇に置いて、淡々とそれについての形のレベルの調整をして
聖霊の声:「横浜・都内方面へ」に従い、その先に何があるように見えようが見えまいが、なにもなかったとしても
「私はあなたに従います。あなたのあとをついてゆきます。どうか私を導きお助けください。」
という意欲をささげ、聖霊の言うままに従う。
その服従の心の状態とは聖霊の光によって、幻想を超えるための導きが加速してゆくのですよ。
ということを示すための、その証しとしての象徴の光の粒だと表現することもできると思います。
そしてその光の粒は、そこに集まっていた兄弟姉妹たちの献身の証しでもあります
で、、
3/5(日)の終わりにブログ記事を書いて、就寝=パソコンの電源をオフにしました。
そして今朝、編集作業をしようとパソコンを起動したら、、、、、、
すべてのデータが消滅してしまっていました(爆)
なにもかも、きれいさっぱり。
編集完了して、またいつでも再編集できるようにと保存していたデータも、なにもかも。
あらゆるアプリも何もかも。
なにもかも、きれいさっぱり。
けど「動画編集ソフト」だけはちゃんと残っています(笑)
聖霊は、ぬかりないですね~。。
映像の元データは、Youtubeやvimeoに置いてあるので不便はないのですが
データの中の何を捨てて、何をとっておくかどうかの自分の選択の余地などなく
あまりに気持ちよいほどに、全削除が起きていまして。。。
デスクトップの画面も、真っ黄色に変更されていまして。。。
「そうですか。そうですか。わかりました。あなたに従います。私にはなにもわかりませんので、どうぞよろしくお願いします。」
そのように申し出るしかありません
全託の心は、過去を振り返らずただそっと、それを置き去りにして後にすればよいわけで
そして現在にのみ佇めばよいわけで
「何一つ、なんにも執着しなくてよいんですよ~~~」
「ね、そうでしょ?」っと、
かる~~~~く全削除して見せてくださったのだな~
そうこの世界はコンピューターのデータそのもので
データがぐるぐる繰り返し反復され使用し続けられていただけなんです。
このコンピューターの全データが、まるっと削除されてしまうことを受け入れてしまえば
もう、夢見は繰り返されなくなります。
「そうしていこうや」
という聖霊のメッセージですね
もとちゃん、なおみちゃん、ちえさん、ありがとう
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社)
T-1.Ⅱ.3:7~9
兄は、より多くの経験をしてきたので尊敬を受ける資格があり、
より大きな叡智があるので、服従を求める資格がある。
彼はまた兄弟であるから愛される資格もあり、
もし彼が献身的であるなら、献身を受ける資格もある。
あなたからの献身を受ける資格を私にもたらすのは、私自身の献身のみである。
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そこには、おまけのメッセージが反映されていました
横浜シェア会では、私は途中参加&途中退出でしたので、多くの方とお話しはできませんでしたが
みなさんの献身的な実践の姿には頭が下がります。
お話しできなかったとしても同じ空間に参加させていただきましてありがとうございました
いただいた写真の中央下部に小さな光の粒が12、13粒~見えます。
この光は必要がある時、象徴として現して見せてくれることがあるおまけ(光のエピソード)の一つなのですが
たとえば、昨日の動きの一例で説明すると
自分(自我)の声:「たった今、合宿が終わるところ。私には映像編集の仕事がある。母の介護がある。字幕スーパー入れの作業がある。家事がある。」
などの自我の言い訳を、そっと脇に置いて、淡々とそれについての形のレベルの調整をして
聖霊の声:「横浜・都内方面へ」に従い、その先に何があるように見えようが見えまいが、なにもなかったとしても
「私はあなたに従います。あなたのあとをついてゆきます。どうか私を導きお助けください。」
という意欲をささげ、聖霊の言うままに従う。
その服従の心の状態とは聖霊の光によって、幻想を超えるための導きが加速してゆくのですよ。
ということを示すための、その証しとしての象徴の光の粒だと表現することもできると思います。
そしてその光の粒は、そこに集まっていた兄弟姉妹たちの献身の証しでもあります
で、、
3/5(日)の終わりにブログ記事を書いて、就寝=パソコンの電源をオフにしました。
そして今朝、編集作業をしようとパソコンを起動したら、、、、、、
すべてのデータが消滅してしまっていました(爆)
なにもかも、きれいさっぱり。
編集完了して、またいつでも再編集できるようにと保存していたデータも、なにもかも。
あらゆるアプリも何もかも。
なにもかも、きれいさっぱり。
けど「動画編集ソフト」だけはちゃんと残っています(笑)
聖霊は、ぬかりないですね~。。
映像の元データは、Youtubeやvimeoに置いてあるので不便はないのですが
データの中の何を捨てて、何をとっておくかどうかの自分の選択の余地などなく
あまりに気持ちよいほどに、全削除が起きていまして。。。
デスクトップの画面も、真っ黄色に変更されていまして。。。
「そうですか。そうですか。わかりました。あなたに従います。私にはなにもわかりませんので、どうぞよろしくお願いします。」
そのように申し出るしかありません
全託の心は、過去を振り返らずただそっと、それを置き去りにして後にすればよいわけで
そして現在にのみ佇めばよいわけで
「何一つ、なんにも執着しなくてよいんですよ~~~」
「ね、そうでしょ?」っと、
かる~~~~く全削除して見せてくださったのだな~
そうこの世界はコンピューターのデータそのもので
データがぐるぐる繰り返し反復され使用し続けられていただけなんです。
このコンピューターの全データが、まるっと削除されてしまうことを受け入れてしまえば
もう、夢見は繰り返されなくなります。
「そうしていこうや」
という聖霊のメッセージですね
もとちゃん、なおみちゃん、ちえさん、ありがとう
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社)
T-1.Ⅱ.3:7~9
兄は、より多くの経験をしてきたので尊敬を受ける資格があり、
より大きな叡智があるので、服従を求める資格がある。
彼はまた兄弟であるから愛される資格もあり、
もし彼が献身的であるなら、献身を受ける資格もある。
あなたからの献身を受ける資格を私にもたらすのは、私自身の献身のみである。
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