冷静になれば誰でもわかること。
自分の命も、人生も
もともと自分で引っ張り出して作り出せたものではない。
現に、自力で心臓を動かせていない私たち
自力で消化吸収していない私たち
自力でまばたきもしてない、排泄物のろ過も自力じゃない
気がついたら、なんだかそれが起きている。
気がついたら呼吸している。
気がついたら新陳代謝している。
幻想レベルの肉体ですら、自力でなんか何一つもできていない。
与えられている。
もうすでに神の摂理が働いているじゃないか。
神の摂理無しでは何もできていないわけで、できているという錯覚・妄想をしていただけだ。
その当たり前をただただ認識したとき、信仰心が芽生えてくるのだろうな。
そっちの方が当たり前だから
もともと神からいただいた授かりものなのだから
いつも常に、神にあげてしまうなんて超絶当たり前のことなんじゃない?
呼吸も、ずっと吸うだけではない。
吸って、吐いて、吸って、吐く
与えられ、それを与え、与えられ、それを与える
それが当たり前。
吸う(与えられる)だけ吸い続けて、全く吐かない(与えない)なんて
真の自然に反していると思うわけで、そうやって不自然を自分でやって自分を苦しませているわけだったんだ。
与えられているそれを、与えるのが当たり前と
純度100%で思い出していきたい。思い出させていただきたい。
与えることは受け取ること。
うれしいな。
I Give My Life to You 🙏
私の命も、人生も、あなたに捧げます。
この祈りに尽きるよね。