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⭐️1月16日(土)真我なるハートグループメッセンジャーで書いたこと
私たちは、この道を
いつも最後尾から歩んでいくくらいの気持ちで歩んでいかないと、、
多分、道をそれると思います。
10年学ぼうが20年学ぼうが、常に最後尾です。
常に一番下です。
一番下で頭を下げて
聖霊に懇願しているから、今この瞬間すでに救い上げられている事実を認識できます。
そこに恩寵があります。
そういう意味で
救済は未来に起きるものではなくて、
最後尾で本当に頭を下げて懇願している「今」に受け取ることができます。
しかし
「恩寵を受け取れるから頭を下げる」のでもありません。
自分には一切の価値判断能力がなく、ガチで何もわからないので、
一番後ろに引き退って頭を低くして
最大級に耳を澄まして尋ねる以外にできることがないから
頭を下げるわけです。
そこで足を前に進める以外に
やりようがない真実に気がつかせてもらいたいと、望むことは大切だろうと思います。
たいていの場合
大きく挫折していたり絶望している時はそれを心から望むし、
最後尾以外に自分の居場所はないと悟ります。
だから
うまく(自分では)実践できないと挫折しているときというのは
分離を信じる心にとっての大チャンスです。
最後尾以外に幸せな場所はないんだなと思う。
ありがたくて幸せな場所。
世界の果ての果ての最後尾。
私たちは、自覚あるなしに関わらず
純粋な非二元じゃなくて
「ニ元があり得る」と信じてるので
この夢を見てるとき
「自分」と「自分の外」ていう2つの振り分けしかないので
自分という存在を自覚している自分とは
最後尾
もしくは一番上
になるんだろうと思います。
理論じゃなくて、その2つのうちのいずれかでしかあり得ないという感覚。
もしも
自分が上(創造主の立場)なら
地獄がリアルで、天国は幻想
自分が下なら
地獄は幻想で、天国はリアル
自分が最後尾で一番下でなければ、幸福は決してありえないというのを教えられてます。
だから、自分という夢見る者と
世界は分離していなくて
一個と計算され
その反対側に見える「実相」と
「夢見の幻想全体」との関係は
自分は
絶対的に最後尾
という話になるんだろう。
だから、自分が自分の外
と思ってるのは
人々じゃなくて
「神だ」ということ。
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