特に、目を開けている間は
もうずっと「これが映像なんだ」ということがバレバレです。
テキストだったか、どのコース関連書籍だったか
Jが、「物の周りに光の縁取りが見えてきたら云々」と言っていたけど
その縁取りのようなものも、焦点を合わせると見えるし
絶えず、粒子がかき集まって映像化しているのも見えてよくわかる。
リアリティが無い。粒子が邪魔です。 笑
(かといって、これが誰にとってもそう見えるプロセスがあるわけでは無いだろうし
これが、目が覚めていってる証拠というわけでもないと思う)
ちょっとしたオマケ現象なんだろうな。
はい。これ映像ですよ~。ね~。
って、いつも教えてくれているような感じ。
この世界の暴露。
宇宙まるごと、本物の世界じゃない。
ただの映像。
映像を、いつまで見続けたいのか?
自分に聞いてみよう。
「おなかいっぱいです~~。わたしはもう、結構です~」 笑
もうずっと「これが映像なんだ」ということがバレバレです。
テキストだったか、どのコース関連書籍だったか
Jが、「物の周りに光の縁取りが見えてきたら云々」と言っていたけど
その縁取りのようなものも、焦点を合わせると見えるし
絶えず、粒子がかき集まって映像化しているのも見えてよくわかる。
リアリティが無い。粒子が邪魔です。 笑
(かといって、これが誰にとってもそう見えるプロセスがあるわけでは無いだろうし
これが、目が覚めていってる証拠というわけでもないと思う)
ちょっとしたオマケ現象なんだろうな。
はい。これ映像ですよ~。ね~。
って、いつも教えてくれているような感じ。
この世界の暴露。
宇宙まるごと、本物の世界じゃない。
ただの映像。
映像を、いつまで見続けたいのか?
自分に聞いてみよう。
「おなかいっぱいです~~。わたしはもう、結構です~」 笑
p54
レッスン15:
私の考えは、
私が作り出した形象である。
1.
あなたが自分の考えは無であると認識していない理由は、
自分で考えていると思っている考えが形象となって
現れるからである。
あなたは自分がそれらのことを考えていると思っており、
だから自分がそれらを見ていると思っている。
このようにして、
あなたは「見る」ようになった。
これが、
あなたが自分の肉体の目に与えた機能である。
それは真に見るということではない。
それは形象を作ることである。
それは見ることのかわりとなり、
心眼(ヴィジョン)のかわりに幻想をもたらす。
2.
あなたが「見ること」と呼んでいる形象作りの
過程を初めて紹介する今日の主題概念は、
あなたにとってあまり意味をなさないだろう。
今あなたが目にしている見慣れた物体の周りが
光で縁取られているように見えてきたときに、
あなたはそれを理解し始めるだろう。
それが真の心眼(ヴィジョン)のはじまりである。
これが起こったなら、
真の心眼(ヴィジョン)が速やかにもたらされると
確信してよい。
レッスン15だったんですねー☆