団塊の世代を中心として高校時代の運動部OBの集まりもあっという間に40年。仕事はまだ現役、もう第ニの人生などいろいろあって第ニ段階に。さて、本日は、仙台に戻って次なる夢の仕事をするんだという吉野先輩を囲んで、少し上の先輩がたも交えて、昔話ではなくかえって未来の話になってきました。
こういう話題をリアルに記すのもどうかなとは思うのですが、まあこういう例も実社会にはあるのだなと。あまりにナマな差し支えがありそうな話、本日不在の先輩後輩諸兄の名誉に大きくかかわる部分の記述は多少差し控えました...
(平成20年2月2日土曜の夜・吉野さん歓迎会)
高14回(昭和37年卒):庄子公侑
高15回(昭和38年卒):佐藤智保
高16回(昭和39年卒):荒井富雄
高17回(昭和40年卒):吉野俊彦
高20回(昭和43年卒):加賀谷秀樹、陳(江川)春渕、早坂栄二、佐竹則和
高21回(昭和44年卒):郡山勝英、大内悦夫
高22回(昭和45年卒):櫻田芳宏
(吉野先輩:右)大きな自動車会社(女子高生いすぶとか読むトコ)に三十数年、定年六十歳引きとめられはしたがこのままの延長線でいいのかと。入ってから気がついたが、自分が不得意な緻密なコンピュータのシステム部門。かといって、やめる勇気もなく、バレーでやってきた人の気持ちを大事にしてのチームワークは財産になって役立ったけど...
さて、いったい自分は何がやりたかったかなあと...
そうだ、ほんとは電気自動車だ、あそこではでんき?、電装ならねえだった...
一昨年同期会で仙台にきたとき、バレー時代からの友人下永君が、エコモービルでがんばってた。自分の会社もつくってはいるが彼のトコにも関係させてもらって、仙台に去年の秋にもどった。また、みなさん、よろしく。
住所が元茶畑?ハハハ、昔からオレはあそこよ、地番は入り組んでるが一高の町内だな。
(庄子先輩・14回:中央)
チャバタン(一高付属の補講科)にいったから、バレー部の新入生で馬力あるの入ってきたなと分かった、それが吉野君。
そして茨大でもいっしょ。このひとは自炊で料理もうまくて、よく飯食わせてもらったよ。オクさん、茨城カツラ村の出、田舎だべとからかってたらこれがミスいばらきというか、高島礼子というか...結婚式にもださせていただいて吉野君とは、ずっと長いお付き合いさせてもらっている。
東洋刃物、産業用刃物の会社だ、鋼で鉄を切るような工業用刃物だね。もともと東北大金研の本多光太郎先生の成果を生かしてのモノ作り、極寒のシベリアでも折れない軍刀など!からだ。
だから技術と品質が誇りよ、それにうちは、人を大事にしましてね。家族的でネ。ITなんかのシステム化みたいなわからん案件でも、ひとの繋がりと信頼もだいじなことだな。
(佐藤先輩15回:左端)
おれの15回あたりは、入った時から不作の年だ下手だと先輩がたに言われつづけ、確かにヘタだったよな。エッ、あのモリヤクン?同級だ、彼はボート部だった。なんでああまでね~。
バレーのほうは、あんまりだから杉原なんかは頭にきて、ひとつここは頭と技術でカバーすっかと。(慶応に行った)義憲もバレー誌を読んで、まずは基礎体力つけてと、広い校庭でウサギ跳びを延々と...庄子センパイのころから、バレー界は六人制にかわってきていた。アンダーパスや、ホールディングの厳しさがちがう。日紡貝塚がきて、河西さんなんか見てると、今までのレシーブと全然違う。おっとカッコつけるためにころぶのかな、回転しても拾わなければハナシにならぬ、こっちは屋外コート、土の上だよ。拾い捲って誰か打ってくれ、やっと村田とか後輩にアタッカが入ってきて、インターハイまで行けた。
(荒井先輩16回:右端)
昨年暮れ、主治医の陳のとこで診てもらってたとき、吉野が帰ってきたから歓迎会やるか、あッそッそッ、となってね。あの時、ちょうど加賀谷も診てもらってたっけ。それで今日の集まりになったが、先輩がたにもお声かけました。
わたしのときは最後の学年では総体も優勝したが、二次予選では不覚インタハイはいけなかった。体力あるほうでなかったから、入った時もうすぐやめるかなという気にもなったが、がまんしてやってきた。(荒井く~ん、女にしたらカワイイ子だったなあ、でも、あんた男だったよ、と庄子さん)
(アタッカーなんてわがまま。オレ、オレにあげろなんて、陽もあたるし。でも荒井さんや小さかった高倉さんも、そうでないとこで我慢して鍛錬した人なんですねえ...と吉野さん)
県庁入って衛生看護学院・微生物、検査技師育成など、教育にも携わった。もう今年の学生はみな平成生まれ、さて、ゆとりの教育よかったのだろうかなあ?そうとう学力が落ちてきたな。高校出たはずなのだが、割り算ができない。%というのがわからない。110/100など過分数となると、もうお手上げ。
(下永先輩・17回:左端)
仙台ニ中のバックセンで主将、一高では入ってすぐの1年生の身ででインターハイに出してもらえたが、160㎝じゃ六人制で通用しないと、そうそうに見切りつけてヨット部にいってしまった。ディンギーやスナイプ級でインタハイつかんだけど、こんどは骨折して出らんなかった。みなさんのバレー部は中退しちゃったけど、これを機会に(バレー部OBの)一球会に入れてもらえるかな。
早稲田理工出て紡績会社修行後オヤジのクルマの整備会社大きくして機械メンテなど、ん十億までの規模にしたが、バブルでつぶしてしまった。
でも電波高専との産学連携やエコな電動バイク&トライクの開発販売「イーモービル㈱」会長として、吉野君にも関連のトコの代表者にもなってもらって、新たなチャレンジで頑張ってる。
(吉野さ~ん、電気自動車なら、清水さん? )
・おお、それでね、下永くんといっしょに清水くんのトコにいってELICAに乗っけてもらって。すごかったね。清水さんと呼んだら「吉野さんから、さん、づけでよばれても…」だと。)
(男女別学について)
・イバ大での付合いで水戸一高のバレー部OBとも付き合いがある。アチラは男女共学になって久しいからOB会には、女子マネやったかたまで出てくる。こっちもそうなると、ちょっと「戸惑い」があるなあ...
・今の現役は、女子マネいるトコを羨ましげに見てたりするよ...
・男女別だった宮城県というとこも、そろそろ共学化。でも、学校の個性といろんな選択肢は残すベキだと思うのだけど...
・小子化、統合...共学は流れだよ。ムコウの方がやるべきとの理屈は多い。古きよき伝統を残せのノスタルジーだけではとおらんだろう...
・でも、仙台じゃ北の方が生徒も多いし、二高、一女はこんど宮城一高、いまでも、もう3番目なのか?
(覇気について)
・バレーでも、シード校ぐらいに入ってくれないとなあ...勝てる時でも「お付き合い」して負けてしまう...なにかが足りないんだよなあ。
・吉野さん三年のときは、前年国体・新人戦優勝の優勝候補・仙台工を相手に気力で総体準決勝に勝ちあがった。むこうは実力数枚上だったが二年主体のチーム、オレは3年やってきた、負けられるか。
奇跡の試合だった。身長172㎝のエース吉野は、一本毎のアタックすべてを今でもコースまで思い起こすことができる。オレにもってこいと全部のスパイクを決めた。ミスはたった1本だけだった。相手のブロックは眼の下にしか見えなかった。(中学3年だったボク。仙商体育館でのあの試合は同級生が見て来て、一高はアタマだけじゃなくてバレーもすごかったと。)
・おっと現仙台商校長が東京での校長会終わって駆けつけた。大内先生ひとこと。
「ん、センパイにお世話になってもお返しなんか要らないから、それは後輩に返してやんなくちゃあ」
(若手漫才日本一「サンドウィッチマン」は、仙台商のラグビー部出身。去年までは暇なので母校文化祭でも小遣い程度の謝礼、今年はもはやスケジュールぎっしりとか。若い女のコに媚びないタイドがよいらしい)
吉野さん、加賀谷みたいに58歳のいままでも、茶畑の一高の体育館バレー部の孫みたいな後輩の前に姿を見せましょうか。(ついコートに入ってしまいそうだ、との声)ともあれ、助走をつけた少しブロード気味のジャンプ・第2段ロケットに点火した吉野先輩のご活躍を祈る。
こういう話題をリアルに記すのもどうかなとは思うのですが、まあこういう例も実社会にはあるのだなと。あまりにナマな差し支えがありそうな話、本日不在の先輩後輩諸兄の名誉に大きくかかわる部分の記述は多少差し控えました...
(平成20年2月2日土曜の夜・吉野さん歓迎会)
高14回(昭和37年卒):庄子公侑
高15回(昭和38年卒):佐藤智保
高16回(昭和39年卒):荒井富雄
高17回(昭和40年卒):吉野俊彦
高20回(昭和43年卒):加賀谷秀樹、陳(江川)春渕、早坂栄二、佐竹則和
高21回(昭和44年卒):郡山勝英、大内悦夫
高22回(昭和45年卒):櫻田芳宏
(吉野先輩:右)大きな自動車会社(女子高生いすぶとか読むトコ)に三十数年、定年六十歳引きとめられはしたがこのままの延長線でいいのかと。入ってから気がついたが、自分が不得意な緻密なコンピュータのシステム部門。かといって、やめる勇気もなく、バレーでやってきた人の気持ちを大事にしてのチームワークは財産になって役立ったけど...
さて、いったい自分は何がやりたかったかなあと...
そうだ、ほんとは電気自動車だ、あそこではでんき?、電装ならねえだった...
一昨年同期会で仙台にきたとき、バレー時代からの友人下永君が、エコモービルでがんばってた。自分の会社もつくってはいるが彼のトコにも関係させてもらって、仙台に去年の秋にもどった。また、みなさん、よろしく。
住所が元茶畑?ハハハ、昔からオレはあそこよ、地番は入り組んでるが一高の町内だな。
(庄子先輩・14回:中央)
チャバタン(一高付属の補講科)にいったから、バレー部の新入生で馬力あるの入ってきたなと分かった、それが吉野君。
そして茨大でもいっしょ。このひとは自炊で料理もうまくて、よく飯食わせてもらったよ。オクさん、茨城カツラ村の出、田舎だべとからかってたらこれがミスいばらきというか、高島礼子というか...結婚式にもださせていただいて吉野君とは、ずっと長いお付き合いさせてもらっている。
東洋刃物、産業用刃物の会社だ、鋼で鉄を切るような工業用刃物だね。もともと東北大金研の本多光太郎先生の成果を生かしてのモノ作り、極寒のシベリアでも折れない軍刀など!からだ。
だから技術と品質が誇りよ、それにうちは、人を大事にしましてね。家族的でネ。ITなんかのシステム化みたいなわからん案件でも、ひとの繋がりと信頼もだいじなことだな。
(佐藤先輩15回:左端)
おれの15回あたりは、入った時から不作の年だ下手だと先輩がたに言われつづけ、確かにヘタだったよな。エッ、あのモリヤクン?同級だ、彼はボート部だった。なんでああまでね~。
バレーのほうは、あんまりだから杉原なんかは頭にきて、ひとつここは頭と技術でカバーすっかと。(慶応に行った)義憲もバレー誌を読んで、まずは基礎体力つけてと、広い校庭でウサギ跳びを延々と...庄子センパイのころから、バレー界は六人制にかわってきていた。アンダーパスや、ホールディングの厳しさがちがう。日紡貝塚がきて、河西さんなんか見てると、今までのレシーブと全然違う。おっとカッコつけるためにころぶのかな、回転しても拾わなければハナシにならぬ、こっちは屋外コート、土の上だよ。拾い捲って誰か打ってくれ、やっと村田とか後輩にアタッカが入ってきて、インターハイまで行けた。
(荒井先輩16回:右端)
昨年暮れ、主治医の陳のとこで診てもらってたとき、吉野が帰ってきたから歓迎会やるか、あッそッそッ、となってね。あの時、ちょうど加賀谷も診てもらってたっけ。それで今日の集まりになったが、先輩がたにもお声かけました。
わたしのときは最後の学年では総体も優勝したが、二次予選では不覚インタハイはいけなかった。体力あるほうでなかったから、入った時もうすぐやめるかなという気にもなったが、がまんしてやってきた。(荒井く~ん、女にしたらカワイイ子だったなあ、でも、あんた男だったよ、と庄子さん)
(アタッカーなんてわがまま。オレ、オレにあげろなんて、陽もあたるし。でも荒井さんや小さかった高倉さんも、そうでないとこで我慢して鍛錬した人なんですねえ...と吉野さん)
県庁入って衛生看護学院・微生物、検査技師育成など、教育にも携わった。もう今年の学生はみな平成生まれ、さて、ゆとりの教育よかったのだろうかなあ?そうとう学力が落ちてきたな。高校出たはずなのだが、割り算ができない。%というのがわからない。110/100など過分数となると、もうお手上げ。
(下永先輩・17回:左端)
仙台ニ中のバックセンで主将、一高では入ってすぐの1年生の身ででインターハイに出してもらえたが、160㎝じゃ六人制で通用しないと、そうそうに見切りつけてヨット部にいってしまった。ディンギーやスナイプ級でインタハイつかんだけど、こんどは骨折して出らんなかった。みなさんのバレー部は中退しちゃったけど、これを機会に(バレー部OBの)一球会に入れてもらえるかな。
早稲田理工出て紡績会社修行後オヤジのクルマの整備会社大きくして機械メンテなど、ん十億までの規模にしたが、バブルでつぶしてしまった。
でも電波高専との産学連携やエコな電動バイク&トライクの開発販売「イーモービル㈱」会長として、吉野君にも関連のトコの代表者にもなってもらって、新たなチャレンジで頑張ってる。
(吉野さ~ん、電気自動車なら、清水さん? )
・おお、それでね、下永くんといっしょに清水くんのトコにいってELICAに乗っけてもらって。すごかったね。清水さんと呼んだら「吉野さんから、さん、づけでよばれても…」だと。)
(男女別学について)
・イバ大での付合いで水戸一高のバレー部OBとも付き合いがある。アチラは男女共学になって久しいからOB会には、女子マネやったかたまで出てくる。こっちもそうなると、ちょっと「戸惑い」があるなあ...
・今の現役は、女子マネいるトコを羨ましげに見てたりするよ...
・男女別だった宮城県というとこも、そろそろ共学化。でも、学校の個性といろんな選択肢は残すベキだと思うのだけど...
・小子化、統合...共学は流れだよ。ムコウの方がやるべきとの理屈は多い。古きよき伝統を残せのノスタルジーだけではとおらんだろう...
・でも、仙台じゃ北の方が生徒も多いし、二高、一女はこんど宮城一高、いまでも、もう3番目なのか?
(覇気について)
・バレーでも、シード校ぐらいに入ってくれないとなあ...勝てる時でも「お付き合い」して負けてしまう...なにかが足りないんだよなあ。
・吉野さん三年のときは、前年国体・新人戦優勝の優勝候補・仙台工を相手に気力で総体準決勝に勝ちあがった。むこうは実力数枚上だったが二年主体のチーム、オレは3年やってきた、負けられるか。
奇跡の試合だった。身長172㎝のエース吉野は、一本毎のアタックすべてを今でもコースまで思い起こすことができる。オレにもってこいと全部のスパイクを決めた。ミスはたった1本だけだった。相手のブロックは眼の下にしか見えなかった。(中学3年だったボク。仙商体育館でのあの試合は同級生が見て来て、一高はアタマだけじゃなくてバレーもすごかったと。)
・おっと現仙台商校長が東京での校長会終わって駆けつけた。大内先生ひとこと。
「ん、センパイにお世話になってもお返しなんか要らないから、それは後輩に返してやんなくちゃあ」
(若手漫才日本一「サンドウィッチマン」は、仙台商のラグビー部出身。去年までは暇なので母校文化祭でも小遣い程度の謝礼、今年はもはやスケジュールぎっしりとか。若い女のコに媚びないタイドがよいらしい)
吉野さん、加賀谷みたいに58歳のいままでも、茶畑の一高の体育館バレー部の孫みたいな後輩の前に姿を見せましょうか。(ついコートに入ってしまいそうだ、との声)ともあれ、助走をつけた少しブロード気味のジャンプ・第2段ロケットに点火した吉野先輩のご活躍を祈る。
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