気ままな歳時記(その2)

気ままな歳時記の続編です
Sonyα6500とRX100M7で撮った写真で,日々の事や昼飯を気ままに綴っています

映画『無伴奏』を観てきました

2016-04-25 21:07:06 | ときどき映画
 『無伴奏』は、作家の小池真理子さんの自伝的な小説が原作となっていて、1969年から1971年の仙台が舞台となり、その名作を映画化したというので、私の母校である仙台二中の近くにある仙台フォーラムまで行って来ました。

 70年安保の時は、仙台の街も東北大学生を中心にデモなどが盛んに行われていましたが、当時は高校生のみならず中学生まで参加していたのを覚えています。

 その当時、「宮城県第三女子高校(宮三女)」で「制服廃止」の運動が行われていたことをこの小説を読んで初めて知ったのですが、そういえば、1973年に「宮城第一女子高校(宮一女)」で制服が廃止されてので、「宮三女」でもそういう運動があっても不思議ではありませんね。

 その当時は、喫茶店=タバコ=不良という図式が出来上がっていて、喫茶店に入ることは希でしたが、「詩仙」「白雪」「ビートルズ」という店には入ったことがありますが、知ってはいましたが『無伴奏』には足を向けたことがありませんでした。

 中学・高校時代は、ロックなどの洋楽しか聴いたことがなかったので、『無伴奏』には縁がなかったのですが、今回の映画で店の内部が忠実に再現されているということなので、注意深く興味を持って観ていましたが、昔はこんな感じの喫茶店が多かったのかと思いました。

 2011年10月23日に、小説の無伴奏についてブログに載せていますが,小説では「カノン」についての記述が主体ですが、映画ではチャイコフスキーの遺作である交響曲第6番「悲愴」が印象的に使われています。
 「悲愴」は、チャイコフスキーが死の恐怖に苛まれながら書いたと言われていて、そのチャイコフスキーも同性愛者だったということなので、作家が意図的にこの曲を使った気もします。

  「アンニュイ」と言った言葉がピッタリするような『無伴奏』の中にいる人は、1970年の学園紛争に参加しない日和った学生が集まっていて、その中に高校で「制服廃止」の運動をしていた主人公の“響子”がいました。

1970年というと、大阪で開催された「万国博覧会」の“太陽の塔”と壮絶な自殺を遂げた天才作家である“三島由紀夫”が頭に浮かびますが、私自身は将来に漠然とした不安がありましたが、毎週末放送される東北放送ラジオの「AMO」を聴くくらいが楽しみでした。

仙台の普通高校は全て私服だった中で、女子高校でもそれに追随する風潮があったとは気づきませんでしたが、その活動に身を投じる“響子”と,異性も愛せる同性愛者を、今、理解するのは難しいのですね。

 1969~1971年の学生運動・ヒッピー・長髪・ミニから1972年の浅間山荘事件・札幌オリンピック開催・日本列島改造論・日中国交正常化という時代背景を思いだしながら、この映画を観ていて、不思議な気持ちと雰囲気になり、映画の中の仙台に入っていく気持ちになりました。

 小説の『無伴奏』をどう描いているのかが、観る前は興味がありましたが、映画を観進めていくうちに、そんなことよりも、この時代の雰囲気に段々とのめり込んでいって、映画は最後を迎えました。

 当時の仙台の街の雰囲気が良く出ていたと思うし、ちょっと激しい性描写が気になりましたが、良い意味でも悪い意味でも45年前を思い出させさてくれる映画でした。

 小説では,「悲愴」は「ムラヴィンスキー指揮・レニングラードフィル」の演奏でした
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2 コメント

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思い入れ? (外野の住人)
2016-04-26 06:49:31
今回はnowhappyさんの青春期の話とあって、思い入れが強い感じですね~
喫茶店の名前も懐かしい~
自分の高校は制服でしたが、宮一女高以外は制服と思ってました
僕らの時は学区制が敷かれ、北側の高校受験はなく、制服もブレザーに代わり始めたときでした。
今思うと懐かしいですね~
でも、ほとんど記憶が……
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re:思い入れ? (外野の住人) (nowhappy)
2016-04-26 20:01:55
 外野の住人さん,コメントありがとうございます。
 学区制という言葉が私の時はなかったのですが,ブレザーを見たのは高校3年の時泉高校が初めてでした。
 汚いジーパンとTシャツで通学していた自分たちと比べて,違いを痛感したものです。
 雨が降ると白衣を着て帰ったものですが,その当時の服装はひどいものでしたね。
 試験を受けなくていい時は,何時なのかと思いながら,仕方なく大学受験勉強をしていましたが,今になってみると,試験という言葉自体が郷愁を帯びていて懐かしいですね。
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