芦ノ牧温泉からの帰りはお決まりのコースでしょうか、会津西街道の宿場町です。
「江戸時代、会津若松と日光、今市を結ぶ会津西街道は重要な幹線道路で、大内宿は
その宿場町として整備されました。中枢には、本陣や問屋本陣が設置され、大変重要な役割を果たして居ました。
本陣は大名の宿舎となるもので、防備のための工夫が有り、身分の高い人のみが出入りする
乗込み「玄関」や雪隠「便所」、風呂が置かれていました。当時の輸送は宿場ごとに荷物を
馬に付け替えて運んでいました。その中継地点が問屋だったのです。馬と人足の手配は問屋本陣に
とって大変重要な役割でした。大内宿には江戸時代の問屋本陣の建物は残っては居ませんでしたが、
大内宿保存にとって大変重要な課題であるとして、下郷町で復元しました。しかし当時の図面の記録が
ないため、同じ会津西街道の川島本陣と糸沢本陣を参考に設計され、当時の面影を忍ばせて居ます。
「大内宿町並み展示館」パンフレットより
大内宿の全景です、一部の茅葺屋根がトタンに成って居る
家も有りました、茅葺の吹き替えも材料や工事人の不足で
ままならなくなる時も有る事でしょう。この付近は豪雪地帯の
ようです、今は雪解け水が細い溝をとうとうと流れています。
綺麗で冷たく洗いものや、物を冷やすことに大いに利用されて居ます、
この家に住みながら商いをしています、高齢者が多いです。
何時までも残してほしい環境保存願いたいものです。
本陣の内部です、管理人さんが薪を燃やして居ます、暖を取ったり
煮物をしたり、煙が柱の長持ちになるコーティングの役目も
するようです。内部の部屋を見学して来ました、
お殿様が泊まる時にのみ使用される家です、土間が広くて台所物置や馬
屋等も有ります。部屋は囲炉裏が有り勝手が有り客人の出入りは乗込
み(玄関)から次の間、中の間、上段の間と有ります。廊下の幅は一間
チョット有りそうです、奥の隅に雪隠(厠)と湯殿(檜風呂)釜は無いので
沸かした湯を持ち込むようです、殿様と言っても当時の生活は
今に比べて大変の事のようです。
以前バスで行ったことを思い出しました
大内宿では、時間がなく全部見られずガッカリ😞したことや、ネギそばを食べたことなど、写真を見ながら思い出していますみなさん楽しんでいる様子がわかります。
幹事さんお疲れさまでした
私もツアーですけど行ってきました。
のんちゃんは すごいですねー
4時間もの運転、
皆さん眠られたとか( ^ω^)・・・
それは大変でしたね!
のんちゃんは凄いです