令和3年11月の「兵庫区編」から始まり令和5年3月の「有馬温泉」まで1年ちょっと。16回に分けて神戸市全9区を歩きました。六甲山地北側の広大な「北区」「西区」を除けば、ほぼ市街地を隅から隅まで歩いてきたと思います。この約1年間を「没」になった写真を中心に振り返ってみたいと思います。
「神戸市」と聞いて最初に思い浮かべるのは「異人館」「港町」「中華街」など異国情緒あふれる風景ではないでしょうか。
それらは「国際都市」「国際観光都市」としての神戸を代表するものであり、国内はもとより海外からも多くの観光客が訪れます。
遠方からの観光であれば、これらを見学した後、京都や大阪などに流れてしまうのかも知れませんが、じっくりと歩けばいろんなものにめぐり合える素晴らしい町だと思います。
「歴史の町」といえば京都・奈良が有名ですが、神戸もなかなか歴史のある町です。4~5世紀に築かれたという「五色塚古墳」は、明石海峡を通り抜け、難波・大和へ向かったと思われる大陸からの使者に威容を示したことでしょう。
そのほかにもいくつかの巨大古墳が残されています。
また、平清盛が開いた「兵庫津」を国内外の貿易拠点とし、平安時代から江戸時代にかけて経済的な発展を遂げ、現在の神戸市の基盤が築かれました。
そして神戸が歴史の舞台となった最も大きな出来事が「源平合戦」ではないでしょうか。
壇ノ浦の戦いでの滅亡に向かう平氏とそれを追う源氏との間で繰り広げられた一ノ谷の戦い。
市内には源平合戦にまつわる歴史の足跡が多く残されています。幸い信長の焼き討ちや幕末の戦乱にも巻き込まれませんでした。
港町として栄えた神戸には異人館のほかにも多くの洋館が残っています。
登録有形文化財に登録された建造物は、全国では大阪に次いで多いそうです。
異国情緒あふれる神戸にはたくさんのキリスト教会があります。
また、ムスリムモスク。戦災・震災を乗り越えた立派なイスラム教会です。かつては「回教寺院」などと呼ばれていたそうです(兵頭さんも歩いていました)。
そして結構歴史ある神社や寺院も残っています。
どの区も歩紀の早い段階で安全祈願をすることができました。
海に浮かぶ人工島にさえ神社がありましたよ。
山から海へ続く町は自然も豊かです。
市の西部では身近に海が感じられました。
漁港もあります。
現在、日本には20の政令指定都市があるそうですが、特別区と呼ばれる東京23区のほか横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市が「日本5大都市」と呼ばれる元々の政令指定都市だそうです。そして5大都市で唯一、海水浴場があるのが神戸市です。
「島」も歩きました。
私が歩いた3つの埋め立て地も神戸市のホームページでは島として書かれています。
最後は六甲全山縦走路です。神戸市の背骨を4回に分けて歩きました。無理のない計画だったと思います。
ハイキング+軽登山という感じですが、ところどころ険しい道もありました。
山頂を極めた六甲山は5大都市の最高峰でもあります。
縦走路沿いには、私がお参りしている「摂津國八十八ケ所」のお寺が3つもありラッキーでした。
そして三宮周辺を中心とした町は「神戸マダム」と呼ばれるご婦人方がショッピングを楽しむお洒落な町でもあります。
ただ昭和の匂いを残す街角も方々に見られました。
庶民の生活を支える商店街。活気があふれています。
ただ人口の減少や商店の大型化などによりシャッター街化しているところもありました。
歩紀の途中での楽しみは昼食です。「洋食ランチ」。
豊かな海の恵み「海鮮」。
下町の味「そばめし」。色んなものを食べたな。私はグルメレポーターではありませんので「芳醇な中にもあっさりとした、しっとりとした、ねっちゃりとした、もっちゃりとした、がっかりした・・・」食レポはしません。
神戸と言えば「灘の生一本」と言われる酒どころ。これについては「呑み歩紀2~灘五郷~」で歩いていますので、そちらをご覧ください。
そして神戸は坂の多い町でもあります。ただ長崎や横浜のような坂ではなく、ほぼ山です。
各区の高台からは海が見えました。毎回「海が見えるぞ」と叫びました。神戸の町を歩いているとラジオ関西という神戸にある民放局のイメージソングとして大阪府出身のチューインガムという姉妹が歌っていた「海の見える放送局」という歌を思い出します。
「♪ 波のように繰り返す コールサインは若いメロディー 聞こえるかしら潮風が マイクを通して
ひとつの歌は海の響き ひとつの歌は貝殻のささやき ここは海の見える(見える)放送局 ランララララララ…♪」
50年以上流れる曲です。この曲を聴くと青春(少年)時代を思い出します。当時彼女たちは小中学生だったんですね。
そのような地形のため降った雨はすぐ海へ流れ、市南部では川の中流というものがなく、水田を見かけることはありません。
そのため飲み水を確保するのも一苦労。六甲の山には多くの貯水ダムが築かれました。
100年の年月を経て文化遺産となったそれらの施設は、今でも150万市民の生活を支えています。
しかし、そんな昔から神戸では水道が引かれていたんですね。私は中学2年まで井戸水で育ちました。
打って変わり六甲山地の北側に広がる「西区」「北区」の2区は、盆地や河岸段丘に田畑が広がり「日本の原風景」が見られます。
これが川の中流というものです。
子午線も通っています。
日本人の主食「米」。パンやパスタではありません。
里山のある政令指定都市。何かほっとしました。
新しい町である海上都市を造るための土取り現場。そこにもさらに新しい町が造られています。
歩紀ニストとして三角点のほか多くの「道路元標」も訪れました。
まるで「元標マニア」になったみたいです。
歩紀の最終を飾ったのは「有馬温泉」。日本書紀にも出てくる日本最古の温泉です。
太閤秀吉も愛したという名湯で1年間の疲れを癒しました。
しかし、全国の主要都市がそうであったように、先の大戦では神戸市も米軍の空襲を受け焼き尽くされました。市内にはいくつかの戦争遺産も見られます。
戦災による死者の霊を慰める碑も方々で見ることができます。
そして何よりも忘れてはならないのが、平成7(1995)年1月17日午前5時46分、明石海峡付近を震源として神戸の町を襲った阪神淡路大震災ではないでしょうか。30年近く経た現在でもいたるところに当時の傷跡が残されています。
神戸市では4571名(神戸市統計)の方々が震災により尊い命を失いました。被害が大きかった区では慰霊碑も各自治会ごとに建立されています。
神戸は日本有数の都市、国際的な観光地であるとともに、あの悲惨な日を後世に伝える町でもあるのです。「合掌」
さあ、次はどこを歩こうか。道がある限り「野里町歩紀」のネタが尽きることはありません。
「神戸市」と聞いて最初に思い浮かべるのは「異人館」「港町」「中華街」など異国情緒あふれる風景ではないでしょうか。
それらは「国際都市」「国際観光都市」としての神戸を代表するものであり、国内はもとより海外からも多くの観光客が訪れます。
遠方からの観光であれば、これらを見学した後、京都や大阪などに流れてしまうのかも知れませんが、じっくりと歩けばいろんなものにめぐり合える素晴らしい町だと思います。
「歴史の町」といえば京都・奈良が有名ですが、神戸もなかなか歴史のある町です。4~5世紀に築かれたという「五色塚古墳」は、明石海峡を通り抜け、難波・大和へ向かったと思われる大陸からの使者に威容を示したことでしょう。
そのほかにもいくつかの巨大古墳が残されています。
また、平清盛が開いた「兵庫津」を国内外の貿易拠点とし、平安時代から江戸時代にかけて経済的な発展を遂げ、現在の神戸市の基盤が築かれました。
そして神戸が歴史の舞台となった最も大きな出来事が「源平合戦」ではないでしょうか。
壇ノ浦の戦いでの滅亡に向かう平氏とそれを追う源氏との間で繰り広げられた一ノ谷の戦い。
市内には源平合戦にまつわる歴史の足跡が多く残されています。幸い信長の焼き討ちや幕末の戦乱にも巻き込まれませんでした。
港町として栄えた神戸には異人館のほかにも多くの洋館が残っています。
登録有形文化財に登録された建造物は、全国では大阪に次いで多いそうです。
異国情緒あふれる神戸にはたくさんのキリスト教会があります。
また、ムスリムモスク。戦災・震災を乗り越えた立派なイスラム教会です。かつては「回教寺院」などと呼ばれていたそうです(兵頭さんも歩いていました)。
そして結構歴史ある神社や寺院も残っています。
どの区も歩紀の早い段階で安全祈願をすることができました。
海に浮かぶ人工島にさえ神社がありましたよ。
山から海へ続く町は自然も豊かです。
市の西部では身近に海が感じられました。
漁港もあります。
現在、日本には20の政令指定都市があるそうですが、特別区と呼ばれる東京23区のほか横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市が「日本5大都市」と呼ばれる元々の政令指定都市だそうです。そして5大都市で唯一、海水浴場があるのが神戸市です。
「島」も歩きました。
私が歩いた3つの埋め立て地も神戸市のホームページでは島として書かれています。
最後は六甲全山縦走路です。神戸市の背骨を4回に分けて歩きました。無理のない計画だったと思います。
ハイキング+軽登山という感じですが、ところどころ険しい道もありました。
山頂を極めた六甲山は5大都市の最高峰でもあります。
縦走路沿いには、私がお参りしている「摂津國八十八ケ所」のお寺が3つもありラッキーでした。
そして三宮周辺を中心とした町は「神戸マダム」と呼ばれるご婦人方がショッピングを楽しむお洒落な町でもあります。
ただ昭和の匂いを残す街角も方々に見られました。
庶民の生活を支える商店街。活気があふれています。
ただ人口の減少や商店の大型化などによりシャッター街化しているところもありました。
歩紀の途中での楽しみは昼食です。「洋食ランチ」。
豊かな海の恵み「海鮮」。
下町の味「そばめし」。色んなものを食べたな。私はグルメレポーターではありませんので「芳醇な中にもあっさりとした、しっとりとした、ねっちゃりとした、もっちゃりとした、がっかりした・・・」食レポはしません。
神戸と言えば「灘の生一本」と言われる酒どころ。これについては「呑み歩紀2~灘五郷~」で歩いていますので、そちらをご覧ください。
そして神戸は坂の多い町でもあります。ただ長崎や横浜のような坂ではなく、ほぼ山です。
各区の高台からは海が見えました。毎回「海が見えるぞ」と叫びました。神戸の町を歩いているとラジオ関西という神戸にある民放局のイメージソングとして大阪府出身のチューインガムという姉妹が歌っていた「海の見える放送局」という歌を思い出します。
「♪ 波のように繰り返す コールサインは若いメロディー 聞こえるかしら潮風が マイクを通して
ひとつの歌は海の響き ひとつの歌は貝殻のささやき ここは海の見える(見える)放送局 ランララララララ…♪」
50年以上流れる曲です。この曲を聴くと青春(少年)時代を思い出します。当時彼女たちは小中学生だったんですね。
そのような地形のため降った雨はすぐ海へ流れ、市南部では川の中流というものがなく、水田を見かけることはありません。
そのため飲み水を確保するのも一苦労。六甲の山には多くの貯水ダムが築かれました。
100年の年月を経て文化遺産となったそれらの施設は、今でも150万市民の生活を支えています。
しかし、そんな昔から神戸では水道が引かれていたんですね。私は中学2年まで井戸水で育ちました。
打って変わり六甲山地の北側に広がる「西区」「北区」の2区は、盆地や河岸段丘に田畑が広がり「日本の原風景」が見られます。
これが川の中流というものです。
子午線も通っています。
日本人の主食「米」。パンやパスタではありません。
里山のある政令指定都市。何かほっとしました。
新しい町である海上都市を造るための土取り現場。そこにもさらに新しい町が造られています。
歩紀ニストとして三角点のほか多くの「道路元標」も訪れました。
まるで「元標マニア」になったみたいです。
歩紀の最終を飾ったのは「有馬温泉」。日本書紀にも出てくる日本最古の温泉です。
太閤秀吉も愛したという名湯で1年間の疲れを癒しました。
しかし、全国の主要都市がそうであったように、先の大戦では神戸市も米軍の空襲を受け焼き尽くされました。市内にはいくつかの戦争遺産も見られます。
戦災による死者の霊を慰める碑も方々で見ることができます。
そして何よりも忘れてはならないのが、平成7(1995)年1月17日午前5時46分、明石海峡付近を震源として神戸の町を襲った阪神淡路大震災ではないでしょうか。30年近く経た現在でもいたるところに当時の傷跡が残されています。
神戸市では4571名(神戸市統計)の方々が震災により尊い命を失いました。被害が大きかった区では慰霊碑も各自治会ごとに建立されています。
神戸は日本有数の都市、国際的な観光地であるとともに、あの悲惨な日を後世に伝える町でもあるのです。「合掌」
さあ、次はどこを歩こうか。道がある限り「野里町歩紀」のネタが尽きることはありません。
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