令和2年の「コロナ禍」以来、「不要不急の外出」や「府県を跨いでの移動」に対する自粛要請が断続的に続き「歩紀ニスト」としては商売あがったりでした。そのため合間を縫って自宅周辺を歩き回り、季節を追って歩いた1年間をまとめてみました。
大阪市で生まれ東大阪市で育った私が念願の「一戸建てマイホーム」を手に入れ「この町」に引っ越してきたのは平成2年の春。30年以上が過ぎ、すでにローンも完済した私にとってはまさに「安住の地」であり、ここで幼稚園から大学まで卒業し、就職・結婚を経て「町」を出た2人の娘にとっては「故郷」そのものです。
大阪府の北の果て「豊能郡豊能町」の西地区に開発されたニュータウン「ときわ台・光風台」。40年以上勤めた職場を定年退職し、じっくり眺めてみると「この町」は本当に素晴らしい町です。ということで「この町」を紹介するのですが、これまでの「紀行」ものではなく、少子高齢化が進み大阪府有数の「高齢自治体」「限界都市」と言われる「この町」の発展を願い、どうか「この町」に移り住んでいただきたいという思いを込めて歩きました。そのため良い所ばかりではなく、田舎ゆえの「負」に対する部分も含めてまとめています。
なお文中で「田舎」的な表現もありますが、これは決して「農村地域」や「地方」を見下したり、馬鹿にしているわけではありませんので誤解のないようお願いいたします。
大阪府「豊能(とよの)郡」。明治時代の郡制施行により、かつての「豊島(てしま)郡」と「能勢(のせ)郡」が合併し、それぞれの頭文字である「豊」と「能」をとって明治29年に発足しました。
大阪府北部。「京都府」と「兵庫県」にくさびを打ち込んだように食い込み、標高150mから700mの山間部にあるため、ウイキペディアでは「大阪のチベット」「大阪の軽井沢」とも呼ばれていると書かれいますが、私はそのような言葉は聞いたことがありません。ただ、大阪市内より気温はおよそ5~6度低く、「田舎度満点」であることには間違いないでしょう。天気予報では「近畿中部」に属するものの「山間部では…」の「山間部」に位置し、天気図でも「豊能郡」の部分だけ雨雲や雪雲がかかっていることがよくあります。場所にもよりますが、極寒期には10~40cmほどの積雪が見られることもあります。天気図の雨が降っているところが「豊能郡」です。
しかしかつての「豊島郡」に属する「豊中」「箕面」「池田」「吹田(一部)」がそれぞれ市政に移行したため、現在では「能勢郡」に属していた「能勢町」「豊能町」の2町だけで構成されています。それならば元の「能勢郡」に戻れば良いのでしょうが、かつての郡役場が「旧豊島郡」である池田市に設置されていたことなどから、そううまくはいかないのでしょう。昭和52年、町政に移行した「豊能町」の旧名称が「東能勢村」だったので、今でも「豊能郡」全体を指して「能勢」と呼ばれることがよくあります。しかし、自治体としての「能勢町」と「豊能町」はまったく別です。
郡北部に位置する「能勢町」はさらに「奥地」にあるものの面積的には郡の75%近くを占め、広大な盆地が開けていることから農村地帯として栄え、すでに昭和31年から町政に移行していました。しかし「豊能町」は600m級の「妙見山塊」で東の「余野」「高山」と西の「吉川」という狭隘な3つの盆地が東西に分断されていたため、現在でも大阪府唯一の「村」である「千早赤阪村」とともに昭和52年まで「村」だったのです。そして、その中心は比較的平坦な盆地が開けている東地区の「余野」であり、現在の「豊能町役場」も「余野」にあります。
しかし西地区の「吉川」は「能勢の三黒」と呼ばれた「黒牛」「炭」「栗」や木材の輸送手段として「一の鳥居駅」まで開通していた現在の「能勢電鉄(通称:のせ電)」が、「能勢妙見」「能勢の妙見さん」として有名な「妙見山」参拝者の便宜のため、大正12年「妙見口駅」まで延伸されたことにより、かつての「能勢郡」で唯一「鉄路」が開けたのです。頑張れ「のせ電」。
そして高度成長期に入り、阪神地区郊外に多くのニュータウンが開発されていく中、昭和43年から50年にかけて「吉川」地区の山間部に「ときわ台」「光風台」の住宅地が造成されたのに伴い、能勢電鉄「ときわ台駅」「光風台駅」が開業。さらに「東ときわ台」「新光風台」と町が広がるにつれ、豊能町の人口約19,000人のうち約75%にあたる14,400人の人が暮らす大阪のベッドタウンとして成長したのです(令和3年3月末現在)。
なおブログの文中に出てくる「町」とは、注釈がない限り「豊能町」全体ではなく「ときわ台」「東ときわ台」「光風台」「新光風台」を指しています。
大阪方面から鉄道での「わが町」への入口として最も一般的なのが阪急宝塚線「川西能勢口駅」です。ここで能勢電車に乗り換え「大阪梅田駅」から終点の「妙見口駅」まで約1時間(600円)です。すべての列車が停車する阪急電車と能勢電車との合同駅舎であり、大阪方面へは同一ホームで乗り換えることができますので朝はとても便利です。また朝夕の通勤時間帯には、途中の「山下駅」で「大阪梅田駅」と「日生中央駅」を直通で結ぶ「日生エクスプレス」という通勤特急に乗り換えることもできます。
余談になりますが「出発進行。良し!」という言葉は、電車の運転手さんが「出発信号。良し!」と「指差呼称」したのをホームにいた人が聞き間違えてできた「造語」だということを国語学の講義で聞いた覚えがあります。
駅改札内にはコンビニをはじめいくつかのお店があります。
阪急宝塚線や能勢電車の沿線には、大規模ニュータウンやマンションがたくさんありますので、賑やかな駅前には「アステ」「モザイクボックス」といったショッピングモールや「阪急百貨店川西店」のほかスーパー、大手銀行、携帯電話ショップ、病院、パチンコ屋、カラオケ店、飲み屋さんなど何でもあります。「のせ電」唯一の繁華街です。
鉄道でのもう1つの入口がJR宝塚線「川西池田駅」です。
駅前にはバス・タクシー乗り場のほか何もなくJR特有の「廃れた感」は否めませんが、「川西能勢口駅」とは「アステ」「阪急百貨店」を挟んで専用陸橋で結ばれており、阪急電車と競合するため最近ではサービスも向上し、快速に乗れば「妙見口駅」から「大阪駅」まで乗り換え時間を含め約1時間(660円)で結びます。沿線の兵庫県伊丹市や尼崎市にお勤めの方、またJR京都線・東西線とも連結していますので、多くの方が利用しています。
「みどりの窓口」がありますので、新幹線をはじめJR全線の乗車券や特急券が買えるのも魅力ですね。
続いてバスでの入口は北大阪急行・大阪モノレールの「千里中央駅」です。北大阪急行は大阪メトロ「御堂筋線」が乗り入れていますので、「新大阪」「梅田」「本町」「なんば」「天王寺」と大都市「大阪」に直結しています。
千里中央阪急バス乗り場の最後尾、ちょうど千里中央駅(南口)のガード下から「箕面森町中央公園」行きのバスが出ています。
ここから阪急バスに乗れば、隣の箕面市である「箕面森町地区センター」まで約25分(420円)。そこからさらに阪急の循環バスに乗り換える不便さはあるのですが、数分(220円均一料金)で「わが町」に着きます(420円区間定期があれば、それ以下の区間は無料で乗車できます)。
「箕面森町地区センター」には無料の駐輪場があるので、アシスト自転車やミニバイクを使って通勤されている方も結構多いようです(コインパーキングもあります)。雨や雪の日はちょっと大変ですが。
最近では「箕面森町」に24時間スーパー「トライアル」ができたので、行き帰りの買い物にも便利です。
次ぎに車での入口です。大阪方面からであれば「阪神高速道路池田線」の「池田木部第2出口(能勢方面)」から国道173号線に入り、渋滞がなければ10分ほどで国道477号線の分岐点となる「一の鳥居交差点」に出ます。ここが入口です。正面に見えるお城の天守閣を模した「大阪青山歴史文学博物館」と「ニッサン」が目印です。
交差点横には能勢電車「一の鳥居駅」があります。「わが町」から車で10分かからないことと能勢電車を3~5駅ショートカットできるので、ご家族に送迎してもらっている方も多いようです。私も仕事や飲み会で夜遅くなったときなどは、この駅まで向かいに来てもらいました。
かつて「能勢街道」と呼ばれた国道173線から明治に入って開かれた国道477号線の元となる「花折街道」を通って「能勢妙見」へと続く参拝口であり、かつて駅前には大きな石の鳥居が立っていました。「一の鳥居駅」の駅標も「鳥居」と「参拝者」があしらわれています。
「一の鳥居駅」から国道173号線を大阪方面に下って行くと、大阪府池田市に至るまでの間に「ホームセンター」「ファミレス」「自動車ディーラー」や大手スーパーなどが並びます。
大阪に行くまでにほとんどの用件が完結します。私もマイカー、携帯電話は兵庫県川西市で購入・契約していますし、娘も川西市内の産婦人科で出産しました。生活圏は完全に川西市です。大阪「県民」です。
「一の鳥居駅」前から国道477号線に入れば、すぐに「能勢カントリー倶楽部」というゴルフ場の入口横に石の鳥居が見えてきます。これが「一の鳥居」です。かつて「一の鳥居駅」前にあったものが、平成7年1月の「阪神淡路大震災」で倒壊し、この場所に移されたのです。あの日は「わが町」もかなり揺れ、ガス・水道が復旧するまで1ヶ月ほどかかったと思います。わが家は実家のお世話になったのですが、ここのクラブハウスの浴場が被災者に無料開放されていました。
「塩川」という渓流に沿って、途中2つほど公園墓地を見ながらクネクネとした山道が続きます。この道は、季節によってシカやイノシシが出没するので、ぶつからないように注意してください。
そして5分もかからない間に兵庫県との府県境を越えて「豊能町」に入ります。私もこのコースで初めて「この町」を訪れたのですが、「一体どんな山奥に連れて行かれるのだろうか?」と不安で一杯だったところ、突然、目の前に青空をバックにしたニュータウンが開け、感激したのを今でも鮮明に覚えています。
国道477号線は「わが町」の真ん中を通り抜け「能勢町」を経て京都・亀岡方面に続きます。
次ぎに箕面有料道路「箕面トンネル」です。大阪の大動脈「新御堂筋」の延長線上にあり、先ほどの「千里中央駅」からの阪急バスも通行する有料トンネル(普通車410円~ETC料金)で平成19年5月30日に開通しました。トンネルに入れば「箕面森町地区センター」を経て15分ほどで「わが町」に到着します。このトンネルができて本当に便利になりました。大阪まで阪神高速道路・一般道を利用するよりも時間的・料金的にかなり削減できます。
そして「箕面トンネル」を出たところには、平成30年3月に開通した新名神高速道路「箕面とどろみインター」があります。ここは「わが町」への入口と言うよりも「日本全国」に続く「旅」の出発点でもあります。特に西日本方面へは魔の渋滞路線である「宝塚トンネル」を通過することなく、神戸JCTで「中国自動車道」「山陽自動車道」に乗り入れできるのでとても便利になりました。
「阪神高速道路池田線」の「池田木部第1出口(亀岡方面)」で国道423号線を北上すれば「箕面トンネル」を利用することなく10分ほどでここまで来ることもできます。
ダラダラと前置きが長くなり申し訳ありませんでした。やっと「わが町」に到着です。町内なので歩いて訪れていますが、1年間かけて歩きましたので特にコースはなく、訪問日もばらばらです。また、一部過去に訪れた際の画像や交通機関を利用して撮影した画像も含まれています。
第一歩はやはり「春」。そしてなんと言っても「桜」です。ここは「箕面森町」へ行く途中の「光ヶ谷」。立っている場所は「箕面市」ですが見えている谷は「豊能町」です。正面は「妙見山(660m)」。今見えている桜は「エドヒガン」と呼ばれる山桜です。ここは四季折々の姿を見せてくれるので、これからも度々登場します。
「町内」にはたくさんの桜(ソメイヨシノ)が咲いていますが、最も美しいのは「ときわ台駅」前の高台にある「ときわ台1丁目公園」の桜ではないでしょうか。
公園横の「ときわ台自治会館」周辺もとてもきれいです。
ここは、ランドセルを背負った新一年生の記念撮影にもってこいです。
そして「東ときわ台小学校」前から約450m続く桜並木。
「ユーベルホール」前の桜も見事です。
「ユーベルホール」は町立の文化ホールで、豊能町の成人祭のほか寄席やソロまたは少人数の楽団によるコンサートなどが定期的に開かれています。
遅咲きの「山桜」が散ったころ野山では若芽が吹き出し「山笑う」季節になります(光ケ谷)。
春雨の合間、新緑が美しい「高代寺山(489m)」の眺めです。
桜が満開だった「ときわ台1丁目公園」は新緑も美しい公園です。
国道477号線の「吉川交番前交差点」。ここが町の中心部として最も相応しいと思いますので時間や距離の起点はここにしました。
角には「大阪府豊能警察署吉川交番」があります。本署は国道477号線をさらに北上し、兵庫県川西市を通り抜けた隣町の「能勢町」にあります。免許更新などの時は本署まで行く必要がありますが、車で10分ほどの距離ですし、交通安全協会の広い駐車場があるので大丈夫です。
その隣には「箕面市消防本部豊能消防署」。豊能町は平成28年、隣の箕面市と消防業務を統合しました。豊能町は治安もよく火災も年数回あるかないかくらいです。新しく開かれたニュータウンでは、「交番」や「消防署」の誘致を自治体に行っているようですが、予算や人員の関係で難しいそうです。こんな静かな「町」に交番と消防署があるというのはとても心強いですね。
消防署の向かいには「ふれあい広場」。毎年いわゆる市民(町民)祭である「ふれあい祭(盆踊り)」や「農業祭」などが行われます。隣にはテニスコートがあります。
このあたりには豊能町の公共施設が集まっています。「ユーベルホール」前の階段を上れば、そこには「図書館」。レンガ造り風のしゃれた建物で、毎週月曜日と最終金曜日が閉館日。午前10時から午後6時まで開館しています。私は「図書館」がある街が大好きです。何か心が豊かになりますね。
その裏には「西公民館」。選挙の時には、いつもここまで期日前投票に来ます。
図書館の前には「健康福祉センター」。医療機関ではありませんが、町民健診や予防接種、健康相談などが行われています。新型コロナワクチンの集団接種もここで行われました。
健康福祉センター前には「第2総合駐車場」。「田舎」はどこに行っても広い無料駐車場があるので助かりますね。ただ、町の財源確保のため「有料化」される動きがあります。
そして駐車場を抜ければ「豊能町役場吉川支所」。各種届出や印鑑証明などはすべてここで申請できますので「余野」の本庁まで行く必要はありません。実際、私も本庁へは一度も行ったことがありません。
消防署の前には阪急バスの「支所前」バス停。町内を阪急バスが運行しており、「新光風台」を循環する便と「光風台」「東ときわ台」から「箕面森町地区センター」を回る便が交互に発着しています。それと平日の朝のみ「妙見口駅」までの便があります。坂の多い町ですので本当に助かりますね。
「支所前」バス停の前には「ときわ壱番地」。阪急沿線に展開する「阪急オアシス」の「ときわ台店」を中心にいくつかのお店がありますが、「ショッピングモール」というほどの規模ではありません。
「トライアル」が開店してからは経営も厳しいようですが、豊能郡唯一の「オアシス」として能勢町方面からのお客さんもあり「町のスーパー」として頑張っています。
周りにはドラッグストアーや学習塾、眼科医院、整骨院などがあります。
鬱陶しい「梅雨」。ただ私は結構「雨」が好きです。特にどこに行く当てもない休日。ずっと家に閉じこもる言い訳になりますからね。令和3年は5月16日に梅雨入り。大阪では統計史上もっとも早い梅雨入りだったそうです(光ケ谷)。
「町」は山を切り開いて造成された住宅地ですが、「ときわ台駅」近くと「妙見口駅」の手前に「田んぼ」があり田植えが行われます。カエルが大合唱し、私の大嫌いなヘビもたくさんいます。
このあたりは6月に入ると「ゲンジボタル」が舞います。この他にも「ゲンジボタル」が棲むポイントがいくつかあるのですが「自然保護」のためそれは「内緒」です。
新緑の季節を過ぎると町のあちらこちらで「サツキ」が咲き始めます。
私は花にはあまり詳しくないのですが、「サツキ」は「ツツジ科」の植物で、まず最初に4月ころから「ツツジ」が咲き、続いて5月ころから「サツキ」が咲くそうですね。この町は桜もそうですが、「下界」よりちょっと寒いので時期がズレます。今年は「サツキ」の季節より梅雨入りの方が早かった見たいですね。
町内には公園や街路樹のほか個人宅の庭先など、たくさんの「サツキ」が植えられています。春には「町」の方々で「ホトトギス」や「ウグイス」の鳴き声が聞かれます。
ちょっと「町」から外れて「妙見口駅」までやってきました。ここは旧集落である「吉川」の中心部です。盆地というよりほぼ山間部です。私のほかのページでもいろいろ紹介していますのでご覧になってください。
大阪府最北端の駅ですが時刻表を見て頂ければわかるとおり、早朝から深夜まで10数分おきに電車が発着しています。便利ですよ。決して「田舎の駅」ではありません。トイレは改札の外にきれいな水洗トイレがあります。
「妙見山」への拠点であり休日には参拝客やハイカーで賑わいます。駅前には「観光案内所」のほか観光客相手のお土産屋さんと食堂があります。「町」には「飲み屋さん」が1軒もないのでアルコール目当ての常連さんも結構いるようですよ。
次の駅が「ときわ台駅」です。能勢電車は「山下駅」~「妙見口駅」は単線ですのでホームは1本しかありません。当然なのですが「無人駅」です。改札内にトイレが改札を出たところに自動販売機があります。
駅前には「ときわ台駅前」のバス停。これは豊能町が阪急バスに委託している「豊能町リレー便」といういわゆるコミュニティーバスで、「ときわ台」を回った後「箕面森町地区センター」を経由して箕面市の「箕面病院前」までと「箕面森町地区センター」止まりが交互に走っています。駅前には中層のマンションが1棟あります。
1時間に2本のマイクロバスですが「支所前」も通過しますので、通勤用というよりは「町内」に住むお年寄りにとって買い物や通院に助かるバスですね。ただ、財政難により運行は厳しいようです。
夜は迎えの車で渋滞しますので、最近、移転した駐輪場跡に送迎用のロータリーができました。
駅前にはちょっとした商店街があったのですが、今ではシャッター街化しています。何でも屋さんとバイク屋さん、電器屋さん、新聞舗、パン屋さん、歯医者さんがあるくらいです。パン屋さんは予約制で即完売らしいですよ。さすが「北摂」ですね。
マンションの前には「豊能ときわ台郵便局」。
この駅の特長は駅前に「京都タクシー」の営業所があるということです。いつも数台待機しており、ほとんどの方が1~2メーターで自宅までの足代わりとして利用しているようです。電車が着けばほとんど出払い、次の電車が着くまでに戻ってくるという感じです。雨の日やお年寄り、深夜帰宅の女性にとっては強い味方です。
駅前の「初谷川」にかかる「ときわ大橋」から「妙見山」を望む。妙見山頂には「星嶺」という変わった形の信徒会館が建っているので、すぐにわかります。
最後は「光風台駅」です。もちろん「無人駅」です。改札内にトイレと自動販売機があります。改札外にも自動販売機そしてコインロッカー、宅配ボックス、証明用写真機、公衆電話があります。
駅前には2棟の高層マンションと阪急バスの「光風台駅前」バス停。
駅は「谷底」にありますので駅前には「エスカレーター(上り専用)」があります。「妙見口」「ときわ台」「光風台」この3駅が能勢電車で大阪府に所在し「わが町」への「扉」となりますが、「駅前」とはいえ夜になれば真っ暗です。
「光風台駅」のエスカレータを上がったところに「デイリーカナートイズミヤ光風台店」があります。「オアシス」とともに新聞に折り込み広告が入る「2大スーパー」です。
そのほか「新光風台」に組合員専用になりますが「こうべコープ新光風台店」。その周りに中華レストランなどがあります。
「コープ」の前には町立スポーツセンター「シートス」。体育館や屋内温水プール、アスレチックジム、テニスコートなどがあります。
「バブル期」各自治体には「箱物」と呼ばれる立派なスポーツセンターや文化ホールが建設されましたが、ここもその1つで今では「東京ドーム」の運営会社に経営委託されています。ここも「ユーベルホール」とともに町の財政を圧迫しているそうです。
「梅雨」が過ぎれば「新緑」から「深緑」へと移り「山滴る(したたる)」季節に。町は緑に包まれます。
「ときわ台」は最も早く開かれた住宅街で「ときわ台駅」を除いては公共施設や大きな公園・遊歩道もなく「こぢんまりとした住宅街」という感じです。
山の斜面を造成したことから場所によっては高い石垣に囲まれている住宅も多いようです。
続いて開発された「光風台」は山の斜面と緩やかな頂上部を造成した住宅街です。
山の斜面部分はいわゆる「掘り込み式車庫」のある家が多いです。
令和2年の集中豪雨で裏山の法面が崩落しましたが、幸い人的被害はありませんでした。
「デイリーカナート」の隣には「光風台2丁目公園」。
ちょっと狭いですが、バックネット付きの野球場があります。ちょうど少年野球用ですね。
豊能郡から兵庫県川西市、猪名川町にかけては「銀」「銅」の鉱脈が走り「デイリーカナート」北側の「初谷川」沿いにある崖には、今でも「間歩(まぶ)」と呼ばれる鉱山への入口跡が残っています。以前、台座の上には小さな祠があったのですが、台風で倒壊したそうです。
「ときわ台」から国道477号線を越えると「東ときわ台」。山の斜面ではなく頂上部を切り開いて造成されたのでしょうか比較的坂も緩やかです。
中央には造成前の山をそのまま活かした「東ときわ台6丁目公園」があります。
能勢は「松茸」の産地。松の木が残っています。ただ、ここでは松茸は採れません。
ここにも小さな野球場。
周回道路には阪急バスが走っています。
「東ときわ台」の真ん中を南北に抜ける「けやき通り」。
ニュータウンらしい街づくりです。
それと十字に交わるように「ときわ壱番地」から遊歩道が東西に走っています。
「町内」には結構、個人経営のお店も見られます。酒屋さんやクリーニング屋さん。
散髪屋さんやパーマ屋さん。
バイク屋さんに自動車屋さん。
珈琲店や北摂らしく「ベーカリーショップ」。
「カフェ」もあります。
古い「町」ですので、ところどころに「公衆電話」があります。
携帯電話が当たり前の時代ですがこれは大事ですよ。以前、私は終バスが終わった「箕面森町地区センター」のバス停で雨に遭ったのですが「箕面森町」には公衆電話がなく、携帯電話を職場に忘れてきたことから、雨の中、歩いて帰ったことがあります。「田舎」で携帯電話を忘れたり、バッテリー切れになると「生死」にかかわりますよ。
国道477号線沿いには「町内」唯一のコンビニ「セブンイレブン東ときわ台店」。ここは私が引っ越してきた当時は「酒屋さん兼何でも屋さん」で、その後「ローソン」を経て「セブンイレブン」になりました。24時間営業でATMもあり本当に助かります。
本格的な飲食店と言えば「吉川支所」前の国道477号線沿いにある「かめたにときわ台店」だけです。「妙見口駅」前にある「かめたに本店」の出店です。
和食、洋食、丼物、めん類、すし、喫茶、スイーツ、アルコールなど中華以外の料理と出前、宴会、仕出し料理まで「食の何でも屋さん」です。
「この町」の夏は涼しいです。そして夏が過ぎればあっという間に「山粧う(よそおう)」秋が訪れます(光ケ谷)。
「ときわ壱番地」前のいちょう並木も色づいてきました。
「桜」「新緑」が美しい「ときわ台1丁目公園」は「紅葉」もきれいです。
「ときわ壱番地」のすぐ近くに「豊能東ときわ台郵便局」。
その前の筋はお医者さんを相手に分譲されたのでしょう。耳鼻咽喉科、整形外科、歯科が並びます(内科は閉院されました)。
豊能町には町立病院などの公立病院や総合病院と呼ばれる大きな病院はありません。救急や入院・手術を伴う場合は、隣接する兵庫県川西市や大阪府池田市にある大きな病院に頼るしかありませんが、「町内」には内科・耳鼻咽喉科・整形外科・歯科・眼科など17の開業医と組合員専用の生協診療所があります。
その他、鍼灸院や獣医さんもいくつか開業されています。
「新光風台」は一番最後に分譲された住宅街です。「光風台駅」からエスカレーターを上り左に曲がって「光風台大橋」という橋で深い「初谷川」の渓谷を渡ります。山の向こうに「ときわ台」の町が見えます。
この坂道を上れば「新光風台」です。
坂の途中には「豊能光風台郵便局」。「町内」にはこれまで紹介したものを含め3つの郵便局があります。いわゆる「本局」といわれる郵便局はありませんが、箕面郵便局の管理下にある「地黄郵便局」が「能勢町」にあり、不在郵便物はそこに集約されているようです。ただ今は携帯で再送手配ができるので大丈夫ですね。
この筋には整骨院や喫茶店、学習塾などが並びます。
新しい街らしく各住宅や街並みもおしゃれな感じがします。
街の中央には「しらかば公園」。
ハイキングの昼食ポイントにもなっているようです。
ここにも野球場。今は「サッカー」ですが、野球は当時の「花形スポーツ」ですからね。
街の入口には「光風台小学校」。
以前「吉川支所」の隣にあった「吉川幼稚園」と「光風台幼稚園」との統廃合によりできた「ひかり幼稚園」が併設されています。
「町内」にはもう1つ「東ときわ台小学校」があります。
旧集落の「吉川」には「吉川小学校」。旧集落と「ときわ台」の子どもたちはここに通います。以前、近くで熊が出没したので、子どもたちは「熊鈴」を鳴らしながら通学しています。
国道477号線の沿いには「吉川保育所」。
そして3つの小学校の卒業生が通うのが「町」の中心部である「吉川支所」隣の「吉川中学校」です。「この町」は非常に教育熱心な「町」で、以前は「第一学区」に属し大阪府立高校で最も偏差値の高い「北野高校」への進学率が最も高い中学校でした(今は学区制度はありません)。
しかし少子化に伴い、現在、豊能町内の小学校統廃合と中学校の小中一貫教育が論議されており住民説明会なども開かれています。隣の「能勢町」では既に小学校統廃合と小中一貫教育が実施されています。
「吉川交番前交差点」から入った所に「池田泉州銀行ときわ台支店」。「町内」で唯一の銀行です。北摂地方には池田市に本店がある「旧池田銀行」がたくさんあり、ここも「旧泉州銀行」と統合前は「池田銀行」でした。
「デイリーカナート」の隣には「光風台出張所」があったのですが、今では窓口業務は終了しATM専用店舗になっています。
高齢化に伴い「豊能町」は町民の45%以上が65歳以上という「超高齢自治体」になっています。そのため「町内」でも「高齢者介護施設」ができ始めました。
娘や娘の同級生たちも「町外」に出て行き、今では私たち親世代だけが残っています。時代の流れですね。今は小さな子どもたちの声も聞かれなくなりました。あちこちに「空き家」や「更地」も見られます。
しかし最近新しい家が建ち始め、若い世代の入居も見られるようになってきました。
この「町」を守ってくださる「氏神様」は「妙見口駅」から歩いて10分ほどのところにある「吉川八幡神社」です。
古い「村の鎮守の神様」ですが、若い宮司さんが来られてからは、いろいろ趣向を凝らされたり、伝統的な神事も精力的に行われています。
新しく建築中のお社を抜ければ「高代寺山」へのハイキングコース入口になっています。途中「吉川城」という戦国時代の山城址があります。
「山枯れる」冬がやってきました。「この町」の冬は本当に寒いです(光ケ谷)。
今日は未明から雪です。今年は例年より雪は少ない冬でした。
どこもひっそりと雪の中に佇んでいます。
「ときわ台1丁目公園」の桜のつぼみもまだまだ固いようです。しかし、寒い冬が終わり、もうすぐ春がやって来ます。なお、桜の木は2列ほど伐採されました。
しばらくは家の中でゆっくりと過ごしましょう。これは、隣町の豊能郡能勢町に蔵元がある地酒「秋鹿」です。「町内」の酒屋では普通に売られています。
小学校社会科の地図のように何でも1つはある「箱庭」のような「町」ですが、皆さん、特に若い世代の皆さん。どうかこの素晴らしい「町」に来てください。
私のように老後をゆっくり過ごすにはまったく問題はないのですが、若い世代の方は通勤や子育てなどいろいろあるかも知れません。しかし私も30年以上ここから大阪市内の職場に通勤し、2人の娘も「町外」の高校を経て京都・滋賀の大学に自宅から4年間通いました。自然豊かで子育て・教育にはとても良い環境の町です。新型コロナウィルスのためテレワークなど生活様式も随分と変わってきました。大阪市内まで電車・車で1時間なのにシカ・イノシシ(時々クマ)も走る「都会」でもなく「田舎」でもない、星空と空気のきれいな「この町」で暮らしてみませんか。
追:光風台の土砂崩れ現場も復旧工事中です。
大阪市で生まれ東大阪市で育った私が念願の「一戸建てマイホーム」を手に入れ「この町」に引っ越してきたのは平成2年の春。30年以上が過ぎ、すでにローンも完済した私にとってはまさに「安住の地」であり、ここで幼稚園から大学まで卒業し、就職・結婚を経て「町」を出た2人の娘にとっては「故郷」そのものです。
大阪府の北の果て「豊能郡豊能町」の西地区に開発されたニュータウン「ときわ台・光風台」。40年以上勤めた職場を定年退職し、じっくり眺めてみると「この町」は本当に素晴らしい町です。ということで「この町」を紹介するのですが、これまでの「紀行」ものではなく、少子高齢化が進み大阪府有数の「高齢自治体」「限界都市」と言われる「この町」の発展を願い、どうか「この町」に移り住んでいただきたいという思いを込めて歩きました。そのため良い所ばかりではなく、田舎ゆえの「負」に対する部分も含めてまとめています。
なお文中で「田舎」的な表現もありますが、これは決して「農村地域」や「地方」を見下したり、馬鹿にしているわけではありませんので誤解のないようお願いいたします。
大阪府「豊能(とよの)郡」。明治時代の郡制施行により、かつての「豊島(てしま)郡」と「能勢(のせ)郡」が合併し、それぞれの頭文字である「豊」と「能」をとって明治29年に発足しました。
大阪府北部。「京都府」と「兵庫県」にくさびを打ち込んだように食い込み、標高150mから700mの山間部にあるため、ウイキペディアでは「大阪のチベット」「大阪の軽井沢」とも呼ばれていると書かれいますが、私はそのような言葉は聞いたことがありません。ただ、大阪市内より気温はおよそ5~6度低く、「田舎度満点」であることには間違いないでしょう。天気予報では「近畿中部」に属するものの「山間部では…」の「山間部」に位置し、天気図でも「豊能郡」の部分だけ雨雲や雪雲がかかっていることがよくあります。場所にもよりますが、極寒期には10~40cmほどの積雪が見られることもあります。天気図の雨が降っているところが「豊能郡」です。
しかしかつての「豊島郡」に属する「豊中」「箕面」「池田」「吹田(一部)」がそれぞれ市政に移行したため、現在では「能勢郡」に属していた「能勢町」「豊能町」の2町だけで構成されています。それならば元の「能勢郡」に戻れば良いのでしょうが、かつての郡役場が「旧豊島郡」である池田市に設置されていたことなどから、そううまくはいかないのでしょう。昭和52年、町政に移行した「豊能町」の旧名称が「東能勢村」だったので、今でも「豊能郡」全体を指して「能勢」と呼ばれることがよくあります。しかし、自治体としての「能勢町」と「豊能町」はまったく別です。
郡北部に位置する「能勢町」はさらに「奥地」にあるものの面積的には郡の75%近くを占め、広大な盆地が開けていることから農村地帯として栄え、すでに昭和31年から町政に移行していました。しかし「豊能町」は600m級の「妙見山塊」で東の「余野」「高山」と西の「吉川」という狭隘な3つの盆地が東西に分断されていたため、現在でも大阪府唯一の「村」である「千早赤阪村」とともに昭和52年まで「村」だったのです。そして、その中心は比較的平坦な盆地が開けている東地区の「余野」であり、現在の「豊能町役場」も「余野」にあります。
しかし西地区の「吉川」は「能勢の三黒」と呼ばれた「黒牛」「炭」「栗」や木材の輸送手段として「一の鳥居駅」まで開通していた現在の「能勢電鉄(通称:のせ電)」が、「能勢妙見」「能勢の妙見さん」として有名な「妙見山」参拝者の便宜のため、大正12年「妙見口駅」まで延伸されたことにより、かつての「能勢郡」で唯一「鉄路」が開けたのです。頑張れ「のせ電」。
そして高度成長期に入り、阪神地区郊外に多くのニュータウンが開発されていく中、昭和43年から50年にかけて「吉川」地区の山間部に「ときわ台」「光風台」の住宅地が造成されたのに伴い、能勢電鉄「ときわ台駅」「光風台駅」が開業。さらに「東ときわ台」「新光風台」と町が広がるにつれ、豊能町の人口約19,000人のうち約75%にあたる14,400人の人が暮らす大阪のベッドタウンとして成長したのです(令和3年3月末現在)。
なおブログの文中に出てくる「町」とは、注釈がない限り「豊能町」全体ではなく「ときわ台」「東ときわ台」「光風台」「新光風台」を指しています。
大阪方面から鉄道での「わが町」への入口として最も一般的なのが阪急宝塚線「川西能勢口駅」です。ここで能勢電車に乗り換え「大阪梅田駅」から終点の「妙見口駅」まで約1時間(600円)です。すべての列車が停車する阪急電車と能勢電車との合同駅舎であり、大阪方面へは同一ホームで乗り換えることができますので朝はとても便利です。また朝夕の通勤時間帯には、途中の「山下駅」で「大阪梅田駅」と「日生中央駅」を直通で結ぶ「日生エクスプレス」という通勤特急に乗り換えることもできます。
余談になりますが「出発進行。良し!」という言葉は、電車の運転手さんが「出発信号。良し!」と「指差呼称」したのをホームにいた人が聞き間違えてできた「造語」だということを国語学の講義で聞いた覚えがあります。
駅改札内にはコンビニをはじめいくつかのお店があります。
阪急宝塚線や能勢電車の沿線には、大規模ニュータウンやマンションがたくさんありますので、賑やかな駅前には「アステ」「モザイクボックス」といったショッピングモールや「阪急百貨店川西店」のほかスーパー、大手銀行、携帯電話ショップ、病院、パチンコ屋、カラオケ店、飲み屋さんなど何でもあります。「のせ電」唯一の繁華街です。
鉄道でのもう1つの入口がJR宝塚線「川西池田駅」です。
駅前にはバス・タクシー乗り場のほか何もなくJR特有の「廃れた感」は否めませんが、「川西能勢口駅」とは「アステ」「阪急百貨店」を挟んで専用陸橋で結ばれており、阪急電車と競合するため最近ではサービスも向上し、快速に乗れば「妙見口駅」から「大阪駅」まで乗り換え時間を含め約1時間(660円)で結びます。沿線の兵庫県伊丹市や尼崎市にお勤めの方、またJR京都線・東西線とも連結していますので、多くの方が利用しています。
「みどりの窓口」がありますので、新幹線をはじめJR全線の乗車券や特急券が買えるのも魅力ですね。
続いてバスでの入口は北大阪急行・大阪モノレールの「千里中央駅」です。北大阪急行は大阪メトロ「御堂筋線」が乗り入れていますので、「新大阪」「梅田」「本町」「なんば」「天王寺」と大都市「大阪」に直結しています。
千里中央阪急バス乗り場の最後尾、ちょうど千里中央駅(南口)のガード下から「箕面森町中央公園」行きのバスが出ています。
ここから阪急バスに乗れば、隣の箕面市である「箕面森町地区センター」まで約25分(420円)。そこからさらに阪急の循環バスに乗り換える不便さはあるのですが、数分(220円均一料金)で「わが町」に着きます(420円区間定期があれば、それ以下の区間は無料で乗車できます)。
「箕面森町地区センター」には無料の駐輪場があるので、アシスト自転車やミニバイクを使って通勤されている方も結構多いようです(コインパーキングもあります)。雨や雪の日はちょっと大変ですが。
最近では「箕面森町」に24時間スーパー「トライアル」ができたので、行き帰りの買い物にも便利です。
次ぎに車での入口です。大阪方面からであれば「阪神高速道路池田線」の「池田木部第2出口(能勢方面)」から国道173号線に入り、渋滞がなければ10分ほどで国道477号線の分岐点となる「一の鳥居交差点」に出ます。ここが入口です。正面に見えるお城の天守閣を模した「大阪青山歴史文学博物館」と「ニッサン」が目印です。
交差点横には能勢電車「一の鳥居駅」があります。「わが町」から車で10分かからないことと能勢電車を3~5駅ショートカットできるので、ご家族に送迎してもらっている方も多いようです。私も仕事や飲み会で夜遅くなったときなどは、この駅まで向かいに来てもらいました。
かつて「能勢街道」と呼ばれた国道173線から明治に入って開かれた国道477号線の元となる「花折街道」を通って「能勢妙見」へと続く参拝口であり、かつて駅前には大きな石の鳥居が立っていました。「一の鳥居駅」の駅標も「鳥居」と「参拝者」があしらわれています。
「一の鳥居駅」から国道173号線を大阪方面に下って行くと、大阪府池田市に至るまでの間に「ホームセンター」「ファミレス」「自動車ディーラー」や大手スーパーなどが並びます。
大阪に行くまでにほとんどの用件が完結します。私もマイカー、携帯電話は兵庫県川西市で購入・契約していますし、娘も川西市内の産婦人科で出産しました。生活圏は完全に川西市です。大阪「県民」です。
「一の鳥居駅」前から国道477号線に入れば、すぐに「能勢カントリー倶楽部」というゴルフ場の入口横に石の鳥居が見えてきます。これが「一の鳥居」です。かつて「一の鳥居駅」前にあったものが、平成7年1月の「阪神淡路大震災」で倒壊し、この場所に移されたのです。あの日は「わが町」もかなり揺れ、ガス・水道が復旧するまで1ヶ月ほどかかったと思います。わが家は実家のお世話になったのですが、ここのクラブハウスの浴場が被災者に無料開放されていました。
「塩川」という渓流に沿って、途中2つほど公園墓地を見ながらクネクネとした山道が続きます。この道は、季節によってシカやイノシシが出没するので、ぶつからないように注意してください。
そして5分もかからない間に兵庫県との府県境を越えて「豊能町」に入ります。私もこのコースで初めて「この町」を訪れたのですが、「一体どんな山奥に連れて行かれるのだろうか?」と不安で一杯だったところ、突然、目の前に青空をバックにしたニュータウンが開け、感激したのを今でも鮮明に覚えています。
国道477号線は「わが町」の真ん中を通り抜け「能勢町」を経て京都・亀岡方面に続きます。
次ぎに箕面有料道路「箕面トンネル」です。大阪の大動脈「新御堂筋」の延長線上にあり、先ほどの「千里中央駅」からの阪急バスも通行する有料トンネル(普通車410円~ETC料金)で平成19年5月30日に開通しました。トンネルに入れば「箕面森町地区センター」を経て15分ほどで「わが町」に到着します。このトンネルができて本当に便利になりました。大阪まで阪神高速道路・一般道を利用するよりも時間的・料金的にかなり削減できます。
そして「箕面トンネル」を出たところには、平成30年3月に開通した新名神高速道路「箕面とどろみインター」があります。ここは「わが町」への入口と言うよりも「日本全国」に続く「旅」の出発点でもあります。特に西日本方面へは魔の渋滞路線である「宝塚トンネル」を通過することなく、神戸JCTで「中国自動車道」「山陽自動車道」に乗り入れできるのでとても便利になりました。
「阪神高速道路池田線」の「池田木部第1出口(亀岡方面)」で国道423号線を北上すれば「箕面トンネル」を利用することなく10分ほどでここまで来ることもできます。
ダラダラと前置きが長くなり申し訳ありませんでした。やっと「わが町」に到着です。町内なので歩いて訪れていますが、1年間かけて歩きましたので特にコースはなく、訪問日もばらばらです。また、一部過去に訪れた際の画像や交通機関を利用して撮影した画像も含まれています。
第一歩はやはり「春」。そしてなんと言っても「桜」です。ここは「箕面森町」へ行く途中の「光ヶ谷」。立っている場所は「箕面市」ですが見えている谷は「豊能町」です。正面は「妙見山(660m)」。今見えている桜は「エドヒガン」と呼ばれる山桜です。ここは四季折々の姿を見せてくれるので、これからも度々登場します。
「町内」にはたくさんの桜(ソメイヨシノ)が咲いていますが、最も美しいのは「ときわ台駅」前の高台にある「ときわ台1丁目公園」の桜ではないでしょうか。
公園横の「ときわ台自治会館」周辺もとてもきれいです。
ここは、ランドセルを背負った新一年生の記念撮影にもってこいです。
そして「東ときわ台小学校」前から約450m続く桜並木。
「ユーベルホール」前の桜も見事です。
「ユーベルホール」は町立の文化ホールで、豊能町の成人祭のほか寄席やソロまたは少人数の楽団によるコンサートなどが定期的に開かれています。
遅咲きの「山桜」が散ったころ野山では若芽が吹き出し「山笑う」季節になります(光ケ谷)。
春雨の合間、新緑が美しい「高代寺山(489m)」の眺めです。
桜が満開だった「ときわ台1丁目公園」は新緑も美しい公園です。
国道477号線の「吉川交番前交差点」。ここが町の中心部として最も相応しいと思いますので時間や距離の起点はここにしました。
角には「大阪府豊能警察署吉川交番」があります。本署は国道477号線をさらに北上し、兵庫県川西市を通り抜けた隣町の「能勢町」にあります。免許更新などの時は本署まで行く必要がありますが、車で10分ほどの距離ですし、交通安全協会の広い駐車場があるので大丈夫です。
その隣には「箕面市消防本部豊能消防署」。豊能町は平成28年、隣の箕面市と消防業務を統合しました。豊能町は治安もよく火災も年数回あるかないかくらいです。新しく開かれたニュータウンでは、「交番」や「消防署」の誘致を自治体に行っているようですが、予算や人員の関係で難しいそうです。こんな静かな「町」に交番と消防署があるというのはとても心強いですね。
消防署の向かいには「ふれあい広場」。毎年いわゆる市民(町民)祭である「ふれあい祭(盆踊り)」や「農業祭」などが行われます。隣にはテニスコートがあります。
このあたりには豊能町の公共施設が集まっています。「ユーベルホール」前の階段を上れば、そこには「図書館」。レンガ造り風のしゃれた建物で、毎週月曜日と最終金曜日が閉館日。午前10時から午後6時まで開館しています。私は「図書館」がある街が大好きです。何か心が豊かになりますね。
その裏には「西公民館」。選挙の時には、いつもここまで期日前投票に来ます。
図書館の前には「健康福祉センター」。医療機関ではありませんが、町民健診や予防接種、健康相談などが行われています。新型コロナワクチンの集団接種もここで行われました。
健康福祉センター前には「第2総合駐車場」。「田舎」はどこに行っても広い無料駐車場があるので助かりますね。ただ、町の財源確保のため「有料化」される動きがあります。
そして駐車場を抜ければ「豊能町役場吉川支所」。各種届出や印鑑証明などはすべてここで申請できますので「余野」の本庁まで行く必要はありません。実際、私も本庁へは一度も行ったことがありません。
消防署の前には阪急バスの「支所前」バス停。町内を阪急バスが運行しており、「新光風台」を循環する便と「光風台」「東ときわ台」から「箕面森町地区センター」を回る便が交互に発着しています。それと平日の朝のみ「妙見口駅」までの便があります。坂の多い町ですので本当に助かりますね。
「支所前」バス停の前には「ときわ壱番地」。阪急沿線に展開する「阪急オアシス」の「ときわ台店」を中心にいくつかのお店がありますが、「ショッピングモール」というほどの規模ではありません。
「トライアル」が開店してからは経営も厳しいようですが、豊能郡唯一の「オアシス」として能勢町方面からのお客さんもあり「町のスーパー」として頑張っています。
周りにはドラッグストアーや学習塾、眼科医院、整骨院などがあります。
鬱陶しい「梅雨」。ただ私は結構「雨」が好きです。特にどこに行く当てもない休日。ずっと家に閉じこもる言い訳になりますからね。令和3年は5月16日に梅雨入り。大阪では統計史上もっとも早い梅雨入りだったそうです(光ケ谷)。
「町」は山を切り開いて造成された住宅地ですが、「ときわ台駅」近くと「妙見口駅」の手前に「田んぼ」があり田植えが行われます。カエルが大合唱し、私の大嫌いなヘビもたくさんいます。
このあたりは6月に入ると「ゲンジボタル」が舞います。この他にも「ゲンジボタル」が棲むポイントがいくつかあるのですが「自然保護」のためそれは「内緒」です。
新緑の季節を過ぎると町のあちらこちらで「サツキ」が咲き始めます。
私は花にはあまり詳しくないのですが、「サツキ」は「ツツジ科」の植物で、まず最初に4月ころから「ツツジ」が咲き、続いて5月ころから「サツキ」が咲くそうですね。この町は桜もそうですが、「下界」よりちょっと寒いので時期がズレます。今年は「サツキ」の季節より梅雨入りの方が早かった見たいですね。
町内には公園や街路樹のほか個人宅の庭先など、たくさんの「サツキ」が植えられています。春には「町」の方々で「ホトトギス」や「ウグイス」の鳴き声が聞かれます。
ちょっと「町」から外れて「妙見口駅」までやってきました。ここは旧集落である「吉川」の中心部です。盆地というよりほぼ山間部です。私のほかのページでもいろいろ紹介していますのでご覧になってください。
大阪府最北端の駅ですが時刻表を見て頂ければわかるとおり、早朝から深夜まで10数分おきに電車が発着しています。便利ですよ。決して「田舎の駅」ではありません。トイレは改札の外にきれいな水洗トイレがあります。
「妙見山」への拠点であり休日には参拝客やハイカーで賑わいます。駅前には「観光案内所」のほか観光客相手のお土産屋さんと食堂があります。「町」には「飲み屋さん」が1軒もないのでアルコール目当ての常連さんも結構いるようですよ。
次の駅が「ときわ台駅」です。能勢電車は「山下駅」~「妙見口駅」は単線ですのでホームは1本しかありません。当然なのですが「無人駅」です。改札内にトイレが改札を出たところに自動販売機があります。
駅前には「ときわ台駅前」のバス停。これは豊能町が阪急バスに委託している「豊能町リレー便」といういわゆるコミュニティーバスで、「ときわ台」を回った後「箕面森町地区センター」を経由して箕面市の「箕面病院前」までと「箕面森町地区センター」止まりが交互に走っています。駅前には中層のマンションが1棟あります。
1時間に2本のマイクロバスですが「支所前」も通過しますので、通勤用というよりは「町内」に住むお年寄りにとって買い物や通院に助かるバスですね。ただ、財政難により運行は厳しいようです。
夜は迎えの車で渋滞しますので、最近、移転した駐輪場跡に送迎用のロータリーができました。
駅前にはちょっとした商店街があったのですが、今ではシャッター街化しています。何でも屋さんとバイク屋さん、電器屋さん、新聞舗、パン屋さん、歯医者さんがあるくらいです。パン屋さんは予約制で即完売らしいですよ。さすが「北摂」ですね。
マンションの前には「豊能ときわ台郵便局」。
この駅の特長は駅前に「京都タクシー」の営業所があるということです。いつも数台待機しており、ほとんどの方が1~2メーターで自宅までの足代わりとして利用しているようです。電車が着けばほとんど出払い、次の電車が着くまでに戻ってくるという感じです。雨の日やお年寄り、深夜帰宅の女性にとっては強い味方です。
駅前の「初谷川」にかかる「ときわ大橋」から「妙見山」を望む。妙見山頂には「星嶺」という変わった形の信徒会館が建っているので、すぐにわかります。
最後は「光風台駅」です。もちろん「無人駅」です。改札内にトイレと自動販売機があります。改札外にも自動販売機そしてコインロッカー、宅配ボックス、証明用写真機、公衆電話があります。
駅前には2棟の高層マンションと阪急バスの「光風台駅前」バス停。
駅は「谷底」にありますので駅前には「エスカレーター(上り専用)」があります。「妙見口」「ときわ台」「光風台」この3駅が能勢電車で大阪府に所在し「わが町」への「扉」となりますが、「駅前」とはいえ夜になれば真っ暗です。
「光風台駅」のエスカレータを上がったところに「デイリーカナートイズミヤ光風台店」があります。「オアシス」とともに新聞に折り込み広告が入る「2大スーパー」です。
そのほか「新光風台」に組合員専用になりますが「こうべコープ新光風台店」。その周りに中華レストランなどがあります。
「コープ」の前には町立スポーツセンター「シートス」。体育館や屋内温水プール、アスレチックジム、テニスコートなどがあります。
「バブル期」各自治体には「箱物」と呼ばれる立派なスポーツセンターや文化ホールが建設されましたが、ここもその1つで今では「東京ドーム」の運営会社に経営委託されています。ここも「ユーベルホール」とともに町の財政を圧迫しているそうです。
「梅雨」が過ぎれば「新緑」から「深緑」へと移り「山滴る(したたる)」季節に。町は緑に包まれます。
「ときわ台」は最も早く開かれた住宅街で「ときわ台駅」を除いては公共施設や大きな公園・遊歩道もなく「こぢんまりとした住宅街」という感じです。
山の斜面を造成したことから場所によっては高い石垣に囲まれている住宅も多いようです。
続いて開発された「光風台」は山の斜面と緩やかな頂上部を造成した住宅街です。
山の斜面部分はいわゆる「掘り込み式車庫」のある家が多いです。
令和2年の集中豪雨で裏山の法面が崩落しましたが、幸い人的被害はありませんでした。
「デイリーカナート」の隣には「光風台2丁目公園」。
ちょっと狭いですが、バックネット付きの野球場があります。ちょうど少年野球用ですね。
豊能郡から兵庫県川西市、猪名川町にかけては「銀」「銅」の鉱脈が走り「デイリーカナート」北側の「初谷川」沿いにある崖には、今でも「間歩(まぶ)」と呼ばれる鉱山への入口跡が残っています。以前、台座の上には小さな祠があったのですが、台風で倒壊したそうです。
「ときわ台」から国道477号線を越えると「東ときわ台」。山の斜面ではなく頂上部を切り開いて造成されたのでしょうか比較的坂も緩やかです。
中央には造成前の山をそのまま活かした「東ときわ台6丁目公園」があります。
能勢は「松茸」の産地。松の木が残っています。ただ、ここでは松茸は採れません。
ここにも小さな野球場。
周回道路には阪急バスが走っています。
「東ときわ台」の真ん中を南北に抜ける「けやき通り」。
ニュータウンらしい街づくりです。
それと十字に交わるように「ときわ壱番地」から遊歩道が東西に走っています。
「町内」には結構、個人経営のお店も見られます。酒屋さんやクリーニング屋さん。
散髪屋さんやパーマ屋さん。
バイク屋さんに自動車屋さん。
珈琲店や北摂らしく「ベーカリーショップ」。
「カフェ」もあります。
古い「町」ですので、ところどころに「公衆電話」があります。
携帯電話が当たり前の時代ですがこれは大事ですよ。以前、私は終バスが終わった「箕面森町地区センター」のバス停で雨に遭ったのですが「箕面森町」には公衆電話がなく、携帯電話を職場に忘れてきたことから、雨の中、歩いて帰ったことがあります。「田舎」で携帯電話を忘れたり、バッテリー切れになると「生死」にかかわりますよ。
国道477号線沿いには「町内」唯一のコンビニ「セブンイレブン東ときわ台店」。ここは私が引っ越してきた当時は「酒屋さん兼何でも屋さん」で、その後「ローソン」を経て「セブンイレブン」になりました。24時間営業でATMもあり本当に助かります。
本格的な飲食店と言えば「吉川支所」前の国道477号線沿いにある「かめたにときわ台店」だけです。「妙見口駅」前にある「かめたに本店」の出店です。
和食、洋食、丼物、めん類、すし、喫茶、スイーツ、アルコールなど中華以外の料理と出前、宴会、仕出し料理まで「食の何でも屋さん」です。
「この町」の夏は涼しいです。そして夏が過ぎればあっという間に「山粧う(よそおう)」秋が訪れます(光ケ谷)。
「ときわ壱番地」前のいちょう並木も色づいてきました。
「桜」「新緑」が美しい「ときわ台1丁目公園」は「紅葉」もきれいです。
「ときわ壱番地」のすぐ近くに「豊能東ときわ台郵便局」。
その前の筋はお医者さんを相手に分譲されたのでしょう。耳鼻咽喉科、整形外科、歯科が並びます(内科は閉院されました)。
豊能町には町立病院などの公立病院や総合病院と呼ばれる大きな病院はありません。救急や入院・手術を伴う場合は、隣接する兵庫県川西市や大阪府池田市にある大きな病院に頼るしかありませんが、「町内」には内科・耳鼻咽喉科・整形外科・歯科・眼科など17の開業医と組合員専用の生協診療所があります。
その他、鍼灸院や獣医さんもいくつか開業されています。
「新光風台」は一番最後に分譲された住宅街です。「光風台駅」からエスカレーターを上り左に曲がって「光風台大橋」という橋で深い「初谷川」の渓谷を渡ります。山の向こうに「ときわ台」の町が見えます。
この坂道を上れば「新光風台」です。
坂の途中には「豊能光風台郵便局」。「町内」にはこれまで紹介したものを含め3つの郵便局があります。いわゆる「本局」といわれる郵便局はありませんが、箕面郵便局の管理下にある「地黄郵便局」が「能勢町」にあり、不在郵便物はそこに集約されているようです。ただ今は携帯で再送手配ができるので大丈夫ですね。
この筋には整骨院や喫茶店、学習塾などが並びます。
新しい街らしく各住宅や街並みもおしゃれな感じがします。
街の中央には「しらかば公園」。
ハイキングの昼食ポイントにもなっているようです。
ここにも野球場。今は「サッカー」ですが、野球は当時の「花形スポーツ」ですからね。
街の入口には「光風台小学校」。
以前「吉川支所」の隣にあった「吉川幼稚園」と「光風台幼稚園」との統廃合によりできた「ひかり幼稚園」が併設されています。
「町内」にはもう1つ「東ときわ台小学校」があります。
旧集落の「吉川」には「吉川小学校」。旧集落と「ときわ台」の子どもたちはここに通います。以前、近くで熊が出没したので、子どもたちは「熊鈴」を鳴らしながら通学しています。
国道477号線の沿いには「吉川保育所」。
そして3つの小学校の卒業生が通うのが「町」の中心部である「吉川支所」隣の「吉川中学校」です。「この町」は非常に教育熱心な「町」で、以前は「第一学区」に属し大阪府立高校で最も偏差値の高い「北野高校」への進学率が最も高い中学校でした(今は学区制度はありません)。
しかし少子化に伴い、現在、豊能町内の小学校統廃合と中学校の小中一貫教育が論議されており住民説明会なども開かれています。隣の「能勢町」では既に小学校統廃合と小中一貫教育が実施されています。
「吉川交番前交差点」から入った所に「池田泉州銀行ときわ台支店」。「町内」で唯一の銀行です。北摂地方には池田市に本店がある「旧池田銀行」がたくさんあり、ここも「旧泉州銀行」と統合前は「池田銀行」でした。
「デイリーカナート」の隣には「光風台出張所」があったのですが、今では窓口業務は終了しATM専用店舗になっています。
高齢化に伴い「豊能町」は町民の45%以上が65歳以上という「超高齢自治体」になっています。そのため「町内」でも「高齢者介護施設」ができ始めました。
娘や娘の同級生たちも「町外」に出て行き、今では私たち親世代だけが残っています。時代の流れですね。今は小さな子どもたちの声も聞かれなくなりました。あちこちに「空き家」や「更地」も見られます。
しかし最近新しい家が建ち始め、若い世代の入居も見られるようになってきました。
この「町」を守ってくださる「氏神様」は「妙見口駅」から歩いて10分ほどのところにある「吉川八幡神社」です。
古い「村の鎮守の神様」ですが、若い宮司さんが来られてからは、いろいろ趣向を凝らされたり、伝統的な神事も精力的に行われています。
新しく建築中のお社を抜ければ「高代寺山」へのハイキングコース入口になっています。途中「吉川城」という戦国時代の山城址があります。
「山枯れる」冬がやってきました。「この町」の冬は本当に寒いです(光ケ谷)。
今日は未明から雪です。今年は例年より雪は少ない冬でした。
どこもひっそりと雪の中に佇んでいます。
「ときわ台1丁目公園」の桜のつぼみもまだまだ固いようです。しかし、寒い冬が終わり、もうすぐ春がやって来ます。なお、桜の木は2列ほど伐採されました。
しばらくは家の中でゆっくりと過ごしましょう。これは、隣町の豊能郡能勢町に蔵元がある地酒「秋鹿」です。「町内」の酒屋では普通に売られています。
小学校社会科の地図のように何でも1つはある「箱庭」のような「町」ですが、皆さん、特に若い世代の皆さん。どうかこの素晴らしい「町」に来てください。
私のように老後をゆっくり過ごすにはまったく問題はないのですが、若い世代の方は通勤や子育てなどいろいろあるかも知れません。しかし私も30年以上ここから大阪市内の職場に通勤し、2人の娘も「町外」の高校を経て京都・滋賀の大学に自宅から4年間通いました。自然豊かで子育て・教育にはとても良い環境の町です。新型コロナウィルスのためテレワークなど生活様式も随分と変わってきました。大阪市内まで電車・車で1時間なのにシカ・イノシシ(時々クマ)も走る「都会」でもなく「田舎」でもない、星空と空気のきれいな「この町」で暮らしてみませんか。
追:光風台の土砂崩れ現場も復旧工事中です。
> 冬のタイヤ... への返信
オールシーズンタイヤというのがあるんですね。ありがとうございました。勉強になりました。
野里町歩紀
新光風台の者です、冬季のタイヤですが近年はスタッドレスの出番が無く夏冬8本のタイヤを抱えるのも大変なのでディーラーの勧めもありオールシーズンタイヤにしました、3回冬を迎えましたが5センチ程度のの積雪だと全然問題なかったです夏も安定して走れます。
早速お返事ありがとうございます。
そうなのですね!次女さん戻られるかもなのですね。
一度離れてもまた戻ってきたい町って
すごくいいですね(^^)v
夫はお家に庭が欲しかったので
ときわ台だとそれが叶うのも大きいです。
池田だと地主か金持ちしか無理なもので、、、😂
やっぱりそうなのですね。朝晩などは
凍結などでスタッドレスにしておくと
安心だけども必須ではないんですね。
土地の売主さんにも契約時に聞いてみたのですが、
昔は雪降ったりしていたが
この10〜15年は積もるような雪は
降らなくなったと。
そこがすごく気になっていたので
教えていただけてよかったです☻
おはようございます。私のブログへの訪問及びコメントありがとうございます。
ときわ台への移住をお考えなんですね。私が通勤する10分ほどの道のりでもここ数年で20件近くの新築物件が見られ「ああ、人が戻っているな」と感じます。私事ですが結婚して豊中の賃貸に住む次女夫婦も現在この町で物件を物色中なんですよ。
さて、気にかけられているスタッドレスタイヤの件ですが、結論から言うと半々位だと思います。仕事や通勤で車を使う方は朝早い時もあるので付けておられますが、私は今までチェーンも含めて使ったことはありません。仕事や通勤で使いませんので。確かに私が来た頃は年に3〜4日雪が降り、一度降れば一週間位積もっていましたが、最近は降らない年もありますし、積もっても10時頃には車が走れるようになります。解けなければ乗らなければ良いという感じです。凍結もそうですね。豊中や池田の山手や寒い日の千里中央よりちょっと↗かなという感じです。自転車も最近はアシスト車がありますので、学生さんやチャイルドシートに子どもさんを乗せた若ママも見かけます。ただ寒い時はマイナス5度位になりますよ。
またわからないことがあれば、いつでもコメントください。
野里町歩紀
大変丁寧にまとめられた内容でかれこれ4度読ませてもらっています。
といいますのも、現在池田市に住んでいますが、ときわ台に移住する予定(土地契約済み)です。
日生エキスプレスが停車する畦野で土地を探していましたが、ときわ台の雰囲気が夫婦共々気に入ったのとなんとなく大阪府民でいたかったのでときわ台に家を建てることにしました。
こちらのブログにはかなり背中を押してもらいました。
候補の土地を何度か訪れたさいに周辺を散策しましたが、新しいお家をちらほらあるのもまた決め手のひとつでした。
広島の田舎出身の夫にしたら電車で大阪市内までいける豊能町は全然都会だそうです。
ただ気がかりなのが冬です。池田を過ぎたら気温が変わるのはこの辺では有名?ですが、車はスタッドレスが必要なのか、凍結なので自転車は危険なのか、そこがとても気になります。
小さな子どもがいるので車や自転車必須なもので。
コメント(貴重な意見)ありがとうございます。
これといった産業はなく、田舎といっても周辺の町村のように農業や酪農が盛んであるわけでもなく名産品もなし。能勢電がせっせと運ぶ観光客は能勢町・猪名川町へ。その能勢電は川西市の企業。トライアル、履正社キャンパス、工業団地は箕面市。人は素通り、一円の金も落ちない豊能町。結局、西地区に住居を構えたサラリーマンの所得税と固定資産税に頼った町政がバブルの崩壊と高齢化の波をまともに受けたのでしょうか。これは豊能町に限らず全国的な傾向ですね。
今後ともよろしくお願いします。
野里町歩紀
西地区の人間や町に対しては、未だに根深い感情が残っています。30年近くもたらされたこのネガティブな感情はこの先もずっと残り続けます。
西地区の方は、このことをよく自覚しておいていただきたいです。
関東方面に引っ越されたんですね。ちょっと気軽に帰って来られる距離ではないですね。
私も仕事の関係で3年間、東京の郊外で過ごした時期があるのですが、当時小学生だった娘たちが成人になり、姉妹ふたりで東京ディズニーランドに行った際、その街を訪ねて盛り上がったそうです。やっぱり子供時代を過ごしたところは忘れられないですね。
どんどん歩き続けますので今後ともよろしくお願いします。
野里町歩紀
関東に根を張ってしまって気軽には戻れないのですが、いつか自分の子供たちに豊能町を案内し、妙見登山をしたいと考えています。
またたびたび豊能町のことも取り扱ってください。読者としては楽しみにしております。
コメントありがとうございます。20年ほど前まで子供時代を過ごされたということは、私の娘たち(30代)と同世代でしょうか?
ブログアップ以降でも千里中央まで直通バスが運行されるようになったものの、その分町内の巡回バスは間引き。川西能勢口駅から妙見口駅への直通はなくなり全て山下駅で乗り換えになりました。3つの小学校も令和8年には吉川中学校の場所で小中一貫校として統廃合されるようです。
しかし、町がどのように変わろとも「ふるさとはふるさと」です。機会があれば町を見に来てください。
今後ともよろしくお願いします。
野里町歩紀
子供世代がほとんど町から出ていって戻ってこないのは、いくつか原因があると思うのですが、ではこの「一回きり」のニュータウンはなんだったんだろう、この先どうなるんだろう、とよく考えるんです。
仕方がないという思いと共に、なくならないでほしい、そこにあって人々が生活していてほしい、とも身勝手ながら思ってしまいます。