釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

丘とヒルズ

2006年02月20日 21時47分42秒 | お散歩日記/東京地名の話
散歩をしていると東京の地形がいかに起伏に富んでいるかを思い知らされる。
特に武蔵野丘陵の末端部に当たる台地とその東方に広がる低地がせめぎあっている文京、新宿、港、目黒、品川大田区などは、多くの谷が台地の奥深くまで入り込んでいる。
現在の東京の構築物をすべて取り払ったら、東京のもともとの地形が見えてきて面白いだろうなと昔から思っていた。

そうしたらこんな本に出会った。
『東京』の凸凹地図(東京地図研究社・著 技術評論社・刊)
3Dメガネで見る立体写真や陰影図による地形の説明が面白い。

この本を見ながらふと思い出したことがある。
森ビルの「ヒルズ」はどこも谷を生めて丘を作っているという話。

すべてがそうではないだろうが、アークヒルズの所在地は「谷町」。
六本木ヒルズの旧・住所は「麻布日ヶ窪町」・・・まさしく窪地である。
子供のころ今の六本木ヒルズのあたりには、金魚屋さんがあって、釣堀もあった。
今の毛利池がテレビ朝日構内にあって、ニッカ池といわれていたころの話。
このニッカ池はもちろん洋酒メイカーのニッカの工場があったから。
その前は毛利家の屋敷だったから毛利池にしたわけ。
この池は人工じゃないからいかに低地かわかるはず。
表参道ヒルズの足元のあたりは「隠田」・・・葛飾北斎の富嶽三十六景の「隠田の水車」で有名な場所である。
今のキャットウォークのところが、渋谷川のあと、ここに水車があったそうな。
そうまさしく水辺の隠れるような田んぼのある低地。
城山ヒルズは旧「芝西久保城山町」・・山とはつくがまたまた窪地。
最寄り駅の神谷町も旧「西久保神谷町」で『谷』地名です。
西久保とは愛宕山の西側の窪地。
今は虎ノ門何丁目とかになっていますが。
愛宕ヒルズも愛宕山の上にあるわけではなく、愛宕山の麓。
唯一、麻布ヒルズが麻布十番の背後の麻布台地の上にありますが・・。
麻布ヒルズの麓の寺は「麻布山善福寺」っていうんだから由緒正しい。
そうあの福沢先生のお墓のある寺だ。

これもある意味でいう地名詐称ではないでしょうか。
谷を丘(ヒルズ)と言い換えて、いかにも高級であろうとする。
昔は水の便の悪い高台よりも低地に好んで暮らしたはずなのに、水道の発達でいつの間にか高いところに住むことを良しとするようになった。
不毛の高台に新たに開かれた宅地には、○○台、○○ヶ丘といういかにも高台なんだぞ!!という名前がつけられて高級感をかもしだしている。
武蔵野台地の真ん中に立つとどこが丘やら高台やらわからない。
まぁ全体が高台だっていうことなんでしょね。

地べたで再発見! 「東京」の凸凹地図

技術評論社

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1 コメント

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十番は地盤沈下 (Ten)
2006-03-10 18:49:55


安い窪地を大々的に買い取って、濃い化粧で見た目よくして高く売りつける大儲け森ビル、というテイストをずっとずっと守り続けている訳ですね

大阪には地産ビル、というのがありましたがそっちはもうとっくにダメなんだろうなあ、桃源社みたいに。。。
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