釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

東京大空襲と西麻布

2009年03月10日 06時09分57秒 | 西麻布の昔話(西麻布の夕日)

今日は3月10日。
64年前の今日、東京は火の海に包まれたことは皆さんご存知だと思います。
東京大空襲では一晩で10万(推定)の尊い命が奪われました。主な被災地が隅田川沿いの下町で被害が甚大であったことはよく知られていますが、私たちの西麻布もその日に空襲を受け、多くの家が焼け、何人もの方が亡くなりました。

当時の麻布区全体でその日の被害は全焼1,326戸、罹災者4,317名(死者数不明)というもので、下町の被害に比べれば少ないものの、たくさんの方が被災したことがわかります。

うちの父の話では、西麻布では二丁目を中心に被災したようです。
本格的な初めての空襲だったので、まだ住民に本当の恐ろしさが理解されず、頑丈な建物でやり過ごせば、大丈夫だという思いがあったようです。
現在の白洋舎さんがある夕日通りと朝日通りに挟まれたところには、銭湯があり、そのコンクリートで囲まれた釜場に逃げ込んだ数名や、タイヤ公園の脇の土蔵に逃げた母と娘と孫の3人が猛火で亡くなられたということです。

それ以降も4月や5月24・25日の空襲で、西麻布のほかの地区や南青山も灰になってしまいました。表参道の交差点に死体の山があった話はあまりにも有名です。終戦まで西麻布二丁目でも東町会の北部から青山方面に外苑西通り沿いは焼け残りました。
江戸時代から親しまれた長谷寺の観音様も空襲で燃えてしまいました。

今は静かな西麻布にも戦争の時代はあったのですね。
改めて犠牲者のご冥福をお祈りします。

 

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