”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

もうすぐ八日市「二五八ウィーク」 11月1日~5日(東近江市)

2021-10-29 13:26:59 | 東近江ライフ
 昨年中止となった「二五八祭」は今年、第45回二五八祭「二五八ウィーク」(11月1日~5日)と形を変えて開催される。

↑写真:滋賀報知新聞より(東近江大凧会館)

 新型コロナウイルス感染症の影響を考慮して例年の物販などを中止する代わりに、期間中は人流を削減するなど対策を取った中でグルメ弁当販売や動画配信など様々な催しが企画されている。

 主催する公益社団法人東近江青年会議所(理事長・珠玖成生)は市民の参加を呼びかけている。
 二五八ウィークでは、例年の二五八祭で実施されていた「想」「童」「商」の3つの要素を取り入れて展開される。

」では、「夢の凧揚げ」と題して、市民の夢がつづられた8畳敷と2畳敷大凧の飛揚を予定し、その映像を二五八インスタライブから配信(11月3日午後3時半~4時)予定。

」では、児童対象に開かれた事業者やスポーツ選手による授業「夢に触れるキャリア教育」の様子を動画で配信。

」では、東近江の特産を盛り込んだご当地グルメ弁当が期間中限定で販売される。

 また、抽選で東近江市の名産品が当たるインスタグラムコンテストを開くなどSNSからも盛り上げる。
 グルメ弁当や大凧、期間中に市内を走行する二五八未来バスの写真を各ハッシュタグ(#二五八グルメ、#二五八未来バス、#二五八大凧)でインスタグラムに投稿すると抽選に応募できる。

 開催を控え入榮秀謙委員長は「各企画のどこかで、我々が発信する地域の夢を感じ取っていただければ」と思いを話す。

 なお期間中、キャリア教育の動画は動画投稿サイト「ユーチューブ」の東近江青年会議所チャンネルから視聴でき、大凧は東近江市役所1階で展示される。
 ご当地グルメ弁当はアル・プラザ八日市(1階特別ブース)、Mitte(東近江市役所内)、五個荘観光センター(11月1日のみ)で販売される。

 詳しくは、第45回二五八祭ホームページか同会議所事務局
(TEL0748―23―3153)

<滋賀報知新聞より>
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走り続ける83歳・東近江の小林さん 「日本スポーツGP」滋賀県内初受賞

2021-10-29 10:00:00 | 滋賀のスポーツ
 長年スポーツに取り組み、顕著な功績を挙げた中高年の個人などをたたえる「第16回日本スポーツグランプリ」を東近江市沖野の小林優さん(83)が県内で初めて受賞した。27日、東近江市役所を訪れ、小椋正清市長に喜びを語った。		
↑写真:中日新聞より

 小林さんは愛知高校(愛荘町)1年の時、校内のマラソン大会で1位になったことから、部活動で陸上競技を開始。
1960年に始まった八日市市民体育大会では、5000mで19連勝を果たした。
年を重ねても競技に熱中した。2018年の国際ゴールドマスターズでは、80〜84歳の400mで1分32秒60を記録し、金メダルを獲得
 昨年は新型コロナ禍で大会の中止が相次ぐ中、練習で3227kmを走破した。賞を主催する日本スポーツ協会から「次の大会に備えて走り続ける姿は広く人々に感動や勇気を与えた」と認められた。

 日ごろは東近江市布引陸上競技場(芝原町)の外周や、布施公園(布施町)の芝生で練習しているという小林さん。同競技場の外周の距離は当初東近江市が約1kmを目安としていたが、実際に走って「長いと感じた」。自ら測定器で計り、1・058kmあることを突き止めたエピソードもある。

 現在も1日8〜9km、月間で260〜270kmを走り、自分自身でマッサージをするなどのケアにも手を抜かない。「自分ではまだ若いと思っている。毎日同じような生活をしながら、自分を見つめ直すことが大切。これからも無理せずに仲間と走りたい」と力強く語った。
 高齢者の運動については「毎日やらないと筋力や心肺機能が衰えてしまう。一日10分でいいから少しでも体を動かして欲しい」と呼び掛けた。

<中日新聞より>
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清掃ボランティア200人 中学校庭きれいさっぱり(東近江市)

2021-10-29 09:00:00 | 東近江ライフ
 東近江市シルバー人材センターの会員らがこのほど、10月のシルバー事業普及啓発促進月間の一環として、東近江市内の中学校の除草作業に汗を流した。


↑写真:滋賀報知新聞より

 東近江市シルバー人材センターでは、毎年の10月第2水曜日を「シルバー環境美化の日」と指定し、東近江市内各地で清掃ボランティア活動を実施している。昨年までは東近江市内の公共施設でごみ拾いなどを行ってきたが、今年は市内7つの中学校で除草作業を実施。約200人の会員らが参加した。

 東近江市聖徳町の「聖徳中学校」では、校庭に散らばる落ち葉や枝木の清掃、グラウンドやフェンス際に生える雑草を刈ったりと、約2時間作業が行われた。合計で軽トラック17台分の草や枝木を回収した。
 榎木貞夫副理事長は「約1000人いる会員が一堂になって作業できる良い機会でもある。生徒たちが気持ちよく学校に通ってくれれば」と話した。

<滋賀報知新聞より>
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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第9回) 日本軍が玉砕したタラワ島

2021-10-29 06:00:00 | 海外の旅
 1976年春、Gibert諸島のタラワ(Tarawa)にはEllice諸島のフナフチ(Funafuti)から1週間後にAir Pacifiのプロペラ機で戻ってきた。
タラワとフナフチ間のフライトは週1便だったので、丁度1週間のフナフチ滞在だった。

 往路、タラワ(Tarawa)には5日間滞在した。TarawaではBetio島のロッジタイプのホテルに滞在した。ホテルは現地に在住する友人のイギリス人が手配してくれていた。海から少し離れ、静かで周囲にヤシの木があり、目的遂行にもってこいのローケーションだった。

 次回のブログに書く予定であるがその友人夫妻には滞在期間中お世話になり、今回の旅の目的実行をするための許可も彼がしてくれたのである。当時彼は国連の専門家だったが父と息子のように歳が離れていた。しかし、この時以降、長く友情は続き、この時から20数年後、彼はリタイアして故郷ウエールズに帰っていたが私はウエールズの彼を訪ね再会を果たしたのを昨日のように思い出す。

現キリバス(Kiribati)の当時はGilbert諸島の首都タラワ(Tarawa)島


  Gibert諸島のタラワ(Tarawa)島は、多少、戦史を知る方は誰でも知っている太平洋戦争で最初に日本軍が玉砕した島としても有名である。ミッドウェー海戦以降、転げるように戦況が悪化し、タラワ、サイパン・グアム、硫黄島へと続く玉砕は悲劇と言うほかない。



 「タラワの戦い」は、第2次世界大戦中の1943年11月21日から11月23日にかけて、ギルバート諸島のタラワ環礁ベティオ(Betio)島(現:キリバス共和国)で行われた日本軍守備隊とアメリカ海兵隊との戦闘が行われた。

 タラワ島はサンゴ礁でできた島で海抜1ー2mしかない。
1943年11月、アメリカ軍は艦砲射撃でヤシの木しかないタラワ島の形がなくなるほどの砲撃し、その後、無数の上陸用舟艇で小さなTarawaのBetio海岸に蟻のごとく押し寄せる米軍の上陸写真のことが今も記憶に残る。
こんな戦力の差では勝てる訳がない。降参がなかった日本軍の「戦陣訓」では玉砕しかなかったのだろうが悲劇というしかない。

 Betioの海岸には1976年時点でもトーチカ、日本軍の大砲1門、コンクリート製の守備隊本部基地がそのまま残っていた。また、海岸から少し入った所にコンクリートの日本軍の指揮所がそのまま残っていた。
 また、海岸や海岸近くの至る所には薬きょうが落ちていた。土産代わりに薬きょうを日本に持って帰ったのを覚えている。

  バイリキ(Biriki)島はタラワ環礁内では比較的小さな島だが、キリバス(Kiribati)共和国およびタラワ環礁の政治の中心地であり、実質的な首都機能を果たす。 但し、キリバス共和国議会はアンボ島にある他、いくつかの行政官庁はベシオ(Betio)島やビケニベウ(Bikenibeu)島に分かれて設置されており、いわゆる一極集中型の首都ではない。逆説的に言えば小さなサンゴ礁の島で一カ所集中できる面積もないことも言える。また、海抜差のないサンゴ礁の島々は今日的には気候変動による海面上昇の影響を受けているに違いない。
 Biriki島は事実上の首都で、Betio島は港がある。Bonrikiには戦時中に米軍が作った国際空港がある。
タラワ島(環礁)の中心地はBetio港~Bonriki国際空港まで焼く20km。当時は空港へはBetio港から船でBonrikiまで行った。

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