”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

2022年夏の甲子園 「近江」の夏終る 準決勝で「下関国際」に敗れる

2022-08-20 15:25:43 | 滋賀のスポーツ
 8月20日、第104回全国高校野球選手権大会準決勝戦で滋賀県代表「近江」は「下関国際」(山口)に「8対2」で敗れ、春のセンバツに続き決勝進出を逃した。



 「近江」はエース山田が本調子が出ず、初回から先行を許し、毎回ほど四球を出すなど苦しい投球が続き「下関国際」に加点を許した。山田は球数も多く不調の7回途中に降板し、「星野」に救援を託した。
 その後「星野」も追加点を許し、「近江」の最後のバッター山田も打ち取られ試合終了。結果「8対2」で試合巧者の「下関国際」に「近江」は敗れ去った。
「下関国際」はセンバツ優勝の「大阪桐蔭」と準優勝の「近江」も破った。 

 「近江」は滋賀に優勝旗をと、ここまで戦ってきたが今回も惜しくも初優勝はならずまたもや準決勝で夢は破れた。
 今年の「近江」はエース山田頼みのチームだった。「近江」の課題は複数の投手陣の育成である。
しかし、よく頑張った「近江」。拍手を送りたい。お疲れ様でした
今後の活躍を祈りたい。

 決勝は8月22日(月)、「仙台育英対下関国際」で初優勝を掛け戦う。


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【滋賀・近江の先人第272回】明治の画人・中川耕斎(長浜市)

2022-08-20 06:00:00 | 滋賀・近江の先人
 中川耕斎(天保9年(1838年)ー大正11年(1922年)山階荘乾村(長浜市山階町)の百姓吉左衛門の長男として生まれた。幼名は梅之助。
15歳で元服し龍輔と改名。生来の虚弱体質で農業を不向きと悟り、幼少より絵画を好み隣村の川崎村の僧淡崖師から絵の手ほどきを受け梅塘と名乗った。

 20歳で彦根の絵師吉田雪斎に師事し、蓬仙と改め、25歳で上京し岸竹堂に入門耕斎と改号、浩然堂とも号した。浩然堂は耕斎を初代とした中川家の屋号となる。
27歳の頃、加賀や越前の北国街道や美濃地方を歴訪している。
20歳代の若さで多くの墨客と交友を深め、30歳明治維新の年には郷里に帰り地元で多くの門人を指導する。
30歳代は坂田郡の村組合総代や区の副区長などの公務も行っている。
40-60歳代には画業に励み、67歳で神照村村長に当選している。
 傍ら、大岡松堂、大音龍太郎、小野湖山、日下部鳴鶴、三上藤川、江馬天江らとの親交を深めた。

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