”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

東近江バイオレッツ 第17回全日本女子硬式クラブ野球選手権大会 初戦勝利(8/26)

2022-08-26 13:27:44 | 滋賀のスポーツ
 
 ↑写真:東近江バイオレッツHPより

 「東近江バイオレッツ」は千葉県成田市と佐倉市で開幕の「第17回全日本女子硬式クラブ野球選手権大会」の初戦「」(埼玉)に「11対1」で順当に勝利した。

 「東近江バイオレッツ」」は初回から2点を先行し、攻撃中に降雨で中断した。雨は40分程で上がったがグランドは水浸しになり、特に本塁、ショートとセカンド周辺は酷かったが両軍の選手もグランド整備を手伝っていた。公式試合でこのような光景は珍しい。
 1時間15分の中断再開後もバイオレッツは追加点を加え7点としたがバイオレッツ投手「坂原」は制球が定まらず1点取られた。しかし、バイオレッツは  その後も着実に加点した。
 4回、投手を「長谷川」にスイッチした。この試合だけか定かでないがバイオレッツの投手陣は必ずしも盤石ではなく打線がカバーしないと苦しい。結果、4回「11対1」のコールドゲームで終了した。

 初戦を勝利した「東近江バイオレッツ」は明日27日(土)第3試合、前年度優勝の「エイジェック」と戦う。
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「東近江バイオレッツ」 勢いそのまま次は全国制覇へ 本日26日初戦発進

2022-08-26 08:00:00 | 滋賀のスポーツ
 東近江市を拠点に活動する女子硬式野球チーム「東近江バイオレッツ」は、26日に千葉県成田市と佐倉市で開幕する「第17回全日本女子硬式クラブ野球選手権大会」(一般社団法人全日本女子野球連盟主催)に出場する。
 日本の女子硬式野球界の頂点を決める全国大会に位置づけられる同大会。トーナメント制で、大会には全国の社会人・クラブチーム総勢34チームが出場を予定している。

↑写真:滋賀報知新聞より

東近江バイオレッツは8月26日(金)第2試合(10:30~・大谷津運動公園野球場)に「侍(埼玉)」と初戦を交える

 昨年のクラブ選手権では惜しくもベスト8で大会を終えた「バイオレッツ」だが、創設5年目の節目となる今年はチーム過去最多人数となる選手総勢24人と戦力を揃え、直近の公式戦だった強豪揃いの関西大会では初優勝を飾った。クラブ選手権でも優勝候補の一角として注目を集めている。
 また、今年からは大会の上位8チームは10月に開催される全日本選手権の出場資格が得られるため、各チームともクラブ選手権に力が入っている。

 決勝は8月29日(月)を予定。
結果や速報は同連盟の公式フェイスブックで確認できるほか、連盟が運営するユーチューブチャンネル「マドンナジャパンTV」では大谷津運動公園野球場で行われる試合の様子がライブ配信される。

<滋賀報知新聞より>

「東近江バイオレッツ」 今年も第17回全日本女子硬式クラブ野球選手権大会に出場
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コロナ感染拡大の影響で人員確保できず 「近江鉄道」が運行本数減便(滋賀県)

2022-08-26 07:00:00 | 滋賀TODAY
 滋賀県東部を走る「近江鉄道」は、新型コロナの感染が広がり、列車の運行に必要な人員が確保できないとして、8月29日から9月7日までの10日間、列車のおよそ2割を減便すると発表した。

 近江鉄道によると、感染拡大で、運転士や運行管理者などが新型コロナウイルスに感染したり濃厚接触者になったりして、運行に必要な人員35人のうち4人が足りなくなったという。
 このため近江鉄道は、8月29日(月)から9月7日(水)までの10日間にわたって、全体のおよそ2割の列車を減便することを決めた。
 影響があるのは近江鉄道の本線、八日市線、それに多賀線のすべての路線で、204本の列車のうち41本を運休にするほか、14本の行き先を変更するという。

 近江鉄道では、25日夕方、駅にお知らせを掲示するなど、対応に追われた。
近江鉄道は「今後の感染の影響によっては期間を延長する場合がある。お客様にご不便をおかけすることを心よりおわび申し上げます」としている。

<NHK大津より>
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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第31回) 西アフリカのリベリアでお世話になった日本人

2022-08-26 06:00:00 | 海外の旅
 1979年8月、西アフリカのコートジボアール(アイボリーコースト=象牙海岸)の次は「リベリア」だった。
 リベリア共和国、通称リベリアは、西アフリカに位置する共和制国家。北にギニア、西にシエラレオネ、東にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はモンロビア。アメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国され、1847年に独立し、現在のアフリカの中ではエチオピアに次いで古い国である。

 リベリアは日本の船の多くがリベリア船籍になっていることもあって何となく親しみのある国だった。 人口400万人の小奇麗な感じなとこで当時、治安も安定していた国の1つだった。

 リベリアでお世話になったのは首都モンロビアに滞在する日本の通信機メーカー出身のJICA専門家だった。現地で初めて会ったが彼とは同じ趣味の同好者で日本国内にいた時にそれぞれを認知していた。年齢も近く初対面でも旧知の仲間のように扱ってくれた。また、極短時間だったが趣味の運用もさせて貰った。
 彼は家族3人で赴任していて数日間彼のお宅でお世話になったが彼の奥さんの手料理で久しぶりの日本食の御馳走を頂いた。その彼は1980年代、日本に帰国数年後、病気で早世し、その時リベリアで会ったのが最後になった。

 あの時のリベリアは事実上、空港から彼の家の間しか見ておらず詳しい町の様子は殆ど見ていない。正にトランジットのリベリア滞在であった。
モンロビアの彼の家には2泊させて貰い、次の国ガンビアに向かった。
 途中、予定外のオートボルタ(アッパーボルタ=現ブッキナファソ)へ出かけたので旅程は1週間遅れていた。
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