日々なるようになる

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萌黄の館

2010-01-15 | 西日本で過ごした時の記録です。

 

 

 昨年暮れに訪れた「異人館街」 年明け早々に 再び訪れてきました。

大きな楠の木に囲まれた「萌黄の館」は、明治36年(1903)にアメリカ総領事

ハンター・シャープ氏の邸宅として建築されました。 木造2階建て、下見板張りの異人館で

2つの異なった形のベイ・ウィンドウー(張り出し窓)を始め、アラベスク風模様が施された階段

重厚なマントルピースなど、贅沢な意匠が随所にみられます。 その後、昭和19年(1944)に

小林秀雄氏(元神戸電鉄社長)の住宅になりました。 昭和55年(1980)に国の重要文化財に

指定され長らく 「白い異人館」 と呼ばれていましたが、62年(1987)からの修理で

建築当時の淡いグリーンの外壁に復元されて、この名がつけられました。

 

 

 クラシカルなタイルの意匠が目を引く暖炉のマントルピース (食 堂)

 

 

応 接 室

 

 

 

 

 

 窓で囲まれた開放的なベランダ。幾何学模様のフレームが美しいです。

 

 

 庭園の方に出てみますと ・・・ 一瞬 何か分からなかったのですが、なんと震災で煙突が庭に突き刺さっさたそうなのです。

平成7年(1995)1月17日午前5時46分 神戸市を始めとする阪神・淡路地域を

襲ったマグニチュード7.2の阪神大震災により、「萌黄の館」 も見どころのひとつである

3本の赤煉瓦化粧積みの煙突が全て落下するなど、大きな被害を受けました。

3本の煙突のうち中央の1本はメード室に、東側の1本は庭に落下して粉々になりました。

ここに展示している煙突は西側の煙突で、このような状態で庭に突き刺さっていました。

地震の激しさを後世に伝えるために、当時の状態をそのまま保存しています。

となっていました。 もうすぐ 1月17日になりますが もう15年になるのですね。

裏庭に このような状態で煙突があるとは ・・・ 衝撃でした。

海外(ハイチ)でも 大きな地震が報道されていますが ・・・ ホントに怖いですね。

 

 

 「萌黄の館」を後にして 坂道を降りていきますと 可愛い小物たちが目に入りました。

どれも可愛くて ・・・ 欲しいなぁ~と思うものばかりでしたが ・・・ 買いませんでしたけど ・・・ 

 

異人館街をあとにして 布引の滝へと向かいました。

 

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