早朝の東京スカイツリー
車窓から撮りました。 多分、荒川か隅田川のどちらかだと思いますが ・・・
隅田川の清洲橋だそうです。 sutaさんが教えて下さいました。
暑中お見舞い申し上げます。
毎日、暑い日が続いておりますが、皆様如何お過ごしでしょうか?
水道の蛇口からは ・・・ 「あれっ お湯 」 と勘違いするような毎日
暑さもこれからが 本番 となりますが ・・・
皆様、どうぞご自愛下さいね。
本 堂
正式には蓮華王院(国宝)といい、長寛2年(1164年)鳥辺山麓(現・阿弥陀ケ峯)の後白河上皇・院政庁
「法住寺殿」の一画に平清盛が増進した。 約80年後に消失したが、すぐに復興に着手し文永3年(1266年)に
再建されました。その後、室町・桃山・江戸そして昭和と四度の大修理により700余年間保存されています。
長いお堂は和様の入母屋・本瓦葺きの「総檜造り」で約120メートル。正面の柱間が33あることから「三十三間堂」と
通称され、堂内には1001体もの観音像が祀られています。また、見落としがちだが境内・南の通称「太閤塀」と
呼ばれる築地塀と南大門は、ともに豊臣秀吉ゆかりの桃山期の気風にあふれた重要文化財・建造物です。
日本唯一の千体観音堂 (国宝)
無限の慈悲 ・ 千体の観音立像
中央の巨像(中尊)を中心に左右500体(重文)、合計1001対がご本尊。
正しくは「十一面千手千眼観世音」 (じゅういちめんせんじゅせんげんかんぜおん)といい、当院の像は
檜材の「寄木造り」で、頭上の11の顔と40種の手に表現される。中尊(国宝)は、大仏師湛慶(運慶の長男)
82歳の時の造像で鎌倉期(建長6年)の名作と評価されています。等身立像の中、124体はお堂創建時の
平安期のもので、他の800余体は鎌倉期の再建の折に、約16年をかけて復興されました。
国 宝 「雷神」 と 「風神像」
堂内両端のひときわ高い雲座にのった風神と雷神像は力強く躍動的です。古代人の自然や天候に対する畏れや
感謝の心が、空想的な二神を創造し、風雨をつかさどり、「五穀豊穣」をもたらす神々として信仰されました。
太鼓を打つ雷さまと風の袋をかかえた風の神というイメージを決定づけた鎌倉彫刻の名品(国宝)です。
国 宝 「観音二十八部衆像」
観音像の前列と中尊の四方に位置する変化に富んだ28体の仏像(国宝)は、千手観音とその信者を
守るという神々でインド起源のものが多く、その神話的な姿が迫真的に表現されています。
技法的には檜材の「寄木造り」で、仏像の手や顔を別々に彫んで接着し、漆を塗って彩色仕上げをしたものです。
目にはより写実性を高めるため、水晶をはめ込む「玉眼」という技法が用いられています。
(いずれもパンフレットより)
千体観音は、いつ拝礼しても圧巻です。 一体、一体表情が違っています。
本堂の裏側です。
本堂の正面です。 撮影禁止となっていたため ・・・ 離れたところから
回 廊 塀
今回の京都散策は、いずれも以前訪れたところばかりですが、何度訪れても魅力満載でした。
時間的に、まだ余裕がありましたが、蒸し暑さにバテ気味の為 早めに切り上げることにしました。
京都の夏は暑いです。 次回は、涼しくなってから訪れたいと思います。
京都駅ですが、暑いのにも関わらず人が多いですね。
祇園祭もあり ・・・ 行きたいという気持ちは大でしたが、暑さに負けました。
京都駅の二階から上を見上げて すごい造りに でした。
羅城門をイメージして造られたそうです。
日本の鉄道駅舎としては」異例の国際指名コンペ方式で行われ、世界的に有名な建築家7名が名前を
連ねています。世界的に有名な建築家といいましても、黒川紀章さんしか知らないのですが ・・・
南 大 門
広隆寺は推古天皇十一年(603年)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の
日本七大寺の一つです。 この寺の名称は、古くは蜂岡寺、秦公寺、太秦寺などといわれましたが
今日では一般に 「広隆寺」 と呼ばれています。 広隆寺の成立に就いて、日本書紀によると
秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれをご本尊として建立したとあり、そのご本尊が現存する
弥勒菩薩であることが広隆寺資材交替実録帳を見ると明らかだそうです。
わが国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺は
衆生済度の道の探求、仏法への絶対的な帰依、そして 「和を以って貴しと為す」 平和な世界をめざされた
慈悲の権化である聖徳太子の理想に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺跡であり
信仰と芸術の美しい調和と民族の貴い融和協調とを如実に語る日本文化の一大宝庫であります。
南大門の両脇には、立派な金剛力士像が立っています。
薬 師 堂
国宝 ・ 重要文化財 講 堂
綺麗に色づいた葉に見とれて ・・・ 国宝なのに全景を撮らないなんて ・・・
講堂は永万元年(265年)再建された京洛最古の建物で、俗に赤堂といいます。
中央に西方極楽浄土で説法をされている印を結ぶ阿弥陀如来坐像(国宝)
地蔵菩薩坐像(重文)虚空蔵菩薩坐像(重文)を祀っています。
上宮王院太子殿 (本堂)
1730年に再建された入母屋造りの堂で本尊に聖徳太子像を祀っています。
この太子尊像には、太子のいとく偉徳功績を景仰(けいぎょう)せられる歴代天皇が
即位大礼にご着用の黄櫨染御ほう(こうろぜんごほう)の御束帯が即位後増進されて
各天皇御一代を通じてお召しになるならわしであります。
十の善き戒め
成る程~ そうですよね。 いつも心に留めておかなくては ・・・
新霊宝殿前の蓮池
小さな蓮の蕾が一輪、ひっそりと佇んでいました。
新 霊 宝 殿
新霊宝殿には、世界が絶賛した弥勒菩薩像 をはじめ、天平・弘仁
貞観・藤原・鎌倉と各時代の仏像を祀っています。
弥勒菩薩半跏思惟像 (みろくぼさつはんかしいぞう)
(パンフレットより)
国宝第一号で、「東洋のモナリザ」 といわれています。
弥勒菩薩は、須弥山(しゅみせん)の弥勒浄土といわれている兜率天にて、菩薩の行につとめられ
諸天に説法しお釈迦様にかわって全ての悩み、苦しみをお救いくださり正しい道へとお導き下さる
慈悲の仏様です。 この半跏思惟像は「一切衆生をいかにして救おうかと考えている」お姿を表しています。
広隆寺を訪れたのは、今回で二度目ですが、以前はこんなに立派な新宝霊殿などはなかったと記憶しています。
実に 良いお顔をした 「弥勒菩薩さま」 です。 再度、拝礼することができ嬉しく思っています。
この日は、雨で気温は然程でもなかったのですが ・・・ なにしろ蒸し暑くて参りました。
お昼も大分過ぎていましたし、休憩を取りたいと思っていましたら ・・・ 広隆寺の正面に京料理のお店が
蔵造り風の外観の洒落たお店でした。 京料理 「ひし伊」 というお店です。
お手拭の他に冷たいお絞りをだしてくださり ・・・ その心遣い嬉しいですね。 器も涼しげでしょう?
更に、お素麺と、デザート付きで ・・・ とても満足のいく美味しさでした。
皆さんも、こちらにお越しの節は寄ってみてくださいね。 お奨めのお店です。
こちらは 一番手頃な 「京弁当」 です。
さて、美味しいお料理をいただいて満足した後は ・・・ とりあえず、荒電 で四条大宮まで出ることにしました。
石 庭 (方丈庭)
室町幕府の武将 ・ 細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、宝徳2年(1450)に創建された
臨済宗妙心寺派の寺院で、有名な方丈の石庭に配置された15個の石は、一度に全てを見ることが
できないとか ・・・ 確かに、色々な角度から見ても、15個の石を見ることはできませんでした。
石群の鑑賞
石の象(かたち)、石群、その集合、離散、遠近、起伏、禅的、哲学的に見る人の思想
信条によって多岐に解されています。 (作庭者不明)
鏡 容 池 (きょうようち)
この池は徳大寺家によって築かれたもので、かつてはおしどりが群れ遊んだところから「おしどり池」と
呼ばれました。 石庭鑑賞後の一巡りも、ホッと心が和むのを覚えるのは、水の効果というものでしょうか。
池の堤防からは龍安寺全景の山々が古来の姿そのままに眺望され、四季それぞれの美しさは格別なのでは。
雨に濡れた紫陽花 そろそろ終わりのようでした。
庫 裡
石段の正面の建物が庫裡で、禅宗寺院建築の簡素にして重厚、特に木組と白壁の調和が
また、静寂のうちに構成美をかもしだしているようです。
木々に覆われて全景を望めないのが少々残念でしたが、静寂感を引き立てているようです。
石庭を静かに鑑賞していると、しだいに雨脚が段々強くなり、水のカーテンができていました。
まるで、滝の内側から石庭を鑑賞しているようでした。 自然の演出に感謝です。
方丈広間の襖絵 (非公開)
非公開となっていましたが、閲覧できるようになっていました。
今にも飛び出してきそう龍の襖絵 実に圧巻でした。
つくばい ・・・ 茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のこと
方丈の北東に据えてある銭型のつくばいは、一見 「 五・隹・疋・矢 」 の文字読まれますが、中心の 「口」 を
共用すれば、 「吾唯足知」 ・・・ われ ただ足るを知る
その意味合いから石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを「不満に思わず満足する心を
持ちなさい」という戒めであるといわれています。 水戸光圀の寄進といわれています。
「つくばい」 のすぐ側にある池ですが、木々の緑が水面に映り、エメラルドグリーン色が
神秘的な風情をかもし出していました。
大雨で雨宿りしながら 石庭をのんびりと眺めることができました。
殆どの方が、無言で石庭を眺め ・・・ 日常の慌しさをしばし忘れ、和んでいるようでした。
龍安寺を後にして 荒電の駅まで
大人 均一 200円 の為? 無人駅でした。
期限つきのようですが、土、日、祝 は、子供は無料ですって
京都市内唯一の路面電車だそうですょ。
太秦広隆寺駅まで
舎利殿 (金閣)
お釈迦様のお骨をまつった舎利殿「金閣」が特に有名なため、金閣寺と呼ばれていますが、正しくは 「鹿苑寺」と
いい、臨済宗相国寺派(りんざいしょうこくじは)の禅寺です。(1994年、世界文化遺産に登録されました。)
この地は、鎌倉時代に西園寺公経(さいおんじきんつね)の別荘北山第が在りましたが、足利三代将軍義満が
大変気に入り、応永4年(1397年)に西園寺家から譲り受け、山荘北山殿を造りました。 金閣を中心とした庭園
建築は極楽浄土をこの世に現したといわれ、後小松天皇(一休禅師の父)をお招きしたり、又、中国との貿易を
盛んにして文化の発展に貢献した所で、この時代の文化を特に北山文化といいます。
義満の死後、遺言どおり夢窓国師(むそうこくし)を開山(初代の住職)とし、義満の法号鹿苑院殿から
二文字をとり、鹿苑寺となづけられました。
梅雨の真っ只中 ・・・ 京都を訪れてきました。
雨が降ったりやんだり、時には大雨になったり ・・・ 雨宿りしながらの散策でした。
先月、銀閣寺を訪れましたが、銀閣寺といえば ・・・ お次は 「金閣寺」 ではないかと勝手に解釈です。
金閣寺は世界遺産に登録される前に訪れたことがありましたが、今一度訪れてみたいと思いまして ・・・
鹿苑寺の門を入ると、向こうから僧侶の方たちが一列に歩いてきました。
正面から撮りたかったのですが ・・・ 気がひけて撮れなかったので ・・・ 後ろ姿を させていただきました。
唐 門
池面に映る舎利殿を ・・・ と 思い 撮ったのですが、ぶれてしまっていました。
手前の菖蒲?を是非に入れて撮りたかったので ・・・ ちょっと欲張りすぎたかな
鏡湖池 (きょうこち)
陸舟の松 (りくしゅう)
京都三松の一つに数えられる、樹齢約600年の古木 (義満が自分で植えたといわれています)
美しい線を描いて伸びる姿が帆掛け舟に見立てられ、名付けられたそうです。
銀河泉 (義満公 御茶の水)
巌下水 (義満公 お手洗いの水)
龍門の滝
鯉が滝をのぼりきると龍になるという中国の故事「登龍門」にちなみ造られた
高さ2.3mの滝で、中央に鯉魚石(りぎょせき)が置かれています。
白蛇の塚
白蛇は弁才天の使いなり、弁才天は知慧弁舌芸能福徳を与える神で家運を盛んに
してくれます。 ここは繁栄を極めた西園寺家の旧跡です。 鹿苑禅寺
参道の上から望んだ 「金閣 ・ 舎利殿」
夕佳亭 (せっかてい)
江戸時代の茶道家 ・ 金森宗和が好んだ数寄屋造り茶席で、夕日に映える金閣が殊に佳いと
いうことから 「夕佳亭」と名づけられた茶席です。
不動堂
本尊は弘法大師が作られたと伝えられる石不動明王、霊験あらたかな秘仏として
広く一般に信仰されています。
金閣寺の建物の美しさは、数十年前に訪れた時と同じように美しいものでした。
が ・・・ 他の記憶は全然ありません。 いかに、ぽやっと見ていたのかがよくわかりました。
ブログをさせて頂いているお陰で、多少なりとも知識を得ることができていることに感謝です。