▼皇位継承まんがの『誰があなたを護るのか 不安の時代の皇 ( すめらぎ ) 』 ( 扶桑社、たとえばここ )は発刊からまだ4日目ですから、早い重版ではあります。
ネット書店や、街の書店ですでに僅少になり、もともと初版部数が少ないために本がまったく入って来ない書店もあることへの緊急対応だそうで、重版の部数も少ないです。
ネット書店や、街の書店ですでに僅少になり、もともと初版部数が少ないために本がまったく入って来ない書店もあることへの緊急対応だそうで、重版の部数も少ないです。
「青山さんは国会議員になってしまったから本が売れない」という版元の本音、不信感は変わっていないと思います。
そうでなければ、これだけ国民に読まれ始めれば、どっと重版になるはずが、そうではありません。
しかし発行部数は、あくまで版元に決定権があります。
また、担当編集者は、良くやってくださっています。
▼いずれにしても、まずは一度目の重版となり、「本が売れる売れないよりも、日本が日本であるために、ひとりでも多くの日本人に読んでいただきたい」という、ほんらいの目的へ、ちいさな半歩は踏み出しました。
ひとりで何冊も求めてくださり、周りに配ると仰るかたが、びっくりするぐらい多いことも含めて、ありがとうございます。
すでに読んでくださった、すべてのかたに、魂からの感謝を申しあげます。
そうでなければ、これだけ国民に読まれ始めれば、どっと重版になるはずが、そうではありません。
しかし発行部数は、あくまで版元に決定権があります。
また、担当編集者は、良くやってくださっています。
▼いずれにしても、まずは一度目の重版となり、「本が売れる売れないよりも、日本が日本であるために、ひとりでも多くの日本人に読んでいただきたい」という、ほんらいの目的へ、ちいさな半歩は踏み出しました。
ひとりで何冊も求めてくださり、周りに配ると仰るかたが、びっくりするぐらい多いことも含めて、ありがとうございます。
すでに読んでくださった、すべてのかたに、魂からの感謝を申しあげます。
ひとつ前のエントリーに記した河本敏夫さん、6月22日は命日ではなく誕生日でした。
かつて自由民主党に河本派があったとき、改革の志のある新人6人の代議士 ( 衆議院議員 ) が初当選を果たしました。
今津寛さん、簗瀬進さん、渡瀬憲明さんらです。
この6人と、記者だったぼくがつるんで、いつも6月22日に河本敏夫さんの誕生会をやっていたので、その日付が頭に残っていました。
河本さんにも、みなさんにも、たいへん失礼を致しました。お詫びして訂正します。
かつて自由民主党に河本派があったとき、改革の志のある新人6人の代議士 ( 衆議院議員 ) が初当選を果たしました。
今津寛さん、簗瀬進さん、渡瀬憲明さんらです。
この6人と、記者だったぼくがつるんで、いつも6月22日に河本敏夫さんの誕生会をやっていたので、その日付が頭に残っていました。
河本さんにも、みなさんにも、たいへん失礼を致しました。お詫びして訂正します。
▼きょうは、ぼくが若い政治記者の時代に、意見を率直に戦わせた、当時の総裁派閥の領袖 ( 会長 ) 、河本敏夫元通産大臣の命日です。
かつては、自由民主党の各派閥の会長を領袖 ( りょうしゅう ) と呼んでいました。この頃は言わないですね。派閥の機能がそれだけ弱まっているからでしょう。
また「総裁派閥」とは、時の自由民主党総裁、すなわち日本国内閣総理大臣を送り出している派閥のことです。
河本さんは、「笑わん殿下」と呼ばれ、ニコリともせず嵐のように演説し、有権者に媚びることを一切、言わない政治家でした。
他の政治家にも、社交辞令のようなことは、たぶん言いたくても言えないひとでした。
みなが本心から恐れていました。
ところが、河本さんのご自宅で夜か早朝にふたりだけで議論すると、たいへんよく笑われます。
ぼくは河本さんと意見の違いが多く、かなりの言い合いになりましたが、それをひとしきりやってから寛いで懇談していると、時の総理から始まって面白い月旦 ( 人物評 ) をなさり、ぼくが思わず吹き出すと、実に嬉しそうに笑われました。
ぼくが「会長、めがねの奥の眼がきれいですね」と思ったままを言うと、びっくりされました。
実際、とても分厚いメガネの奥をよく見ると、びっくりするぐらい眼が澄んでいるのです。世間のイメージとまるで違います。
あとで秘書さんに話すと、「あの人 ( 河本会長 ) がそんなことを言われたのは間違いなく、生まれて初めてやろ」と、河本さんよりもっと驚いた表情で、仰いました。
河本さんは今は、地元でちいさな銅像になって、永遠に立っておられます。
かつては、自由民主党の各派閥の会長を領袖 ( りょうしゅう ) と呼んでいました。この頃は言わないですね。派閥の機能がそれだけ弱まっているからでしょう。
また「総裁派閥」とは、時の自由民主党総裁、すなわち日本国内閣総理大臣を送り出している派閥のことです。
河本さんは、「笑わん殿下」と呼ばれ、ニコリともせず嵐のように演説し、有権者に媚びることを一切、言わない政治家でした。
他の政治家にも、社交辞令のようなことは、たぶん言いたくても言えないひとでした。
みなが本心から恐れていました。
ところが、河本さんのご自宅で夜か早朝にふたりだけで議論すると、たいへんよく笑われます。
ぼくは河本さんと意見の違いが多く、かなりの言い合いになりましたが、それをひとしきりやってから寛いで懇談していると、時の総理から始まって面白い月旦 ( 人物評 ) をなさり、ぼくが思わず吹き出すと、実に嬉しそうに笑われました。
ぼくが「会長、めがねの奥の眼がきれいですね」と思ったままを言うと、びっくりされました。
実際、とても分厚いメガネの奥をよく見ると、びっくりするぐらい眼が澄んでいるのです。世間のイメージとまるで違います。
あとで秘書さんに話すと、「あの人 ( 河本会長 ) がそんなことを言われたのは間違いなく、生まれて初めてやろ」と、河本さんよりもっと驚いた表情で、仰いました。
河本さんは今は、地元でちいさな銅像になって、永遠に立っておられます。
▼この6月は、喪ったひとが多いです。
まず、寛容なひとだった父を、繊維会社と自動車教習所の現役社長のまま医療過誤で思いがけず喪い、義母を介護の末に喪い、それから盟友の福岡浩・新潟大学教授を、ブータンの国民のためになさっていた山の地滑り調査の登り降り、その心臓負担のために喪いました。
いずれも、わが胸に焼きついています。
一方で、2年まえの6月20日に護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) が誕生しました。
また、初めてまんがの原作を書いた皇位継承まんが、『誰があなたを護るのか 不安の時代の皇 ( すめらぎ ) 』も難産の末に生まれました。
ひょっとして、物語の「わたしは灰猫」もかなと思って、おのれの本を見てみると、初版の発行は去年の11月、起稿は、19年まえの3月でした。しかし、ぼくの著作のなかには、6月に発刊したり、起稿した本もきっとあると思います。
6月は、花嫁さんにとっては、たいせつな月ですね。
そして雨模様のなかを夏へ向かう月です。
みなさん、くれぐれも、ご自分を大切に、今日一日を生きられますように。
ぼくはきょう、新動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の新しい放送の収録をおこないます。たくさんのチャンネル登録に、深く感謝しています。
まず、寛容なひとだった父を、繊維会社と自動車教習所の現役社長のまま医療過誤で思いがけず喪い、義母を介護の末に喪い、それから盟友の福岡浩・新潟大学教授を、ブータンの国民のためになさっていた山の地滑り調査の登り降り、その心臓負担のために喪いました。
いずれも、わが胸に焼きついています。
一方で、2年まえの6月20日に護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) が誕生しました。
また、初めてまんがの原作を書いた皇位継承まんが、『誰があなたを護るのか 不安の時代の皇 ( すめらぎ ) 』も難産の末に生まれました。
ひょっとして、物語の「わたしは灰猫」もかなと思って、おのれの本を見てみると、初版の発行は去年の11月、起稿は、19年まえの3月でした。しかし、ぼくの著作のなかには、6月に発刊したり、起稿した本もきっとあると思います。
6月は、花嫁さんにとっては、たいせつな月ですね。
そして雨模様のなかを夏へ向かう月です。
みなさん、くれぐれも、ご自分を大切に、今日一日を生きられますように。
ぼくはきょう、新動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の新しい放送の収録をおこないます。たくさんのチャンネル登録に、深く感謝しています。