▼物語の「わたしは灰猫」が、第三版の重版となることが決まったそうです。
もう消えゆく運命が待つだけだと思っていましたから、鬱屈を深めるばかりの不肖ぼくの内心にとっては、マッチ売りの少女がちいさなマッチの明かりを点してくれたような、知らせです。
版元の扶桑社に感謝し、諦めずに奔走してくれる編集者に感謝し、そして、そして何よりも誰よりも、灰猫と咲音を忘れないで居てくれる読者のみなみなさまに、あらためて敬意と感謝を捧げます。
▼本の重版ということに関連して、このエントリーを大幅に書き直しました。
大切なことを書き加えたつもりですから、よろしければ、クリックしてご覧ください。
▼「わたしは灰猫」は、もう書店にはほとんど無いようです。
今回の第三版は、ネット書店で残りわずかとなっていることへの対応だそうです。
たとえば、アマゾンでは「6月29日に入荷予定。今すぐご注文ください」(ここ)となっていますが、紀伊國屋書店のウエブストアでは「ご注文いただけません」(ここ)というショッキングなひと言が記されているだけとなっていますね。
版元の扶桑社に感謝し、諦めずに奔走してくれる編集者に感謝し、そして、そして何よりも誰よりも、灰猫と咲音を忘れないで居てくれる読者のみなみなさまに、あらためて敬意と感謝を捧げます。
▼本の重版ということに関連して、このエントリーを大幅に書き直しました。
大切なことを書き加えたつもりですから、よろしければ、クリックしてご覧ください。
▼「わたしは灰猫」は、もう書店にはほとんど無いようです。
今回の第三版は、ネット書店で残りわずかとなっていることへの対応だそうです。
たとえば、アマゾンでは「6月29日に入荷予定。今すぐご注文ください」(ここ)となっていますが、紀伊國屋書店のウエブストアでは「ご注文いただけません」(ここ)というショッキングなひと言が記されているだけとなっていますね。
▼ぼくは今日6月23日、東京オリンピック・パラリンピックに対するサイバーテロ対策の拠点、そのゲンバを、見ます。
見ます、と言うとなんだか他人事みたいで、実務担当者のみなさんに申し訳ないのですが、「視察」という言葉、その言葉に表れる評論家然とした、あるいは政治家然とした、姿勢が嫌いなのです。
ほんとうは、視察という言葉は「現地で事実を見極める」という意味であり、言葉そのものには責任がありません。まるで上から見おろすみたいに、しかも現場の邪魔をしながら、わずかに見て回るだけの政治家の行動が、この正しい日本語を歪めたと考えています。
見ます、と言うとなんだか他人事みたいで、実務担当者のみなさんに申し訳ないのですが、「視察」という言葉、その言葉に表れる評論家然とした、あるいは政治家然とした、姿勢が嫌いなのです。
ほんとうは、視察という言葉は「現地で事実を見極める」という意味であり、言葉そのものには責任がありません。まるで上から見おろすみたいに、しかも現場の邪魔をしながら、わずかに見て回るだけの政治家の行動が、この正しい日本語を歪めたと考えています。
不肖ぼくはそうならないように、この件でも努めます。
▼ただし、テロ対策の詳細は、現場を見たあとも語れません。
写真も撮りません。
日本の手の内を晒すわけにいきませんから。
▼ただし、テロ対策の詳細は、現場を見たあとも語れません。
写真も撮りません。
日本の手の内を晒すわけにいきませんから。
6月23日が巡ってきました。
多くのかたがご承知のように、昭和20年、西暦1945年の沖縄戦において「組織的な戦闘がやんだ」とされる日です。
白梅学徒看護隊の少女たちをはじめ、すべての沖縄戦の御魂 ( みたま ) に、変わらない祈りを捧げるとともに、あの静謐 ( せいひつ ) な、白梅の塔に、ひとりでもふたりでも、武漢熱が終わったあとにみなさまが訪ねてくださいますよう、あらためて伏してお願いをいたします。
多くのかたがご承知のように、昭和20年、西暦1945年の沖縄戦において「組織的な戦闘がやんだ」とされる日です。
白梅学徒看護隊の少女たちをはじめ、すべての沖縄戦の御魂 ( みたま ) に、変わらない祈りを捧げるとともに、あの静謐 ( せいひつ ) な、白梅の塔に、ひとりでもふたりでも、武漢熱が終わったあとにみなさまが訪ねてくださいますよう、あらためて伏してお願いをいたします。
ここです。
憤激のなかでも、公平さを保つように、懸命に努力しました。
主権者のみなさんの時間を取って申し訳ないです。できれば、よろしければ、問題意識を共有するために、視てください。
頭 ( こうべ ) を垂れて、お願いします。
憤激のなかでも、公平さを保つように、懸命に努力しました。
主権者のみなさんの時間を取って申し訳ないです。できれば、よろしければ、問題意識を共有するために、視てください。
頭 ( こうべ ) を垂れて、お願いします。