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雑感「日々是好日2」

NO MUSIC,NO LIFE.音楽好きなのんびり屋さんの日常をつづってゆきます。きょう一日が良い日であるように…。

右京くんとF1と日経アソシエ

2009-08-07 22:38:28 | Weblog
ときどき「日経Associe」という雑誌を
読むことがあるのですが、

そのなかに、
片山右京くんのインタビュー記事が
掲載されていました。
「ターニング・ポイント」についての
記事でした。

インタビュアーは
小松成美さん。
スポーツノンフィクションライターさんです。
(この方の書かれる記事は
 以前から好きでした。)


右京くんは
私とほぼ同世代です。





右京くんの「ターニング・ポイント」は
白血病の少年との出会いだったそうです。
F1レーサーになるのが夢だった少年。

あるボランティア団体からの連絡で、
右京くんは
その少年の存在を知り、
励ましに行ったそうです。
あきらめずに頑張れよ、と。


その後
2ヶ月ほどして
その少年は
亡くなったそうです。

その少年が
「片山さんに謝っておいて」と
残した言葉。

ここで引用するのは
差し控えますが、
右京くんは
その少年の言葉に
衝撃を受けたそうです。
少年の言葉が
右京くんの転機=
ターニング・ポイントになったそうです。



記事を拝読した私も
右京くんとはちがうかたちで
その少年の言葉に
衝撃を受けました・・・

「わたし、
 いま
 なんに
 負けてて、
 なにを
 あきらめようとしているんだろう」

そう思った。
あまりにもタイムリーで
びっくりしました・・。




写真のなかの
右京くんの目は
穏やかに思えました。






F1ドライバー時代の右京くんは
失礼な言い方になるのですが、
かわいらしく
アイドルっぽい感じに
私の目には映っていました。
もちろんそれは
個人的な感想にすぎません。

それまでの日本人F1ドライバー
中島悟さんや
鈴木亜久里さんと比較して
かわいらしい顔立ちの男性だなぁと
単にそう思ったのです。
モータースポーツには
まったく詳しくありません。


ただ、
フォーミュラワン
モータースポーツ界最高峰の競技は
大きな事故と隣り合わせで、
大きな事故は
命の危険につながっている。
そのことは
認識しているつもりです。


F1ブーム最盛期、
ユニコーンの奥田民生(=当時)や
オフコース(=当時)ファンである
会社時代の元同僚と
よく遊んでいたのですが、
その元同僚は
「音速の貴公子」
アイルトン・セナのファンでもありました。

元同僚の影響で、
フジテレビ系の深夜番組である
F1中継を見るようになっていきました。



たしか
ゴールデンウィーク中の
放送じゃなかったかなぁ?
実況が
広島出身の
三宅正治アナウンサーだったような気がする。

イモラ・サーキットで開催された
イタリア・サンマリノGPの放送を
たまたま見ていたんですよ。
アイルトン・セナが
コーナーで大クラッシュして
ヘリコプターで救急搬送されて
結局亡くなったときの放送を。

ラッツェンバーガーでしたっけ?
別の選手も
前日かなにかの走行で
事故死しているんですよね。

車体が脆く感じたのを覚えています。
F1がどんなに過酷な競技であるのか
見せ付けられたような気がしました。

まだその当時は
携帯電話がなかったから
その元同僚の家に
真夜中であるにもかかわらず
電話してしまったんですよ。

「いまF1見よる?」
「いやきょうは見とらん」
「すぐテレビつけて! 
 セナがたいへんなことになっとるんよ!」

とにかく
その元同僚に
連絡しなければ、と
衝動的に
電話してしまったんですよね。




右京くんといえばF1、
F1といえばアイルトン・セナ。
セナといえば
サンマリノGP・・・





もういまでは
モータースポーツの中継番組を
見るようなことは
なくなってしまいましたけど・・・





右京くんのインタビュー記事を
じっくり読ませていただいて、

少しだけ、
ほんの少しだけですが、
開き直ろうと、
吹っ切れようと、
思い始めた
自分がいました。




ありがとう右京くん。

ありがとう小松成美さん。

ありがとう日経アソシエ。






Helter Skelter ・・・ 愛をください

2009-08-07 22:03:55 | Weblog
やっと梅雨明けしたかと思ったら
もう立秋。
夏という感じがいまひとつうすいような
そんな広島です。





そういえば、
川村カオリ(川村かおり)さんが亡くなったことについて
書いてなかったなぁと。





「川村かおり」名義で
彼女が出てきたときのことを
なぜか覚えていて。
ファンでもなんでもなかったんですけどね。


当時、
音楽雑誌を
わりとよく読んでいたんですよ。

彼女の紹介記事があって、
「ZOO」も何回か聴いたことがありました。
エコーズの辻仁成の曲ですね。

日本人とロシア人とのハーフだという
紹介文も
あったような気がします。



(「ZOO」は
 のちに、菅野美穂さんが
 主演ドラマの役名名義でリリースしたんですよね。
 扁平な感じの楽曲だなぁとしか
 思わなかったんですけどね・・。)


川村さん、
きれいな顔立ちの
ボーイッシュな女性だなと
まっすぐな歌い方をするひとだなと
思いました。
その当時
ロックヴォーカリストって感じは
持ってなかったですね・・。


彼女の楽曲で
私が知っているのは
「ZOO」だけなんですよ。

テレビ番組「やまだかつてないテレビ」を
ときたま拝見していたはずなんですが、
「神様が降りてくる夜」という曲は
なぜか覚えていないの。





その後、
「婦人公論」だったかなぁ?
何かの雑誌をパラパラとめくっていたら、
「川村カオリ」という名前があって。

「芸名カタカナに変えたんだなぁ」とか思って。


母上様を乳がんで亡くして、
御自分が乳がんにかかっていた、というような
お話(インタビュー)が
その雑誌の記事になっていました。

「Helter Skelter」という
写真集でしたっけ?
乳がんの手術で乳房を切除した姿も
そのなかで公開された、というような
お話も
記事のなかに書かれていたような
覚えがあります。

悲愴なまでの覚悟や決意を
強さとかたくましさを
感じたような
覚えがあります。


闘病のなかで
すれちがいが生じて
離婚されて
シングルマザーになって。

「Helter Skelter」
同名の楽曲が
ビートルズのナンバーにありますよね。
らせん状のすべり台。



その後、がんが転移したんですよね。





今年にはいって
キヨシローさんの没後
「川村カオリ、清志郎魂でガンに負けない」とかいう
タイトルの
ウェブ記事をちらっと拝見しました。
ついこの間のことのような気がする。

アルバムをリリースして、
ライヴもやってたんですよね。



川村さん、
生きざまそのものが
ロックミュージシャンだったのかもしれない。

キッカワ(吉川晃司氏)が社長を務める事務所に
所属なさっていたことを
没後に知りました。




川村カオリ(かおり)さん、
おつかれさまでした。
御冥福をお祈りします。