月曜日に、診療時間ギリギリかけこみで
申し訳なかったのですが、
線維筋痛症の主治医の先生(開業医さんです)のもとを
訪ねました。
身体相変わらず痛くて痛くてしょうがないので。
先生は、
「さわった感じで、前回には
10の10(最悪レベル)だったものが、
きょうは
10の9になっているのだから、
頼むから希望だけは捨てないでください」
そうおっしゃいました。
筋肉量については
「心配するほど落ちてはいないから、
神経質にならないで」と。
お薬の眠気やふらつきについては
「それなら夕方と夜眠前処方に変えましょう。
ほんとうは、日中眠気が来るぐらいのほうが、
身体のためにはいいんですけどね・・。
あまり仕事に対して神経質にならないで、
ラクに構えることはできないでしょうかね・・」と・・。
仕事は仕事ですから・・
使わなくてもいい神経を
すり減らさなければならないような
厳しい状況が
日々続いていますのでね・・
私ひとりでどうこうできることではないので、
しょうがないですからね・・
主治医の先生御自身の
かなり疲れたお顔が
気になりました・・・
院内には、
この秋、新型インフルエンザが大流行するおそれがあること、
そのため、
自宅から最寄りの調剤薬局と連携を図るために
登録したいので、
最寄りの調剤薬局を申告してください、との
貼り紙がありました。
(うちは近くに調剤薬局がないんですよね。
ある程度出て行かないと、どうしようもないんですが・・
どっか探さないといけません)
ここまでは前置きでして。
以下本題です。
投稿がおそくなってしまいましたが・・
韓国の元大統領、キム・デジュン氏が
亡くなりました。
キム・デジュン氏というか
きん・だいちゅう(金大中)さん、という感じが
いまだになじみがある。
金大中事件のことは
よく知りませんが、
同氏がその後大統領に就任されたとき
「あぁ、日本で拉致?されたひとだっけ?」と
名前を思い出しました。
流暢な日本語話者でいらした記憶があります。
日本文化開放政策を進めたかたです。
もし同氏が大統領でなかったら、
日韓サッカーワールドカップ共催は
なかったのではないかと思いますし、
韓国の芸能人が来日して
芸能活動を行うようなことも
なかったのではないか、と思います。
日本国内にいながらにして、
K-POPを聴くことも
なかったかもしれないな、とも思います。
(東方神起のジェジュンさんの本名は
キム・ジェジュン=金在中=さんなのですが、
おかげさまで
とても覚えやすかったです)
わたしも
同氏の政策の恩恵にあずかる者の
ひとりなのかもしれません。
キム・デジュン氏の御冥福をお祈りします。
同じような時期に、
愛媛県大洲市の
現役の市長さん(大森隆雄市長)が
亡くなりました。
まだ60歳でした。
何年か前に、
生体肝移植の手術を
受けられていたように思います。
体調を崩されて
愛媛県東温市重信町の病院(おそらく愛媛大医学部附属病院だと思いますが)に
入院されており、
市長辞職の意思を
報道で拝見したばかりでした。
病状が思わしくなかったのでしょうか・・・。
市町村合併後の大洲市の舵取りの最中に
志半ばで、
さぞ無念だったことでしょう。
大森市長は、
大洲の御出身でした。
大洲が生んだ大洲の市長さんでした。
私は大洲市の出身ではありませんが、
その近隣の某市町村の出身です。
ですので、
中学校ぐらいまでは、
遠足だの何だので、
たまにですが、
大洲市内に足を運んだことはあります。
なぜか大洲御出身の先生が
多かったことと、
母方の伯母が大洲市内に嫁いでいた
縁があります。
中学校の音楽の先生も
大洲の御出身でした。
公立の中学校でしたが、
そこから学年で1人~2人、
募集定員30人(=当時)の
愛媛大の教育学部特別教科音楽教員養成課程
(地元愛媛では「特音」と略称しています)に
合格者を輩出するようなレベルでした。
私はブラバンに所属していました。
卓球部の「グラウンド外周10周」に始まる猛練習は
運動神経のないヘタレな私には無謀でついていけず
すぐに挫折しまして、
卓球部挫折仲間に誘われて、
ブラバンの門を叩きました。
顧問の先生は、
「みんなと合わせて奏でる」
音楽の楽しさを
まず第一に教えてくださいました。
中学校ほぼ3年間で学んだ
音楽的素養は
その後の私の
おおきな支えになりました。
大洲御出身の先生によって
私の音感の基礎は
培われたことになります。
顧問の先生がある日
大洲に連れて行って
くださいました。
愛媛県立大洲高校の前まで行って
校舎を眺めただけでしたが、
「ここが先生の母校なんよ」
先生は誇らしげでした。
外から眺めた
大洲高校は
伝統のある
落ち着いた学校に思えました。
当時中学生だった私の目からは、
高校生が
ずいぶんおとなで
おにいさん、おねえさんに
見えました。
できれば
その
大洲高校で
学びたかったのですが、
実家は、
出身地内にある
県立の某進学校以外の進学を
はじめから許可するつもりは
ありませんでしたので、
ハナっからあきらめました^^;
(あ!お断りしておきますが、
大洲高校も立派な進学校ですよ。
私の母校である某高校と
レベルさほど変わらないぐらい・・
いまでは大洲高校のほうが
ちょっと上かもしれないです・・。
私の母校は何年か前に、
「21世紀枠」で
センバツ=春の全国高校野球甲子園大会=出場を
果たしましたが、
理由が「地方にありながら文武両道を果たしている」とかなんとかで。
卒業生のはしくれとして、出場はうれしかったんですけど、
「ウチが文武両道で甲子園行けるんだったら、
愛媛県立のどの高校も、みんな甲子園行けるよなぁ^^;」とも
ついつい思ってしまったものです・・)
大洲市の発展には
目を見張るものがあります。
もともと土地の広さや
交通の便には
比較的恵まれていましたから、
何らかの形で、
愛媛県南予地方の
結節点、
中心的役割を
果たすことになるだろうなとは
思っていました。
大森市長
おつかれさまでした。
ふるさと大洲の行く末を
みまもってください。
御冥福をお祈りします。
申し訳なかったのですが、
線維筋痛症の主治医の先生(開業医さんです)のもとを
訪ねました。
身体相変わらず痛くて痛くてしょうがないので。
先生は、
「さわった感じで、前回には
10の10(最悪レベル)だったものが、
きょうは
10の9になっているのだから、
頼むから希望だけは捨てないでください」
そうおっしゃいました。
筋肉量については
「心配するほど落ちてはいないから、
神経質にならないで」と。
お薬の眠気やふらつきについては
「それなら夕方と夜眠前処方に変えましょう。
ほんとうは、日中眠気が来るぐらいのほうが、
身体のためにはいいんですけどね・・。
あまり仕事に対して神経質にならないで、
ラクに構えることはできないでしょうかね・・」と・・。
仕事は仕事ですから・・
使わなくてもいい神経を
すり減らさなければならないような
厳しい状況が
日々続いていますのでね・・
私ひとりでどうこうできることではないので、
しょうがないですからね・・
主治医の先生御自身の
かなり疲れたお顔が
気になりました・・・
院内には、
この秋、新型インフルエンザが大流行するおそれがあること、
そのため、
自宅から最寄りの調剤薬局と連携を図るために
登録したいので、
最寄りの調剤薬局を申告してください、との
貼り紙がありました。
(うちは近くに調剤薬局がないんですよね。
ある程度出て行かないと、どうしようもないんですが・・
どっか探さないといけません)
ここまでは前置きでして。
以下本題です。
投稿がおそくなってしまいましたが・・
韓国の元大統領、キム・デジュン氏が
亡くなりました。
キム・デジュン氏というか
きん・だいちゅう(金大中)さん、という感じが
いまだになじみがある。
金大中事件のことは
よく知りませんが、
同氏がその後大統領に就任されたとき
「あぁ、日本で拉致?されたひとだっけ?」と
名前を思い出しました。
流暢な日本語話者でいらした記憶があります。
日本文化開放政策を進めたかたです。
もし同氏が大統領でなかったら、
日韓サッカーワールドカップ共催は
なかったのではないかと思いますし、
韓国の芸能人が来日して
芸能活動を行うようなことも
なかったのではないか、と思います。
日本国内にいながらにして、
K-POPを聴くことも
なかったかもしれないな、とも思います。
(東方神起のジェジュンさんの本名は
キム・ジェジュン=金在中=さんなのですが、
おかげさまで
とても覚えやすかったです)
わたしも
同氏の政策の恩恵にあずかる者の
ひとりなのかもしれません。
キム・デジュン氏の御冥福をお祈りします。
同じような時期に、
愛媛県大洲市の
現役の市長さん(大森隆雄市長)が
亡くなりました。
まだ60歳でした。
何年か前に、
生体肝移植の手術を
受けられていたように思います。
体調を崩されて
愛媛県東温市重信町の病院(おそらく愛媛大医学部附属病院だと思いますが)に
入院されており、
市長辞職の意思を
報道で拝見したばかりでした。
病状が思わしくなかったのでしょうか・・・。
市町村合併後の大洲市の舵取りの最中に
志半ばで、
さぞ無念だったことでしょう。
大森市長は、
大洲の御出身でした。
大洲が生んだ大洲の市長さんでした。
私は大洲市の出身ではありませんが、
その近隣の某市町村の出身です。
ですので、
中学校ぐらいまでは、
遠足だの何だので、
たまにですが、
大洲市内に足を運んだことはあります。
なぜか大洲御出身の先生が
多かったことと、
母方の伯母が大洲市内に嫁いでいた
縁があります。
中学校の音楽の先生も
大洲の御出身でした。
公立の中学校でしたが、
そこから学年で1人~2人、
募集定員30人(=当時)の
愛媛大の教育学部特別教科音楽教員養成課程
(地元愛媛では「特音」と略称しています)に
合格者を輩出するようなレベルでした。
私はブラバンに所属していました。
卓球部の「グラウンド外周10周」に始まる猛練習は
運動神経のないヘタレな私には無謀でついていけず
すぐに挫折しまして、
卓球部挫折仲間に誘われて、
ブラバンの門を叩きました。
顧問の先生は、
「みんなと合わせて奏でる」
音楽の楽しさを
まず第一に教えてくださいました。
中学校ほぼ3年間で学んだ
音楽的素養は
その後の私の
おおきな支えになりました。
大洲御出身の先生によって
私の音感の基礎は
培われたことになります。
顧問の先生がある日
大洲に連れて行って
くださいました。
愛媛県立大洲高校の前まで行って
校舎を眺めただけでしたが、
「ここが先生の母校なんよ」
先生は誇らしげでした。
外から眺めた
大洲高校は
伝統のある
落ち着いた学校に思えました。
当時中学生だった私の目からは、
高校生が
ずいぶんおとなで
おにいさん、おねえさんに
見えました。
できれば
その
大洲高校で
学びたかったのですが、
実家は、
出身地内にある
県立の某進学校以外の進学を
はじめから許可するつもりは
ありませんでしたので、
ハナっからあきらめました^^;
(あ!お断りしておきますが、
大洲高校も立派な進学校ですよ。
私の母校である某高校と
レベルさほど変わらないぐらい・・
いまでは大洲高校のほうが
ちょっと上かもしれないです・・。
私の母校は何年か前に、
「21世紀枠」で
センバツ=春の全国高校野球甲子園大会=出場を
果たしましたが、
理由が「地方にありながら文武両道を果たしている」とかなんとかで。
卒業生のはしくれとして、出場はうれしかったんですけど、
「ウチが文武両道で甲子園行けるんだったら、
愛媛県立のどの高校も、みんな甲子園行けるよなぁ^^;」とも
ついつい思ってしまったものです・・)
大洲市の発展には
目を見張るものがあります。
もともと土地の広さや
交通の便には
比較的恵まれていましたから、
何らかの形で、
愛媛県南予地方の
結節点、
中心的役割を
果たすことになるだろうなとは
思っていました。
大森市長
おつかれさまでした。
ふるさと大洲の行く末を
みまもってください。
御冥福をお祈りします。