きょうは3月20日。
カレンダーは
きょうから3日間
青い文字と赤い文字で
日付が印刷されています。
3連休のかたもいらっしゃるかもしれません。
「連休のかたにとっては
穏やかな行楽日和?」的な
晴れ間で始まったはずのきょう一日は、
雲が広がり、
そして
強めの風が吹き
雨粒が落ちてきました。
あっという間に大雨。
雷鳴もきこえました。
いまは
雨音もだいぶ静かになったようです。
広島県内では
「竜巻に関する注意情報」が
気象庁(気象台)から出ていたようです。
あすも
荒れ模様のお天気が続く地方も
あろうかと思います。
気象情報や交通機関の情報に
御注意くださいね。
>国土交通省 気象庁ウェブサイト
きょうは午後から
野暮用で
街に出ておりましたが、
出先で突然
FMS特有の痛みに襲われました。
それは
わたしにとっては
身体で感じる
天候の変わりめの合図でもありました。
「天気予報が当たったんだな」と思いました。
用事を途中で切り上げて
わたしは帰路につきました。
某公共交通機関の車内で
たまたま乗り合わせた
ほかのお客さんの
甲高い話し声で
痛みが増幅してしまって・・
車内でひたすら耐えました。
そのお客さんたちには
悪気はないのだから。
「悪いんじゃが
もうちょっと静かにしてくれんかね」と
言いたくなる気持ちを
抑えました。
誇張抜きで必死でした。
下車したときにはフラフラでした。
たった数分。
わずかな停留所どうしの間が
とてつもなく
長い長い苦痛に感じられて、
あれ以上耐え忍ぶことは
もうムリだったと思う。
情けないよなぁ。
これでこんな調子じゃ
梅雨シーズンの車内とか
どうするんだ・・?
ワンマンカーなので
車内には必要な音声も
同時に流されています。
ただひたすら耐えるしか
方法がないからなぁ・・・
現場復帰への
高いハードルのひとつが
変わらずにおおきく
立ちはだかっているのを
思い知らされました・・orz
いま
番組の途中からですが、
「地下鉄サリン事件」のドラマを
視聴しています。
長時間番組なので
きついなと思ったのですが、
あの事件のことを
忘れてはいけないという気持ちになりまして。
月曜日の朝。
週の始まり。
通勤ラッシュの
東京営団地下鉄(現在の東京メトロ)の車内で
朝8時ちょうどに
サリンが撒かれました。
いわゆる「地下鉄サリン事件」。
それは
1995年3月20日に起きた事件でした。
阪神・淡路大震災と同じ年。
そして
「真面目で几帳面な努力家」を絵に描いたような存在の
フリーアナウンサー
逸見(いつみ)政孝さんが
働き盛り…絶頂期に襲われた
病との凄絶な闘いの末に
48歳の若さで
クリスマスに亡くなったのと同じ年。
あの年を契機に
よのなかが
おおきく変わり始めたような、
「あたりまえ」が
揺らぎ始めたような・・
とてつもない恐怖感を
覚えたものです。
いま
あらためて思うこと。
ひとを間違ったほうへ
導いてはいけない。
間違っていると思うのならば
導かれてはいけない。
「その道は間違っているのでは?」と
疑問を感じるのなら
自分で立ち止まって
考え直さなければならない。
ひとのこころには
強さも
弱さも
あるから
揺らぐこともある。
なにかに左右されることや
影響を受けることも
あるのかもしれない。
だからこそ
ひととしての
こころをみる目と
こころの声をきく耳を
絶やしてはならない。
地下鉄含めた公共交通機関を
安心して利用できる日々が訪れて
駅の構内にゴミ箱が再び置かれるようになった
いまでも
あの事件は
決して昔話ではないと。
カレンダーは
きょうから3日間
青い文字と赤い文字で
日付が印刷されています。
3連休のかたもいらっしゃるかもしれません。
「連休のかたにとっては
穏やかな行楽日和?」的な
晴れ間で始まったはずのきょう一日は、
雲が広がり、
そして
強めの風が吹き
雨粒が落ちてきました。
あっという間に大雨。
雷鳴もきこえました。
いまは
雨音もだいぶ静かになったようです。
広島県内では
「竜巻に関する注意情報」が
気象庁(気象台)から出ていたようです。
あすも
荒れ模様のお天気が続く地方も
あろうかと思います。
気象情報や交通機関の情報に
御注意くださいね。
>国土交通省 気象庁ウェブサイト
きょうは午後から
野暮用で
街に出ておりましたが、
出先で突然
FMS特有の痛みに襲われました。
それは
わたしにとっては
身体で感じる
天候の変わりめの合図でもありました。
「天気予報が当たったんだな」と思いました。
用事を途中で切り上げて
わたしは帰路につきました。
某公共交通機関の車内で
たまたま乗り合わせた
ほかのお客さんの
甲高い話し声で
痛みが増幅してしまって・・
車内でひたすら耐えました。
そのお客さんたちには
悪気はないのだから。
「悪いんじゃが
もうちょっと静かにしてくれんかね」と
言いたくなる気持ちを
抑えました。
誇張抜きで必死でした。
下車したときにはフラフラでした。
たった数分。
わずかな停留所どうしの間が
とてつもなく
長い長い苦痛に感じられて、
あれ以上耐え忍ぶことは
もうムリだったと思う。
情けないよなぁ。
これでこんな調子じゃ
梅雨シーズンの車内とか
どうするんだ・・?
ワンマンカーなので
車内には必要な音声も
同時に流されています。
ただひたすら耐えるしか
方法がないからなぁ・・・
現場復帰への
高いハードルのひとつが
変わらずにおおきく
立ちはだかっているのを
思い知らされました・・orz
いま
番組の途中からですが、
「地下鉄サリン事件」のドラマを
視聴しています。
長時間番組なので
きついなと思ったのですが、
あの事件のことを
忘れてはいけないという気持ちになりまして。
月曜日の朝。
週の始まり。
通勤ラッシュの
東京営団地下鉄(現在の東京メトロ)の車内で
朝8時ちょうどに
サリンが撒かれました。
いわゆる「地下鉄サリン事件」。
それは
1995年3月20日に起きた事件でした。
阪神・淡路大震災と同じ年。
そして
「真面目で几帳面な努力家」を絵に描いたような存在の
フリーアナウンサー
逸見(いつみ)政孝さんが
働き盛り…絶頂期に襲われた
病との凄絶な闘いの末に
48歳の若さで
クリスマスに亡くなったのと同じ年。
あの年を契機に
よのなかが
おおきく変わり始めたような、
「あたりまえ」が
揺らぎ始めたような・・
とてつもない恐怖感を
覚えたものです。
いま
あらためて思うこと。
ひとを間違ったほうへ
導いてはいけない。
間違っていると思うのならば
導かれてはいけない。
「その道は間違っているのでは?」と
疑問を感じるのなら
自分で立ち止まって
考え直さなければならない。
ひとのこころには
強さも
弱さも
あるから
揺らぐこともある。
なにかに左右されることや
影響を受けることも
あるのかもしれない。
だからこそ
ひととしての
こころをみる目と
こころの声をきく耳を
絶やしてはならない。
地下鉄含めた公共交通機関を
安心して利用できる日々が訪れて
駅の構内にゴミ箱が再び置かれるようになった
いまでも
あの事件は
決して昔話ではないと。