New Yorkのジャズピアニスト、クニ三上(Kuni Mikami)のブログ

ツアーの様子を中心にお伝えしています。

ブラジル公演記9日目「ブラジリア」

2009-10-16 20:05:00 | 2009年10月ブラジル
 朝、コンピューターは目が覚めても昨晩の状態のままである。起きる気がしない、「ア~ア」。

 午後に迎えが来て昨日の学校へ向かう。講師のベースとドラムが共演するのでリハーサルをする。そのままコンサートに突入、前半はソロピアノで日本のメロディを、後半はトリオでジャズを演奏する。

 大きなヤマハのフルコン、2年前に購入との事で新品の良い音がする。この国では輸入税が高いのでこのピアノは2千万円近いという。この素晴らしい趣旨を持つ学校に誰か(ピアノ会社かな)ピアノを寄付していただきたい。

 ホテルに戻り、国際交流基金に提出する報告書を旅の始めから書き始める。思い出せない人名もあって・・・とっても大変。


演奏風景

ブラジル公演記8日目「ブラジリア」へ

2009-10-15 00:52:00 | 2009年10月ブラジル
 朝5時半にチェックアウト、空港に向かう。首都ブラジリアまで2時間半。近未来を思わせる数々のユニークな建造物は、この赤土の原に50年前に造られたという。

 病院は病院、官庁は官庁と1ヶ所に同じ職種の建物が集まっている。通りは名称ではなく番号が割りふられていて、味気ないが迷う心配はない。上空から見ると「翼を広げた鳥」の形に計画的に建物が配置された人口都市であるから、迷うような路地も存在しない。

 空港から今日の会場である連邦公立の音楽学校へと直行する。生徒を対象にワークショップ、ジャズの歴史を演奏を交えながら講義する。最後に生徒3人が演奏、ボサやジャズを巧みに弾くので、この学校のレベルの高さを認識する。オーディションに通過すればここでの学費は無料との事、生徒数1500人、講師は250人、35年前に開校した。

 昼の食事は「取った分量の重さを計ってそれに応じた金額を払う」式のビュッフェ。これは良い、私の好きなものだけを選べるし、量も加減できる。ライスと豆、プリンも美味しかった。

 夜は高級レストランで公使や学校関係者と会食。たこライスを注文したら、リゾットの上に12cm位のたこの足がドテッとのっかったものが出てきた。これが見た目は大雑把だが柔らかくて美味しかった。

 ホテルに戻り、コンピューターの動きを迅速にしようと思って何かを押したら「初期化」されてしまった。英語の環境だったので、そんなことになるとは思いもしなかった。で、これまで書いたブラジル公演記録は写真も含めてぜ~んぶ消滅、ブログに載せておいて良かった!ブログから文章と写真を逆保存する。参ったね・・・。

 それ以外の過去2年間のドキュメントも消えてしまった・・・どこかに隠れてんじゃないの、NYに戻ってから専門家に見てもらったら、という意見に希望を託して寝る。



ブラジル公演記7日目「レシフェ」

2009-10-13 14:06:00 | 2009年10月ブラジル
 朝食のビュフェテーブルにはカシューのジュースがある。先日見たカシューナッツの赤い実のジュースだ、甘くはない飲みものだ。
 
 さて演奏ツアーも1週間を過ぎると「コインランドリー」がどこにあるか?が気になってくる。自分の家に洗濯機を持たない人が多いマンハッタンならいくらでもあるのだが・・・・・・。

 日本でも案外探すのが難しいが、ビジネスホテルだと洗濯機のコーナーがあったりする。ブラジルはどうか?洗濯屋さんはあるのだが、そこに数枚のパンツだけを持って行ってOKなのか?スーパーで買った方が安いような気もするし・・・・・・。この周囲には発見できず。

 CITIBANKは便利である。サンパウロでもレシフェでもホテルのすぐそばにあったから、カードを使ってNYの自分の口座から現金を引き出すと、現地通貨で出てくる。換金率はどうなのか判らないが。

 さて、ここでは貧富の差が激しいとのことで、目の前に高層マンションが立ち並ぶ地域にあるホテルでの滞在にもかかわらず「昼間でも外に出ないで下さいね、銀行に行ったら出て来る時に襲われるかも」などというアドバイスを受ける。

 典型的なツーリストみたいな格好でなければ良い、というので、フィリピンで買ったランニングと使い古しの短パンとサンダルで現地の人に変装する、が肌が焼けていないので新参者と見破られるかもしれぬ。

 真夏の太陽がさんさんとふりそそぐ下を息をつめて早足で百mくらいの所にあるCITIBANKで換金、出るときには周囲をキョロキョロしながらホテルに戻る。セーフであった。

 これなら、という訳で今度は財布や腕時計を持たずに近くのスーパーへ。貧しい地区だというのに、巨大な店内には冷蔵庫から食料品まで、値段を読み取る機械があったり、店員がローラースケートで動き回っていたり・・・この国の人には当たり前の光景なのだろうが、外国人の私の目には習慣の違いが面白い。

 山ほど大量の食品を買い込む人ばかりで姿格好は普通なので、貧富のどのあたりの階層の人達なのか、と考えるが判らない。

 ここもサンパウロのように狭い道が多い。大きな道路の信号には残り秒数を表示するものもある。これは便利だ。が、信号の数が少ないので、むこうから来る車の合間をぬって渡るのはなかなか至難の業である。「遠くに見えても車は早い」


バナナはちょっと形が違う


スーパーの店員もローラースケート


鮫に注意の海岸


ブラジル公演記6日目「レシフェ」

2009-10-13 00:32:00 | 2009年10月ブラジル
 ここは電圧が220Vなので持参した湯沸しポットのお湯が「アッという間に」沸いてしまう。濃厚な電流が流れているような感じである。

 昨日は海ばかりに気をとられていたが、ここは海辺の避暑地というわけではなく、ホテルの反対側には高層ビルが立ち並ぶ都会なのであった。空気の湿っているマイアミやバハマとは違って、今の季節ここは乾燥しているからベッドもじっとりしないし、潮臭さも無く快適である。

 ペルナンブコ音楽院にて10時からワークショップ。ピアノ以外の楽器を演奏する生徒も参加していて、私が数曲演奏した後の質疑応答では色々と興味深い質問を受け、熱心さが伝わってくる。

 午後は先生にも加わって頂いて公開ジャム・セッションを行う。ベースもドラムも耳が良いのでうまく私に付けてくれる。65歳のサックス奏者も加わり、さらに英語→ポルトガル語の通訳をしてくれたアメリカ人Ruby(フビイと発音)さんがボーカルも披露、楽しい1時間半となる。

 80人収容の学校の録音スタジオに120名もお客さんが来てくれて、立ち見となる。新聞に大きく写真入りで記事になったおかげであろうか。

 夕食はこの演奏家達と一緒に名物の肉料理の店へ行く。次々に目の前にやって来る長い串に貫かれた各部位の牛や鶏を好みの厚さに切り分けてくれる。何と寿司まである!デザートも豊富。サラダバーも充実している。

 食べ終わるとバンドの演奏が始まった。何と、さっき一緒に演奏したドラマーのおじさんにあたる人が叩いている。彼の家系はドラム一家と判明した。

 夜になって外は気持ち良い暖かさになっている。


音楽院長のあいさつ


共演者たち


ここも立派な垂れ幕を作ってくれました

ブラジル公演記5日目「レシフェ」へ

2009-10-12 11:38:00 | 2009年10月ブラジル
 朝6時半出発。空港まで送って下さった交流基金の方、早くから有難うございました。

 3時間で到着のレシフェは、ブラジルの地図で見ると右上の海岸沿いの都市。空港でのお出迎えにビックリ!

 外は真夏です。フランスのニースを思わせる海岸に沿ったホテルからの眺望の良い事!窓から入る心地よい風に吹かれてすっかり良い気分。

 担当の方のおすすめのレストランで、まったりと美味しい「タコのスープ」と、私には充分だった大きさの「子供用ステーキ」。塩味のお米も良かったのでした。

 途中、世界遺産に登録されているオリンダの丘を見学。坂道の石畳を丘の上まで車で走るのはなかなかの醍醐味。カーニバル用の超大きな人形や木彫りの車、鶏をかたどった土器、おみやげにと購入。すでにサンパウロを離れた時点でスーツケースはこれもおみやげにと買ったコーヒー豆や衝動買いした靴などで満杯状態なのに!

 「緑のマンゴのついている樹」「カシューナッツは柿に似た果物のヘタに出来る!」との話、で驚く。写真をご覧下さい。
 
 夕食は領事館の皆さんと「バイア料理」へ。「タコの御飯」や魚貝を煮込んだシチュー「ムケッカ」は実に美味しかった。

 と、ここまで書いてきたら突然に停電である。いいね!

 コンピュターの強制終了、と同じだ。ニューヨークでも定期的に停電にすると良いと思う。真っ暗、コンピューターも使えない、電話も鳴らない、歩き回れないから部屋でジッとしている。一人で静かに静寂のひと時を楽しむのも良し、毎日顔をあわせている家人とも、何か別の話題で会話が出来そうだ。停電は必要なんだ、と思う。

 20分後に明かりがついた。ホテル内でのアナウンス無し、ここでは日常的な出来事なのかも?


空港お出迎え


ラシフェ空港の清掃員(足元に注目)


ホテル室内。窓の向こうは海


タコのスープ


まだ緑のパパイアのついた樹


柿の実のようなカシューナッツ


カーニバル人形


ムケッカ・御飯にかけて食べる。美味しい


タコご飯