ここ数年部屋にテレビを置かない生活をしています。少し偏向しているかもしれないですが、お気に入りのブログで世の中の流れをチョイスし、あとは専ら読書をして自分なりの世界観を形作っていきたいと思っているのですが…。ここ数日想定していない出来事があり、気分転換もかねてチャップリンの短編映画を6本ほど観ました。1915年のアメリカ時代の映画ですがかなり楽しめました。
下記「」内引用
「5歳頃、母が健康を害し声がかすれて歌えなくなる。 母に連れられ劇場に出入りしながら覚えた見よう見まねで母に代わり舞台に立つ。 これが初舞台となる。」
「7歳、極貧生活の中、母が精神に障害を来たし精神病院に収容される。 以後入退院を繰り返すことに。 幼い兄弟は孤児院を転々としながら学校に通う。」
舞台で成功した彼の生涯は輝かしい栄光の日々でしたがその半面アメリカでは大変な抵抗と迫害にあうなど私生活も含めて波瀾万丈の生涯に驚きを禁じえません。彼は日本が大好きで秘書も運転手も料理人もほとんど日本人のスタッフを雇っていました。1932年5月14日に神戸港に入港し「翌日には、一部軍人が蜂起して犬養毅首相を殺害した「五・一五事件」が発生、チャプリンも“外国文化の象徴”として標的にされていたことが、裁判記録などから明らかになっている」そうです。
いろいろチャップリンの生き方と思想について調べていくと興味深い歴史的事実が沢山あります。
これからすべてのチャップリンに関係する映画をみてみたいと思っています。
『薔薇は美しく咲くのではない。一生懸命咲いているから美しいのだ。『ライムライト』より』
『私は肩書きに興味はない。尊敬するのは、その人の業績だけだ。』
『死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。『ライムライト』より』
チャールズ・チャップリン
下記「」内引用
「5歳頃、母が健康を害し声がかすれて歌えなくなる。 母に連れられ劇場に出入りしながら覚えた見よう見まねで母に代わり舞台に立つ。 これが初舞台となる。」
「7歳、極貧生活の中、母が精神に障害を来たし精神病院に収容される。 以後入退院を繰り返すことに。 幼い兄弟は孤児院を転々としながら学校に通う。」
舞台で成功した彼の生涯は輝かしい栄光の日々でしたがその半面アメリカでは大変な抵抗と迫害にあうなど私生活も含めて波瀾万丈の生涯に驚きを禁じえません。彼は日本が大好きで秘書も運転手も料理人もほとんど日本人のスタッフを雇っていました。1932年5月14日に神戸港に入港し「翌日には、一部軍人が蜂起して犬養毅首相を殺害した「五・一五事件」が発生、チャプリンも“外国文化の象徴”として標的にされていたことが、裁判記録などから明らかになっている」そうです。
いろいろチャップリンの生き方と思想について調べていくと興味深い歴史的事実が沢山あります。
これからすべてのチャップリンに関係する映画をみてみたいと思っています。
『薔薇は美しく咲くのではない。一生懸命咲いているから美しいのだ。『ライムライト』より』
『私は肩書きに興味はない。尊敬するのは、その人の業績だけだ。』
『死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。『ライムライト』より』
チャールズ・チャップリン