おきると荘の書斎

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拾わない音について①

2013-01-05 01:24:00 | ダンおに製作メモ
こんばんはっすわー。るとすわっすわー。
寒すぎて指が動かんのよね。

今回はダンおに製作の要素第二弾。今回は拾わない音について取り上げてみようと思います。

とは言っても、前回長くなりすぎた感が否めんので、短めにしますw

ダンおにを作る時、当然ですが全部の音を拾うわけにはいかないと思います。特に5鍵なら2つの同時押しまでがデフォというかノーマルだから、必ず音の取捨選択が伴うわけです。

同時押しの使い方も重要なャCントのひとつだと思うのでいずれ取り上げたいとは思っていますが、今回は一先ずさて置くとします。

今回取り上げるのは、棄てられる音の方です。
音を矢印として拾わない事は、必ずしもゲームから排除する事とイコールにはならないというのが、ワタクシるとすわの見解です。

ツイッターにも何度か書いた事はありますが、拾わない音は寧ろノリを演出する上で非常に大事な要素になるのではないかと思っています。
勿論、譜面の難易や製作者のスタイルによって、拾われない音の割合や量は変化する事になります。拾う音でノリを生み出す製作者さんもいます。そういう方の譜面は手を動かしてるだけでノリノリになれる。楽しい。ある意味、そういった譜面を作る事が作譜の目的なのかもしれません。

ただ、体は手だけじゃないでしょう、という考え方があってもいいんじゃないでしょうか?
俺は最近譜面を作っていて、そんな風に感じる事があります。手がメロディーだけを追いかけている時、足がリズムを取っている、首が動いている、まぶたが痙攣している、左足がつっている、背骨が折れている等という経験はないでしょうか。

幾つか疾患は混じっていますが、少なくとも手がある音符を拾っている時、他の部位が何かしらのリズムを刻んだりできるわけです。
実際にやってるかどうかは別にしてね。
ゲームやってなくたって音楽はノれるものですからね。これは利用しない手はないでしょう。

そこで、譜面の中であえて拾わずに音楽を聴かせる場面を作り出す事で、体のノリを引き出していくという手法が成立し得ると思うんです。これを上手く使えるようになれば、譜面作製の幅が一回り広がるのではないか、とね。
これは「音楽が主役かゲームが主役か」という議論にも発展させられそうですが、これもそのうち取り上げてみたいと思います。


楽しくプレイヤーが叩ける譜面を作ろうと思うなら、これはひとつ考えても良いャCントだと思うんですよね。しかも、そのノリについて行ける間合いのレベルが実力によって変動してくるという。例えば、発狂譜面を軽々こなせるような人とダンおにを初めたばかりの初心者では、「聴く事に割ける容量」が異なっていると考えられます。
実力がある人が手を休めながら聴けるャCントが、初心者にとっては手一杯の関門になり得るわけです。これは学習に伴う作業の自動化が関わっています。例えばバイトでも、仕事をある程度覚えて初めて周りが見えるようになる、というようにね。


この割合を上手く調整する事で、巧みに複数難度譜面を作り分ける事ができれば、Easy譜面の世界も広がってくると思うんですよね。
この辺の所を意識して、今後製作に関わっていきたいと思ったり思わなかったりしています。

さて、今回も長くなったぞww
ただ、やっぱりまだまとまってないのでそのうちまた考え足していきたいと思います。

あ、ここの雑記はこんな話ばっかりじゃないからね! ほのぼのストーリーも展開されていく予定なので!

はい、それじゃあまた次回お会いいたしましょう。ありがとうございました。

手クセについて①

2013-01-04 04:05:00 | ダンおに製作メモ
明けましておめでとうございます!

るとすわでございます。


実家に帰省中でござい。


ダンおにに数日間触れてません。が、どうなんでしょうかね。
前置きはさておき、最近気になっているのが、手クセについて。

プレイヤー目線から書くけど、製作者としても気になる点ではあるんですよね。

まず、なんでそんな事が気になったかというお話から。
きっかけはある譜面をプレイしている時のミスなんですね。必ずミスるャCントがある。明らかに目では追えてるのに、手がそれに逆らうように動く。
これは恐らく、その譜面をクリアできずにゴチャゴチャやってた頃の手クセです。
それはそれで修正せにゃならんのでしょうが、実際手クセってのも悪い部分ばかりじゃないんだろうと思うんですよ。

そもそもギター等の楽器において、手クセっていうのは物凄く大きな意味を持っているわけです。
アドリブのタネであったり、演奏者の個性であったりという形ですね。
このプレイは○○さんのだな、という特徴は、手クセから生じるものです。


しからば、ダンおにプレイとアドリブ演奏の違いはどこにあるのか。
これは、正しさの観点の違いにある。当然ですが、ダンおにでは流れてきたのと違う矢印を押しても意味がない。それはただのミスです。それに対してアドリブ演奏なんかでは、スケール上に乗っている音である限り鳴らした段階でミスと呼ぶことは出来ない。それどころか、プレイの基本に置かれたスケールから外れた音でさえも、面白いからOKとなる。要は正しいとされるものが違うわけです。音楽をやっていない人でも、何となく分かるかとは思うんだけどね。

そういうわけで、手クセはある意味ダンおにプレイヤーにとって改善すべき悪所になると言っていいでしょう。

しっかし、製作者の目線から見るとまたそうは言えない。
譜面の製作は、どちらかというとアドリブ演奏の側に近いんですよね。即ち、押しごこちの良し悪し、難しさ、次の矢印群への接続の良し悪しなんかが、譜面の良否を決めることになるわけです。

そうなってきた時に、製作者の手クセは果たしてどのように反映されるのか。これには幾つかの場合が考えられます。
まず1つめのパターンは、製作者の手クセがそのまま譜面に適応されるというものです。製作者が実際に指の動きを試してから矢印を置いていくような場合、その人にとって打ちやすいパターン、打ちにくいパターンが如実に譜面化されていきます。このパターンを取りやすい製作者さんの場合、プレイヤーの手クセと合うかどうかによって面白さの相性があるかもしれませんね。
2つめは、音程に合わせたり譜面の見た目から配置を決めたりするパターンです。この場合、実際に指を動かすことなく配置が決定されるので、手クセの介入する度合いは少なくなるでしょう。こういう手法を多用する製作者さんの場合、どちらかというと曲に対する矢印の置き方に一貫性が見られると思われます。
3つめはランダム配置です。8分やら16分やらをランダムに置くパターンですね。そんなことする奴いるのか、と思われる人もいるかもしれませんが、かくいう俺自身がそういう配置を使ったりします。音楽における12音技法じゃないですが、自分のストックにあるパターンのみの配置から解放されたいと思った時や、自由な雰囲気を出したいと思った時等に使っています。あんまり多用すると譜面が崩壊するからバランスは考えもんですが……

自分自身使いこなせてるわけではありませんが、実際の譜面製作ではこんなパターンを使い分けて配置していくことになります。もし他にもこんなパターンがある! という方がいたら、ぜひ教えて欲しい。俺も勉強したいんです(切実)

製作者さんによって、割合や使い分けは様々でしょう。しかしとにかく、上記の3パターンであれば上にいくほど手クセの介入度は高くなるのではないかと思います。

そして、ゲーム性や難易度のバランスを考える上で、この手クセという要素が非常に大きな鍵を握っているのではないか。そんなことを思うわけなんですね。同じ16分配置でも、難しいパターンと簡単なパターンがある、という風に。
そして、これを加味するとやはり製作者はプレイヤーとしての向上心を持つべきだろうと考えられます。何故なら、手クセは意識上の頭の処理よりも先に手が動く事によって生じ、そのある種無意識的なパターンが脳の「処理が間に合わない場面での手の動き」として学習されたものだと考えられるからです。

プレイヤーとしては、この学習されたパターンを乗り越えて、正しい譜面の処理を行うことが当座の目標となり、その繰り返しによって精度を向上させていく活動こそが上達という事になる。だから、プレイヤーの認識できる密度やスピードをどのくらい越えた譜面を考えるか、ということが、ゲームという観点からダンおにを捉えた時のャCントになる。

こう考えると、手クセはダンおにを初めとする音ゲー譜面を製作するに当たって、「見切れる」と「全く無理」の間に位置している重要なファクターとして捉えなおせるのではないかと思うんですね。

ならばどうすれば良いのか、という議論はまた今度にするとしましょう。正直思いついてないし、文章がクッソ長くなりそうなので。え? もうなってるって?
さて、では皆さんの意見も伺いたいと思いつつ、この辺で切りたいと思います。