ナンバリングこれで合ってるよな?(不安)
と言うわけで、お久しぶりに心理学雑談でもやってみましょうか。
とはいっても、あまりネタが無いので今日はサラッと神話のお話をしたいと思います。
宗教的な部分に関しては、専門の方にお聞きください。私は高校倫理の知識で精いっぱいなので。
神話は、その名の通り神様のお話。
臨床心理では、色々な神話の名前を取った用語が出てきます。
凄く有名な所でいくと、エディプス・コンプレックスなんかがそれ。
エディプス・コンプレックスを知らない方に、一応簡単な説明。
エディプス・コンプレックスは、同性の親を殺害し、異性の親を独占しようとする願望をめぐる、一連の心的内容の複合体 (心理療法ハンドブックより) です。
ぱっと聞くとよく分からないですが、男の子がお母さんを大好きになって、お父さんに憎しみを持つような心の状態の事を指します。
神話でのエディプスは、父親が酔った勢いで母親との間に作ってしまった子どもです。今でもそういう話はありそう。
父親は、子どもを作るとその子に殺されるだろうという神託を受けていたため、生まれた子を殺すように命じます。しかし、人情味溢れる従者が、独断で片田舎の羊飼いに預け、殺さずにおくんですね。
成長したエディプスは、実の両親が別にいることを悟り、旅に出ます。そして、道中で偶然出会った父親を殺してし、スフィンクスとの絡みやらなんやかんやあって、最後には母親と子どもを作ってしまうんですね。詳しくはwikiでも見て下さい(投げやり)。
まあ、これは神話を使った用語の一例に過ぎないです。他にも、エレクトラ・コンプレックス、カイン・コンプレックスなど、色々あります。
では、何故臨床心理では神話の物語を扱うのか。
これは、神話が人の元型を分かりやすい形で示してくれていると考えられているからです。
はい。
……ん?
元型ってなんだ?
はい。
と、言うわけで、ここで元型とは何ぞや、というお話。
元型ってのは、人の
普遍的無意識の領域に存在している、「それ自体は意識されない」心の持つ一定のパターンを表します。難しいね。
説明はめちゃくちゃ難しいんですが、俺なりに噛み砕いてみたいと思います。
上にもリンク貼ってますが、人の心には普遍的無意識という領域が存在すると、ユングという人が考えています。これは、人間という種族に共通する心の領域です。詳しくはリンクからどうぞ。
んで、人間に共通する心の領域が存在するなら、人間に共通する心の働きもあるわけですよ。まあ、そうじゃなかったらひとりひとり全員がコミュニケーションを取ることなんかできないんですが。
そして、心の働きには、幾つかのパターンがあります。これが元型。元型は誰もが持っています。
例としては、ペルソナ、アニマ、グレートマザー、老賢者などが挙げられます。カッコいいでしょ。
これをひとつひとつ話していっても面白いんですが、それはまたの機会に。
元型について、さっき「それ自体は意識されない」と言いました。
これは、それ自体は形を持っていないからです。
これ分かりやすい例を出すの凄い難しいんだよなあ……
いや、そうでもないか?
じゃあ、「運動」っていう言葉から何かを連想するとしましょう。
人が走っている所とか、物体が動いている図とかを想像するんじゃないでしょうか。
でも、「運動している人や物」は見えても「運動」そのものは目に見えないですよね。
これと似ていて、「元型」そのものは具現化できるものではないですが、「普遍的無意識にある元型から、意識に浮かび上がってくるイメージ」は形にすることができます。
透明人間は見えないけど、ペンキをぶっかけたら形が浮き出てくる、みたいなシーン、見たことありません? そんな感じ。
そこに絡んでくるのが、個人の経験や背景といったもの。人ひとりひとりが、違う生き方をしている、つまり、自分色のペンキを持っているわけです。
人が苦境に立ったり、何か衝撃的な経験をして心を侵された時、心の奥底の普遍的無意識にある元型が、夢や幻覚などの形を取って現れてくることがあります。
でも、元型そのものは意識できませんから、自分の知識や経験でイメージできる形、つまり自分色のペンキに塗られた状態で、浮かび上がってくるわけです。
もっとイメージに即して説明するなら、深く潜っていた透明人間が、呼吸の限界をむかえてペンキの海から飛び出してくる感じ。
そして、一番ピュアな、原色のペンキに当たるのが神話、というわけ。
神話は、まだ近代科学や理性といったものが絶対化される前の時代に生み出された話であり、多くの人の心が集まって作られた物語です。
それだけに、人の心から出てきた心的内容をピュアに反映したものになっています。
心を病んで治療に来ているクライエントが見た幻覚や夢のモチーフが、時として神話の中にそのまま描かれていたりするんです。そこに、普遍的な人間の心を見出し、治療の参考にしようとするから、神話が注目されるんです。
夢分析なんかも、そういったもののひとつ。夢は、起きている時よりも無意識を反映しやすいと考えられているため、夢分析を治療内で行ったりします。
でも、時々テレビやら何やらでやっている「フロイトは、ヘビを男根の象徴としている。つまり、ヘビの夢は性的な夢なのです」みたいな短絡的な解釈は間違っています。
ヘビが男根の象徴であることが間違っているというよりも、そういう一対一の対応で判断することが間違っている、という話。
何故なら、さっきも言ったように人には個人レベルの経験や背景があるから。
最近ヘビに噛まれて病院に搬送された人が、ヘビの夢を見たとしても、それが男根の象徴であるとは考えにくい。
だから、結局の所はクライエントとセラピストの間で、夢を更に掘り下げていく必要があるんですね。
ちょっと話は飛びましたが、自分色に脚色されたイメージの中から、ピュアな原型を探し出していく上で、神話が有用になってくる。だから、神話がよく引き合いに出される。ということです。
神話は元型の原型、というオチで宜しいでしょうかね。
では、次回。