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心理学雑談⑥

2013-12-09 20:07:00 | ノンジャンル
最近心理学雑談しかしてない気がしてますね。

まあいいじゃないの。


今日は共感についてのお話。


最近共感してます? どうですか? いつ共感しました?



あー、俺は多分先週の木曜くらいに共感したかなー。

マジか、俺はここ数年共感は控えてるんだよね。


……などという会話があったか無かったかは知りませんが、共感という概念は案外様々な使われ方をしていますね。


ドラマの主人公にとても共感した。

アイツの話には共感できない。

あー、分かる分かる、それめっちゃ共感できるわ。


等々。


臨床心理の世界では、共感するという事が物凄く重要視されています。

日常的に使われている共感と、何が違うのでしょうか。



臨床心理の世界での共感は、「相手の感じている事をそのままに感じる」事を意味します。
学派にもよりますが、カウンセリングは基本的に、共感的に聴く事を主軸にして進んでいきます。

え? 簡単じゃないかって?

いやいや、ところがどっこい。共感的に聴くというのは非常に難しい事なんです。


例えば、両親や友人、恋人との会話を思い出してみて下さい。
話をしていて「なんで分かってくれないんだろう」と思う事、ありませんか?

逆に、誰かが話をしている時、「こいつは何を言っているんだろう」と思う事、ありませんか?

まあそれは人によるでしょうが。
ある人にとっての経験は、他の人の経験とは違います。


当然ですが、失恋ひとつ取っても、全く同じ相手と全く同じシチュエーションで、全く同じ感情を体験するという事はあり得ません。

でも、それを誰かに相談すると、時として「あー、それすっごいよく分かる」と言われたりします。

それで失恋した人が分かってもらえたと感じたなら、それはそれでOKです。

でも、話がある人とって重要なものになればなるほど、問題は複雑になってきます。




「あー、それすっごいよく分かる」

(嘘つけ、お前なんかに分かってたまるか)

(そう簡単に分かるような気持ちじゃねえんだよ)

(コイツもどうせ真剣に聴く気なんか無いんだろうな)


という風に。


悩んでいるという事は、単純な怒りや悲しみといった感情だけでは解決できない問題にぶつかっているという事です。


「あの子可愛いよねー」

「あー、それすっごい分かる」


とは全然深さが違います。




では、共感的に聴くためにはどうしたら良いのか。

これは、相手の感情を確認して、自分の中の印象を調整していく他ありません。




例えば、相手が起こった事をまくし立てるように話していたとします。
聞いているうちに、これは怒っているのかな? という感じがしてきたとします。

でも、「あー、そういう事があったのか。その時は腹が立ったんだろうね」と聞いてみたら、
「いや、腹が立ったのとはちょっと違って、なんか釈然としないというか、自分でもどうしたら良いか分からなくなっちゃって」
と相手が答えた。

あー、なるほど。自分でもどうしたら良いか分からなくなったんだ。腹が立ったって言うより、呆然としたって感じか。

こんな風に、自分の中で状況と、相手が感じた事をひとつひとつ調整して、自分も同じように感じようと努力し続ける事。これが、共感するという事です。



これでもまだ簡単そうに見えるかもしれませんが、それは自分の気持ちを度外視して考えられているからだと思います。


自分と仲の良い友人を悪く言うような人

両親を殺してしまいたいと考えている人

自殺して周囲の嫌な人間に当て付けてやろうと思っている人

明らかに自分より能力が劣っていると思っている相手

自分は宇宙人だと主張している人



例えば、こういった人たちを相手にした時、共感的に聴いていく事ができるでょうか。

最たるものが親子だと思います。

例えば自分が親になった時。子どもが何かを相談してきたら、自分の経験に照らしてアドバイスしてあげようと思うのは、自然じゃないでしょうか?

でも、子どもにすれば、それは説教でしかありません。だって、親の経験なんて所詮親の経験でしかないんだから。


仲違いしたなら、ちゃんと話し合いの機会を持ちなさい

俺もイジメは体験したけど、歯を食い縛って行っていたもんだ



時と場合によっては力になる助言もあるでしょう。
でも、後押しは重荷にもなるものです。


子どもの話を子どもの立場で聴いて、共感してやる事が出来る親が、どの程度いるものなのかは分かりません。
でも、俺個人としては、それができる人は、本当に尊敬すべきだと思っています。

勿論、それを仕事にしている人でもないわけなので共感的に聴く必要もないんですがね。


自分の気持ちが介入すると、途端に話は厄介になりますね。


誰かと仲違いした時、相手が明らかにおかしいんだ、自分は何も悪くないと考える人がいます。

でも、ちょっと考えてみて下さい。

相手が自分に対して何か反論している時、どんなにそれが自分にとっておかしいと思えても、相手の中でそれはおかしくないんです。

明らかにおかしいと自分で思っている事を主張したりするでしょうか?
まあ、そういう事もあるでしょう。どうしても負けられない時なんか、強く言った方が勝ち、みたいな事もありますし。

でも、そうでないんだとしたら、です。
相手が相手がどんなに間違った事を言っていると感じても、相手の中でそれは間違っていない。

と、いう事は。相手が主張している事について、自分の中でまだ繋がっていない点と点があるのではないか。

自分がしている議論は、そもそも実は相手の言っている事と一直線上での議論ではないのではないか。

究極突き詰めれば、共感できない発言など存在していないとも言えます。
ある誰かの中で辻褄が合っていれば、そのレベルに自分を持っていく事は決して不可能ではない。

でも、逆に突き詰めれば完全に共感するという事はあり得ない。その人でない限り全く同じ経験はできないんだから。


相手が何処を見て話をしているのか。初めからぶつかるのではなく、一旦同じ方向を向いてみて考えるのも、またひとつの在り方かもしれませんね。

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2 コメント

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Unknown (める)
2013-12-09 22:18:16
るとすわさんの話いつも面白いので長文読むのが苦手な僕でも最後まで読んじゃいますね…

心理学では「共感する」というのは自発動詞じゃなくて意識的に相手の立場で物事を感じようとすることなんですね。
結局、「相手の経験」をいかに精度よく想像するかが難しくて大事なことなんでしょうか。
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Unknown (るとすわ)
2013-12-09 23:58:09
>>めるさん

いつも読んでくれてありがとうございます!
そうですね、相手の経験もそうですし、そこから相手が体感した感情を想像して、自分も感じる事が大事とされていますね。
反対に、人の話から自分の体験が思い出されたりして「それ分かる!」となるのは、「同情」と表現されています。

カウンセリングでは、その過程を通じてクライアントさんがその時に「感じ損ねた」感情だったりを、2人で模索していくということですねー。
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