こんにちは。
最近アレです。
前に進むためには後ろに何かを投げ捨て続けることが必要なんだと感じることが多くなってきました。
これを作用反作用の法則といいます。
時に、皆さん文章を書くのはお好きですか?
俺はね、割と好きなんですよ。
ただね……最近お仕事でもメールとかを多用するようになってきて、
自分の文章がどんどん雑になっているのを感じます。
世の中的には作文は一度書いたら見直してから提出するものだと教わっていますよね。
小学生の頃、「作文用紙にこんなにびっしり文字を書いて、見直して途中に間違いがあったって絶対直せないだろ」と子供心に思っていました。
え、アレって例えば途中に誤字があって字数変わっちゃったりしたらどうすんの?
全部消すの?
マジあり得んteaなんだけどォwwwww
ヒマかよ!www
……今でもあの指導が本当に意味するところは謎です。
ただ、電子化とは素晴らしいものでして、
いくらでも後で変更することができます。
その恩恵もあって少し前までは一度書いた記事を見直してから投稿してたんですよね。
あと、書くペースも割とゆっくりめだったわけです。
急いで何かを読む時って、どうしても斜め読みになるでしょ?
そうすると事実関係ばっかり気になってしまって、
文章を味わって読むみたいなことができなくなっちゃうんですよ。
ゆっくり書いて見直すと、
「ああ、ここ案外言葉足らずだな」ってことに気付いて書き足したりできる。
……とはいえ、ビジネスメールの文章を味わっても仕方ないわけで、
事実関係を簡潔に書いて送る方がベターになるわけです。
スピード勝負なところもあるし、
仕事をする人としてはそれがきっと正しい姿です。
ただ、「文章を丁寧に構成したい」という心はちゃんと持ってた方がいいですね。
人からもらうメールなんかを見てると、
どう考えても回りくどかったり、読んだだけじゃ言わんとしていることを理解できなかったりするものもあるんですよね。
そういう人たちって絶対全く見返してないんだと思うんだよね。
自分の書いた文章を。
日本語が多少変だったり、文法が崩れてたりボキャブラリが足りなかったりするのは一向に構わないんですよ。
日本語の文法だってどんどん変わっていくものだし、
昔からよく指摘されている「ら抜き言葉」だって、
「一目で可能を表す文章だ」と識別させるという点には合理性すら感じられる。
多少文章にクセとか雑味があった方が個性にもなりますしね。
でもね。
上滑りしている事実関係を乱暴に文章形式に繋ぎ合わせてブン投げてくる人ってのも、またいるわけなんですよ。
「えっとね、車がね、いっぱいあってね、それでね、いっぱい走ってね、僕とお姉ちゃんもいたんだけどね、ゆう君のお洋服がね、汚れちゃったの」
みたいな感じで興奮した言葉が喋ってるのを見かけたことあるでしょ。
いうなればアレですね。
見返してないというか、
イメージをそのまま順番に言葉にして並べてるだけというか。
いや、じっくり見返せとは言わないですよ。時間も無いだろうし。
伝わればそれでいいんですが。
もはや逆にこれは文学作品なんじゃないかとさえ感じられてしまうわけです。
問.筆者が本当に伝えたいことは何か。
じゃないんだYO!
要らないんだよ、その奥ゆかしさは。
そして別に奥ゆかしくもないんだよ。
ん、奥ゆかしく……?
奥ゆかしき倉庫
……
え、ええと、
まあ、
そんなわけなんですが、
自分が書いた文章を読み返してみると、
結構酷いものも多いです。
特に最近。
主な原因はさっきも書いた「上滑り」みたいなものだと思っています。
考えが纏まってないのに書く
……というのはいつものことなんですが、
書き言葉って、実際音声が介在しないじゃないですか。
そうすると、書いてるうちに段々思考から言葉が剥離してくるんじゃないですかね。
自分が書きたいこと、書いたことをちゃんと心に収めておかないと (もしくはちゃんと見返さないと) 、読み手との感覚に相当ズレが生じると思うんですよ。
書いてる側はついさっき何を書いていたかよく覚えていないけど、
読んでいる側は最初からずっとひとつの流れで追ってきている。
場と時間を共有して話をする場合とは大分違うと思いません?
まあ結局何が言いたいかというと、
最近読み返したりする心の余裕が無いってことです。
ゆとりって大事。
ゆとり教育万歳。
心の余裕が無いというのは別に追い詰められてるとかそういうことでは全然ないんだけど。
ゆったり構える余力って、
ただ時間があるとか悩みが無いとかそういう指標に気を遣うだけじゃ生み出せないところがあるよね。
ゆとりたいねー。
最近アレです。
前に進むためには後ろに何かを投げ捨て続けることが必要なんだと感じることが多くなってきました。
これを作用反作用の法則といいます。
時に、皆さん文章を書くのはお好きですか?
俺はね、割と好きなんですよ。
ただね……最近お仕事でもメールとかを多用するようになってきて、
自分の文章がどんどん雑になっているのを感じます。
世の中的には作文は一度書いたら見直してから提出するものだと教わっていますよね。
小学生の頃、「作文用紙にこんなにびっしり文字を書いて、見直して途中に間違いがあったって絶対直せないだろ」と子供心に思っていました。
え、アレって例えば途中に誤字があって字数変わっちゃったりしたらどうすんの?
全部消すの?
マジあり得んteaなんだけどォwwwww
ヒマかよ!www
……今でもあの指導が本当に意味するところは謎です。
ただ、電子化とは素晴らしいものでして、
いくらでも後で変更することができます。
その恩恵もあって少し前までは一度書いた記事を見直してから投稿してたんですよね。
あと、書くペースも割とゆっくりめだったわけです。
急いで何かを読む時って、どうしても斜め読みになるでしょ?
そうすると事実関係ばっかり気になってしまって、
文章を味わって読むみたいなことができなくなっちゃうんですよ。
ゆっくり書いて見直すと、
「ああ、ここ案外言葉足らずだな」ってことに気付いて書き足したりできる。
……とはいえ、ビジネスメールの文章を味わっても仕方ないわけで、
事実関係を簡潔に書いて送る方がベターになるわけです。
スピード勝負なところもあるし、
仕事をする人としてはそれがきっと正しい姿です。
ただ、「文章を丁寧に構成したい」という心はちゃんと持ってた方がいいですね。
人からもらうメールなんかを見てると、
どう考えても回りくどかったり、読んだだけじゃ言わんとしていることを理解できなかったりするものもあるんですよね。
そういう人たちって絶対全く見返してないんだと思うんだよね。
自分の書いた文章を。
日本語が多少変だったり、文法が崩れてたりボキャブラリが足りなかったりするのは一向に構わないんですよ。
日本語の文法だってどんどん変わっていくものだし、
昔からよく指摘されている「ら抜き言葉」だって、
「一目で可能を表す文章だ」と識別させるという点には合理性すら感じられる。
多少文章にクセとか雑味があった方が個性にもなりますしね。
でもね。
上滑りしている事実関係を乱暴に文章形式に繋ぎ合わせてブン投げてくる人ってのも、またいるわけなんですよ。
「えっとね、車がね、いっぱいあってね、それでね、いっぱい走ってね、僕とお姉ちゃんもいたんだけどね、ゆう君のお洋服がね、汚れちゃったの」
みたいな感じで興奮した言葉が喋ってるのを見かけたことあるでしょ。
いうなればアレですね。
見返してないというか、
イメージをそのまま順番に言葉にして並べてるだけというか。
いや、じっくり見返せとは言わないですよ。時間も無いだろうし。
伝わればそれでいいんですが。
もはや逆にこれは文学作品なんじゃないかとさえ感じられてしまうわけです。
問.筆者が本当に伝えたいことは何か。
じゃないんだYO!
要らないんだよ、その奥ゆかしさは。
そして別に奥ゆかしくもないんだよ。
ん、奥ゆかしく……?
奥ゆかしき倉庫
……
え、ええと、
まあ、
そんなわけなんですが、
自分が書いた文章を読み返してみると、
結構酷いものも多いです。
特に最近。
主な原因はさっきも書いた「上滑り」みたいなものだと思っています。
考えが纏まってないのに書く
……というのはいつものことなんですが、
書き言葉って、実際音声が介在しないじゃないですか。
そうすると、書いてるうちに段々思考から言葉が剥離してくるんじゃないですかね。
自分が書きたいこと、書いたことをちゃんと心に収めておかないと (もしくはちゃんと見返さないと) 、読み手との感覚に相当ズレが生じると思うんですよ。
書いてる側はついさっき何を書いていたかよく覚えていないけど、
読んでいる側は最初からずっとひとつの流れで追ってきている。
場と時間を共有して話をする場合とは大分違うと思いません?
まあ結局何が言いたいかというと、
最近読み返したりする心の余裕が無いってことです。
ゆとりって大事。
ゆとり教育万歳。
心の余裕が無いというのは別に追い詰められてるとかそういうことでは全然ないんだけど。
ゆったり構える余力って、
ただ時間があるとか悩みが無いとかそういう指標に気を遣うだけじゃ生み出せないところがあるよね。
ゆとりたいねー。