おきると荘の書斎

おきると荘の書斎へようこそ。
実況プレイ動画を投稿したり、時々ニコ生で配信したりしています。

続けざまに

2014-03-28 00:56:00 | 小説
サイコドラマ⑥

人の善意は時として、思ってもみない結果を生む。

 7月も半ばを過ぎ、夏休みが近付く。「受験の天王山」という言葉が飛び交い、いよいよ穏やかでない空気が教室に漂っていた。僕は相変らずあまり勉強に気乗りがせず、12月時点での自分の成績に、大学の方を合わせればいいのではないか、などと思っていた。
 そんな僕とは対照的に、好史は、机に噛み付くようにして勉強していた。僕が声をかけると、今までと変わらない様子で話はできる。しかし、その度に僕は、なんとなく悪いことをしているような気分になった。好史の目の下にはくっきりと隈ができており、見ていて気の毒になってくる。そしてそれ以上に、必死になってノートに向かっている好史を見ていると、自分自身のことが不安で仕方なかった。
 「おい好史、ちょっといいか?」と、僕は後ろから好史に声をかけた。
 「ん、どうした?」と、好史はシャーペンを置き、僕の方に向き直して言った。
 「勉強中悪いんだけど、ちょっと話さないか?」
 「ああ、いいよ。折角だし、外にでも行くか」
好史の提案に、僕は嬉しくなった。しかし、実は特に話したい事があるわけでもなかった。下駄箱に着くまでは、どちらが話題を振るわけでもなく、2人とも黙っていた。
 夏休みを前にして、外はいよいよ暑くなっていた。昼休みにも関わらず、校庭には誰もいなかった。僕たちは、反時計回りに校舎の裏側に向かった。学校は、校庭が正門に面しているという少し変わった作りになっていて、他の高校に進学した友人は「小学校みたいだ」と言っていた。正門を出て校舎の裏側に行くと、芝生に覆われたスペースが広がっており、校舎に近い位置に休憩用のベンチが幾つか並んでいた。
 「どうした、何かあったか?」と好史はベンチに腰鰍ッながら、呑気そうに言った。
 「いや、特に何の用事もなかったんだけどさ」と僕は正直に言った。
 「そっか」と好史は言った。
少しの間、沈黙が流れた。気温のせいか、少しの風が心地好い。
 「にしてもな、もう疲れたよ、俺は」と、好史が言った。
 「勉強か?」と僕は聞いた。本当は、村谷さんとどうなっているのか聞きたかったが、どう尋ねればいいのか分からなかった。
 「まあ、色々だよ」と好史は言った。
僕は、好史をちらっと見た。呑気そうな声とは裏腹に、表情は暗く見えた。好史は、この暑さの中でも、長袖のワイシャツを着ていた。
 「好史」
 「ん?」
 「本当に大丈夫なのか」
 「どうしたんだよ、急に」
 「――いや、お前最近見てて辛そうだからさ、何かあったんじゃないかと思って」
 「そうか?」
 「そうだよ」
急に太陽が雲の中に隠れたので、目の奥がじんわりとなった。好史は視線を落とし、何か言いたそうにしていた。僕は好史の言う気を失せさせるのが浮ュて、ただじっと好史の言葉を待った。
 「――小池、お前、前に俺の手首見たよな?」
 「気付いてたのか」
 「視線で分かったよ。俺も背伸びした瞬間『やべっ』て思ったからさ」
 「そうだったのか」
 「リスカだよ」
 「初めてだったのか?」
 「そう。どうなるのかはよく分からなかったけど」
 「どうだった?」
 「どうだろうな、もう覚えてないよ、初めての時どうだったかなんて」
 「そうか」
ここまで聞いて、僕はふと好史の言葉に引っかかるものを感じた。
 「好史、もしかして今もやってるのか?」と、僕は努めて冷静に聞いた。
好史はきまり悪そうに下を向くと、ワイシャツの左腕を捲った。左腕は、無数の切り傷でズタズタになっていた。僕は絶句した。太陽が再び雲間からのぞき、頭頂部が熱くなった。
 「小池」と、好史が先に口を開いた。
僕は返事の代わりに、好史の方を見た。
 「ごめんな」と好史は言った。
僕は何故謝れらたのか分からなかった。
 「俺、なんでこんなにちっぽけな人間なんだろうな」と好史は続けた。
 「どうしたんだよ」と僕は言った。好史が何を言っているのか、よく分からなかった。
 「勉強が出来なくて嫉妬して、躍起になっても全然追いつけなくて。高い志を見せられて悔しくても、自分のしたい事なんてはっきりと分からないし。馬鹿なんだろうな」と、好史は自嘲的な声で言った。
 「そんなことないだろ」と、僕は言った。
村谷さんとの間のことを話しているのだと、そこで初めて気付いた。
 「そんなことなくないんだ。不安があるなら何でも話してくれって言われても、そんなこと言えないし。そんなことは何の解決にもならないんだ。元々持っているものが違うんだ」
好史は、堤防が決壊したかのように喋り出した。
 「男子が女子に嫉妬してるなんて恥ずかしいしな。何より、張本人に励まされたって情けないだけだろ。だけどさ、あいつは何も言わなくても励ましてくれるんだぜ? 成績見て、『今回は英語頑張ったよね』とか、『次回は得意な所なんだよね? なら大丈夫だよ』とか。優しいよ、理想の彼女だね、まったく。いや、悪い意味で言ってるんじゃないんだ。結局は俺が悪いんだからな。素直に励まされてればいいのに。素直になることもできないんじゃねえか。それで俺が不機嫌そうな顔すると、『ごめんね』ときたもんだよ。俺はあやして欲しいんじゃねえんだよ!」
好史は思いをひたすらに吐きだしているようだった。僕はどうしたらいいのか分からなかったし、話を全て理解できたわけではなかった。ただ好史が、ただならぬ感情を抱えている事だけは分かった。
 「俺に言ってくれれば相談くらい乗るよ」と僕は言った。それ以上の事は言えなかった。
 「いや、いいんだ。ごめんな、突然わけ分からんこと口走って」と好史は言った。
 「そうじゃないだろ。というか、どうして俺にもっと早く言わなかったんだよ」と僕は言った。
好史は黙っていた。僕は、好史が、「分からないだろう」という目で僕を見ていたのではないかと思った。途端に、虚しい気持ちが僕を襲った。
 「ごめんな」と好史はまた言った。
 「なんで謝るんだよ」と僕は言った。「ごめんな」という言葉が、僕の深入りを拒絶しているような気がした。
再び沈黙が流れた。僕は、好史の言葉を待つ他なかった。問い詰める事は、無意味だと思った。
 「リスカすると、死ねるんだ」と好史が言った。
 「どういうこと?」と僕は聞いた。
 「なんて言うんだろうな。説明したことないから分からんけど。手首を切る時は、自分を慰める気持ちと、罰する気持ちが混ざってるんだよな。『なんで俺はこんななんだ』って。切った時、痛いだろ? 痛いんだけどさ。どうにもならない気持ちは、そうやって抜くしかないんだよ。抜くっつってもこうやって抜くわけじゃないぞ」と、好史はオナニーのジェスチャーをした。僕は「分かってるよ」と言って、小さく笑った。
 「とにかく、そうやって気持ちを抜いてやると、じわじわと血が流れてきてな。そんで、それを見てると、生き返った気がするんだ」
 「へえ」と、僕は気の抜けたような相槌を打った。
 「なんだよ」と好史は言って、笑った。
 「いや、そんな冷静に説明されるとさ、なんか責めるに責められないって言うか、分かった気がすると言うか」と、僕は思ったままのことを言った。
 「そんなもんか」と好史は言って、少し間を置いた後、「お前に話して良かったよ」と続けた。
 「どうして」と僕が尋ねると、
 「案外、そんなもんなのかもな」と、よく分からない事を言った。
この時僕は、本当に好史の気持ちが少し分かったような気がした。何より、好史の辛さの原因を聞けた事で、胸の閊えがなくなったように感じたし、どうしたらいいか分からないのは僕も同じだと思った。
 気付くと、5時間目の始業時刻を大分過ぎていた。とは言え、僕も好史も授業に行く気分になれず、その日は午後の授業をサボって街をぶらぶらした。僕は、久し振りに好史の楽しそうな表情を見たような気がした。
 しかし、結局それが、僕たちの最後の会話になった。2日後の日曜日、好史は自殺した。学校からそれほど遠くない、踏切での出来事だった。

第六の場面が、こうして幕を閉じる。

留確したけど牛角行ってない

2014-03-09 09:00:00 | 小説
サイコドラマ⑤

異質も異形も、知ってしまえばありふれたもの。

梅雨が明けると、しばらくは暑い日が続く。僕は、未だに何となく日々を過ごしていた。土日は勉強したり休んだりを繰り返し、結局何をしたのか分からないまま月曜日の朝を迎える。進学先を見定めなければならない、という義務感に苛まれると、頭は何かを考えようと躍起になるばかりで、一向に具体的な指針が浮かんでこない。気付けば、好史の手首の傷のことばかりが気になった。あの日以来傷を目にする機会はなかったが、ここ最近、好史は更に痩せて見えた。
 「なあ、好史。お前やっぱり痩せたんじゃないのか」と、僕が訊いても、
 「気のせいじゃないか? 受験疲れかもな。勉強してないけど」と、上手くかわされてしまう。
流石にリストカットのことを直接尋ねるのは気が引けて、いつも結局核心に迫れないまま、普段通りの雑談に戻っていってしまうのだった。
 僕は、一人で進路室にいることが多くなった。好史は少しずつ、受験生のあるべき姿に相応しい学校生活を送るようになっていった。僕はなんとなく取り残されたような不安感に襲われて、加藤先生に心の安寧を求めていたのだった。
 「大丈夫、私も高3の頃は、何したらいいか分からなくて凄く焦ってた」と、加藤先生は元気付けるように言った。
 「そうなんですか。でも俺、まだ何も決めてないんですけど」と、僕は言った。
 「お前なあ、決める時間はいくらでもあっただろ」と、加藤先生は言い、少し考えるようにして「いや、でもそういう問題でもないんだろうな。決めるってのは時間があればできることでもないしな」と、付け加えた。
僕は進路について特別なこだわりがないばかりか、何々学部、何々学科という言葉を聞かされても、いまひとつピンとこなかった。いっそのこと、誰かが「ここを受けろ」と決めてくれれば楽なのに、と思った。
 「好きなこととか、何かないのか?」と、加藤先生は訊いた。
 「ゲームは好きですよ」と、僕は答えた。
 「それじゃ駄目だろ」と、先生は笑いながら言った。
僕も、それじゃ駄目なのは分かっていた。でも、ふざけているわけでもなんでもなく、そのくらいしか思い付かないのも事実だった。正直に言って、僕には進路が固まっている人の方が信じられなかった。今までみんな同じ勉強をしてきたんじゃないのか。就きたい職業があるから? 研究がしたいから? 一体どこにそんな契機があったっていうんだ。心底そう思った。
 「先生は何がきっかけで進路を決めたんですか?」と、僕は尋ねた。
加藤先生は少し考えてから、
 「私は中々決められなかったけど、結局学校が好きだったから教師になろうと思った」と言って頷いた。
僕は学校生活を振り返った。確かに、行事や日常は楽しいものだった。しかし、それが教師という職業を選択するきっかけになるんだろうか。そこまでの魅力は、感じられなかった。
 「あとは、高校の頃にお世話になった先生がいてな」と、加藤先生は再び話し始めた。「悩んでいる私を、最後まで見棄てずに励ましてくれたんだ。私もこんな人になりたい、とその時凄く思ったのを覚えてる」
僕は相槌を打った。僕にとって、加藤先生はそれに当たる人だと思った。確かに、加藤先生には毎日のようにお世話になっているし、感謝もしている。ただ、自分もそんな人になりたいのかと自問すれば、そんなこともないような気がした。
しばらく沈黙が流れた。窓の外には、放課後の夕焼け空が広がっている。僕は思わずその景色に気を取られた。
 「高橋はどうなんだ?」と、加藤先生が口を開いた。
 「あいつは、最近よく勉強してますよ」と、僕は上の空で答えた。
加藤先生は、「なんで上からなんだよ」と笑いながら、「高橋にも色々と聞いてみたらどうだ? 何か参考になるかもしれんぞ」と言った。
僕は、「そうですよね。確かに。なんで今まで何も聞いてなかったんだろう」と言ったが、既に話に集中する気持ちはなくなっていた。
 「じゃあ、もうそろそろ下校時刻になるし、今日は帰りなさい。自分から相談に来てると言っても、流石に疲れただろ」と、加藤先生は僕の気持ちを読んだかのように言った。僕は一礼すると、進路室を出た。
 進路室から玄関に向かう途中、村谷さんに会った。村谷さんは教室に忘れ物をしたのか、帰ろうとする僕とは反対の方向に歩いていた。僕はふと好史のことを思い出し、何か言ってやりたい気持ちになった。お前、好史を追い込んで何考えてるんだ。同じ受験生だろ? もっと気を遣えないのかよ。お前のせいで好史は――
 「小池君だよね」
 「え?」
不意に声をかけられ、僕は驚いて立ち止まった。
 「好史から色々と聞いてるよ」と、村谷さんは笑顔で付け加えた。
 「ああ、そうなんだ」と、僕は答えた。つい先程まで僕の中にあった悪感情は、呆然とした気持ちに変わってしまった。こちらは好史に色々と聞いているわけではないので、何を言っていいやら分からなかった。
 「村谷さんは、進路決まってるの?」と、僕は半ば無意識に言った。進路室での相談の疲れから、自然と出てきてしまったのだ。状況にそぐわない質問に村谷さんは少し戸惑ったようだったが、
 「私は、工学部に行こうかと思ってる」と答えた。
 「そうなんだ」と、僕は分かったような分からないような返事をした。
 「小池君はどこに行くの?」
 「いや、まだ決まってないんだ」
 「そうなんだ。今までやってきた事と違うことをやるのに、何の前情報もないんだもん。迷っても当然だよね」と、村谷さんは言った。
僕は、想像と異なる村谷さんの態度に、内心かなり慌てていた。今まで村谷さんを責めたてる言葉を考えていた事に、罪悪感すら覚えた。村谷さんは殺伐とした様子をしているどころか、好史よりもずっと余裕があるように見えた。
 「あのさ」――僕は言った。「好史とは上手くいってるの?」
 「え? あー、なんだか他の人に言うのは恥ずかしいんだけど」と、村谷さんは少し照れながら、「好史って凄く優しくて、私、いつも迷惑かけちゃってる」と言った。「だから、ついつい八つ当たりしちゃったりして。後で『ごめんね』って思うんだけど」
 「そうなんだ、上手くいってるならよかった。確かにあいつ、良い奴だからな」と、僕は心にもないことを言った。
言いながら、僕はなんともやりきれない気持ちになった。
 「――なら好史は、何に追い詰められているんだ?」
下校を促す放送が、人の減った校舎中に響いた。

 ここで、第五の場面は幕を閉じる。