おきると荘の書斎

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結局1000本ノック

2018-04-23 01:02:00 | 小説
思い付かないと言って何もしないより、思いつかなくても無理矢理推し進めた方が良いんじゃないかという、当然の結論にたどり着きました。


うさぎ小屋⑨


 学生の身分でありながら住所を失いなけなしの小遣いもなくした僕は、最低限の手続きを済ませると改めて自分のしでかしたことの馬鹿馬鹿しさに呆然とした。そして、気付くと溜め池沿いのベンチに横になっていた。汗と雨で湿ったTシャツがくぐもった不愉快な臭いを放っている。不潔さが気になり、授業にもここ数日間は出席していない。所持品を盗まれてから1週間が経過しようとしていた。水分は大学の水道水で充分に事足りたが、食事がとれないのは正直なところ耐えがたかった。暑さゆえに体中の水分とミネラルが抜けていくのだが、補充できているのは水分の方だけである。
「何してるの?」という声が聞こえたので見上げると、先日の「文学部飲み」で隣に座っていた蔵橋さんだった。
「浮浪者やってるんです」と僕は答えた。
「ああ、そういうコンセプトなのね」
「いえ、ほんとに」僕は空腹の不愉快さにたまらなくなりながら答えた。
「どういうこと?」と蔵橋さんは無邪気に質問を続ける。
「気になります?」
「かなり」
「実はですね。とある雨の日にサークルの先輩がふたりでいちゃいちゃしながら歩いてましてね」
「目当ての先輩だったとか?」
「分かりません。あるいはそうだったのかもしれませんが、どちらかというと初めて見た身近な同性カップルに面食らったというか」
「ほう」
「そのうち1人は二重人格で、その時の雰囲気は僕の知っているその人と全然違ったんですよ。」
「うんうん」
「その後もう片方の先輩と部室で会ったんですが、何事もなかったかのようなさっぱりした雰囲気で。彼女は二重人格じゃないはずなんですが、雨の日に目撃した場面と比べるとその二面性はもはや異なる人格なんじゃないかと思ったんです。僕のこれまでの人生にとってその一連の出来事が都会的過ぎたんでしょうね。気付いたら下宿を払ってホームレスになってました」僕は先輩の相槌に心地好さを覚えつつ一気に大まかな経緯を語った。
「なるほど。最後のフレーズの跳躍が随分思い切ってるけど。消化不良になった勢いで家を飛び出しちゃったわけね」
「そうです」
「で、これからどうするの?」
「分かりません。このまま汚くなるにつれどんどん人に頼りづらくなっていって本物のホームレスになるかもしれません」
「なるほど。それは家出計画としてはあまり成功とはいえないね」蔵橋先輩は心配そうに言った。
「そうなんです。ただ、こうして履き古した靴の中敷きみたいな気持ちになってみると、日光が一層気持ち良いですよ」
「私の知り合いには少なくともそんな境地にたどり着いた人はいないけど」蔵橋さんはそういった後、「ちょっと待ってて」と言ってどこかへ駆けていった。
 こんな状態の後輩によく声をかけたものだと感心していると、しばらくして蔵橋さんが戻ってきた。手には大学生協の袋がぶら下がっていた。
「ごめんね、こんなことしかできないけど。良かったら食べて」と差し出された蔵橋さんの手には、おにぎりが3つ乗っていた。
「いえいえ、そんな」と辞退しつつ、僕にとってこのおにぎりが命に関わると思うとどうしても視線を離すことができなかった。
 いいのいいの、とおにぎりを押し付けて蔵橋さんは去っていった。自分の手元に残ったおにぎりを見て、以前であれば何のありがたみもなかった物に唾液の分泌が止まらなくなっている自分が情けなくなった。
 おにぎりを貪り絶望的な空腹感から逃れると、不意に吐き気を伴う倦怠感が押し寄せてくると同時に、蔵橋さんが文学部の先輩や同期に僕の追い込まれている現状を吹聴するのではないかという不安が脳裏をよぎった。とりわけ吉木は「大2病だ」とか言って僕をこき下ろすに違いない。そう考えると、蔵橋さんに自分の境遇を語ったことが今更ながら悔やまれた。
 大学にいると見世物にされないとも限らないと思い起き上がろうとした時、聞き覚えのある声が降ってきた。
「おい、お前こんな所でなに干上がってんだ」
「はい……あ、曾我さん」
「汚い恰好してるなあ。何日風呂入ってないんだ」
「分からないですけど、少なくとも1週間は」あなたのせいですよ、と言いたい気持ちを抑え、僕は曾我さんの威勢にどぎまぎしながら答えた。
「とりあえず私の家に来いよ」と曾我さんが言う。初対面の面影は全く感じられない、男性性の強い口調だった。
「いえ、さすがにこの格好では――」
「可愛いエチル倶楽部の後輩が死にかかってるのを見過ごすわけにはいかないって。ここから近いからついて来いよ」そう言うと曾我さんは腕組みをして、僕が立ち上がるのを待った。僕は吐き気を抑えながらゆっくり起き上がった。


合唱曲、歌ってますか?

2018-04-11 23:55:00 | ノンジャンル
私は歌ってません。


合唱曲好きなんだよねー。

結構合唱を沢山やる中学校にいたのもあるかもしれない。
いわゆるャbプスに触れる機会が小さい頃ほとんどなかったからかもしれない。
とりあえず合唱曲が結構好きです。

定番どころでいうと『COSMOS』とか。
あれって元々J-POPだったみたいね。知ってました?
とりあえずあの曲のイントロは、合唱曲に限らず俺が知っている全ての楽曲の中でも屈指の琴線触りistだと思うんですよね。

特に3つ目のコード (Cm) とその上を流れる右手のメロディね。
俺の知ってるCmとその上を流れるメロディの歴史を塗り替えたよね。


まあ俺の性癖の話はさておき。

合唱曲の良いところは何といってもハモりの気持ち良さだよね。
2人で歌ってるのとは全く違う圧涛Iな一体感があるんだよな。

1パート1人みたいなプロ系のやつより、人数の多い合唱が好きです。
武道館の久石譲ジブリコンサートに行った時のラピュタの合唱は鳥肌立ったよ。
コンサートのラストに宮崎駿が出てきたのには一層鳥肌立ったけどね。


とにかく、気持ちええんですわ。
だから、歌ってないけど歌いたいみたいなところはある。

なんだろうね。やっぱり学校生活が好きだったんだろうね、本質的に。
小学校から大学まで相当良い思い出しかないよ。かなり恵まれてるパターンだと思うけど。


合唱曲にも色々な方向性があるんだよね。
2分すれば、クラシカルな方面とャbプス寄りな方面っていうか。

合唱曲ってそもそも「合唱曲」以上のカテゴライズが為されていないから一緒くたになりがちだけど、実はバリエーション豊か。

Nコンの課題曲も昔はかなりクラシカル方面だったけど、
中学校の部だと最近はャbプスの人たちが作曲するパターンが多いよね。
例えばアンジェラ・アキの『手紙』とか、いきものがかりの『YELL』とか、森山直太朗の『虹』とか。


大体中学校の部がャbプス系、高校の部がガチ系のパターンが多いんだけど、
平成19年に高校の部では『言葉にすれば』っていうゴスペラーズの曲が課題曲になってるのね。
これが死ぬほど難しい。

というのも、俺も高3の時にこの曲を学祭で合唱したんだけど、
難易度が高すぎて1年生に負けたからな。曲選びは分相応にってことですね。

いくつか代表的な合唱曲を聴いていただくと、
皆さんも懐かしさに打ちひしがれて明日以降の生活に無事支障を来たせるかと思いますので、
是非お試しくださいね!

ではではー

気持ちいいのはピンと来続けること

2018-04-03 01:41:00 | ノンジャンル
こんばんは。

つとに思っていて結構最近もブログ書くかと思ったらそのネタなんですが、
世の中の時間の流れって俺にとっては早すぎるんだよね。

喰らい付くという感覚ですか。
乗りこなすという感覚ですか。

例えば、思ったことを文章に書き起こしたり、
口に出してみたりすることってあるよね。


今の世の中でスタンダードとされているスピード感って、
言いたいことの10割を丁寧に陳列するんじゃなくて、
3割の時間で70点を取るっていうスタンスな感じがするんだよね。

それって、例えばプロジェクトを進める上では非常に大事だと思うんですよ、実際。
一球入魂したら100点が取れるとしても、投球までに3分かかる。
テンワd視で投げると、毎回70点しか取れないけど30秒で1球投げられる。

そう考えると、70点を何球も投げた方が良いっていう発想になるんだよね。

分かるんだけど。
最近では、このブログを書いていてもかなり表層の方針に従ってドバドバと文章を並べていくことが多くて。

確かに思っていることの表明にはそれで充分なんだけど、
多分読み応えのある文章とは違うんだよね、それって。

だから、最近の記事に読み応えがないことは認めざるを得ない。


特に言葉を選んで置いていく場合、
スタンプみたいな自分にとっての定型の言葉の枠に囚われてしまう傾向があるわけですよ。

一文書く時・書いた時に「他の言い回しはないかな?」みたいな発想を持てば、
自分にとっての超スタンダードな表現を回避して、少し変わった比喩表現だったり、
違う観点のコメントだったりを差し込むこともできるはずなんですよ。
何も考えずに伝えたいことを説明口調で書き綴っていると、
結局面白みのない文章で書かれた面白みのない主張が出来上がってしまう。

でも、そんなことをしている時間はないというのが今の辛いところですよね。

とりあえず思ったことを主張しろ、と。
そして、細かいことは後で調整しろ、と。

そんな風にしてかなり荒く削ったものをとりあえず版として提示する。
なんというか、もはや自分の思考よりも主張の方が前にいるんですよ。

だから、なんとなくそうなんじゃないかな? という方向性が見えるのは早いんだけど、
腑に落ちることは少ないわけ。

そのスピード感にいつしか慣れてしまい、元のゆっくり表現を選んだりする世界には中々戻れない。これはまあまあ由々しき事態ですね。

俺も数年前は一度自分で書いた記事を投稿前に最低1回は見返して、
推敲して自分自身の腑に落ちるように言葉を選んでいたんだけど、
今では深夜風呂から上がったタイミングでその場のノリに任せてガシガシ打ち込んで、
自分が何を考えているのかもよく分からないまま投稿してしまっています。

ただ、やっぱり本当は見返して修正し、
場合によっては長文でも全部消すくらいの心持ちで臨みたいと思ってます。
でも、実績って数だからね……沢山記事を書いている方が、当然頑張ってる感は出てきます。
不満ばかり言っても仕方ない。

……やばい、眠い。