土屋龍一郎のブログ

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我が家の冷え性対策

2005-12-17 01:33:58 | Weblog
 昨年復旧した床暖房が一年で壊れてからすねてしまって放っておいてある。
 床暖房用の床は床暖房が稼働していないと、ものすごく冷たくて寒い。まるでコンクリートの上で生活しているようである。まあ、実際に熱を通す液体が凍らんばかりの状態で床下を這っているのだから寒いのは当然ですが・・・
 さらに住んでいるエリアが、西に大きな里山がそびえていて「半日村」と呼ばれるくらいに日が陰るのが早いエリアなので、とにかく寒い長野の寒いエリアに寒い環境を改善せずに生きている訳なのだ。

 まあ、とにかくそういうことなので家族はそれぞれ冷え性対策をとっている。
 妻;風呂でたわしマッサージおよび半身浴。たわしマッサージは脂肪をこそげ落とした上に皮膚を強くするらしい。
 長女;シルク製5本指ソックスとウールの(スキーの時にはくような)厚手靴下の重ね履き。
 長男;冷え性じゃありません、との返答あり
 次男;昔ながらの腹巻き
 私;モルトウィスキー2杯で神経を麻痺させて寒くなかったことにする。
以上、毒にも役にも立たないけれど40数年めにして発見した妻の対処法は効果てきめんのようで、今年はしもやけがないそうだ。
 いずれにしても、壊れたテレビは放っておいて、テレビメディアと縁を切るのはよいけれど、壊れた床暖房を放っておくのはどうかと思う。自分でも。

矢野顕子は長野市に来ないのは?

2005-12-16 01:20:03 | Weblog
 「矢野顕子」のリサイタル2005を、妻と二人で観にいってきた。妻は中学生の頃から熱心な矢野顕子ファンだった。当時僕がキッスとかディープパープルとかかぐや姫やらチューリップだった頃である。まあ、妻もジャパンとか追っかけていたそうだから、何でもありの時代だったということですが。
 とにかくそんな妻に対して、遅咲きの矢野顕子ファンも私ではあるが、「Super Fork Song」で、ブームの「中央線」をカバーした辺から一気にはまってしまった。いつか本物の矢野顕子さんを観たいと思っていた。妻は松本で一度出前コンサートを観ている。NYに移住する前だ。
 今回は平日で、しかも場所は茅野という、長野から電車を2つも乗り継いで2時間かかる場所である。都区内の乗り換えとは訳が違う。小雪まじりの風が吹きすさび、乗り換えを逃すと30分くらい冷気と戦わなくてはならぬ修行の移動である。高速道路を使えばもっと気楽なのだが、雪でも降って速度制限などされてはたまらないので、今回は電車だ。
 茅野駅に隣接する茅野マルチホール(多目的ホールっていわないところが気持ちよい)は生楽器のための優れた施設だ。MCで矢野顕子さんも言っていたけれど新しくてばりばりの音がする新品の高級ピアノが置いてある。だから、矢野さんのリサイタルも指先のニュアンスまで感じるくらい気持ちのよい音を楽しむことができた。
 やっぱり「中央線」は観客にも人気があるらしくて、「宮沢和史くんより多く歌ってるんですが」という前フリだけで拍手がきたほどだ。矢野さんの身体もピアノも全部が歌っちゃっているのだ。あんなに素直に楽器が言うことを聞いたらいいなと思うくらい気持ちがよい。
 アンコールが終わって、1998年から仲良くしている茅野の今井君と「よう!」と言ったきり、ダッシュで帰りの各駅停車に乗って、折からの忘年会シーズンで酒臭い車両のにおいを我慢しながら長野へ戻った。
 それにしても矢野顕子さんは茅野へは2回目、松本も数回コンサートをしているけれど長野へは来た記憶がない。
 ピアノが悪いのか、会場がないのか、誰も呼ばないのか、あまり人気がないのか?
 今回、相当無理を押しての茅野ゆきだったけれど、長野の方が興行的にもおいしいと思うのですが・・・

中野ツアー報告5「早稲田通り」

2005-12-15 01:07:52 | Weblog
 中野ブロードウェイを隅から隅まで、B1からほぼ閉店中の怪しい4Fまでなめるように探検してから、懐かしい早稲田通りを歩いて、昔住んでいたアパートがあった東中野の方面へ向かった。なにしろ20年振りである。「いやあ、懐かしい風景だなあ」と思い出がフラッシュバックすると思って心の準備をして歩き出した・・
 ところが、3年ほどにわたって通ったはずのこの道にまったく見覚えがないのである。交差点やら公共私設などは変わらぬ場所にあるはずなのに、交番(駐車禁止で出頭した思い出あり)をのぞいて記憶が戻ってこないのだ.というより、この通り自体が私を受け入れてくれないという意思を表しているがごとく、よそよそしい。
 通った銭湯は、コインランドリー付きマンションに変わり、長野へ帰る金を作るためにレコードプレーヤーを預けた質屋はコンビニに変わっていた。昼飯用にラーメン「ちびろく」とキャベツとインスタントクリームシチューを買いに通ったスーパーは経営者が変わっていた。
 歩くほどに、本当に自分はこの町で暮らしていたのだろうかと不安になった。
 借りて住んでいたアパートをようやく見つけ出した。「あけぼの荘」は昔どおりに坂を下った突き当たりに建っていた。大家さんを訪ねたい欲求にかられた.門は固く閉じられていたので突然の訪問は控えたけれど表札を見ると大家さんは弁護士さんだったということをいまさら知った。
 東中野へ向かう道すがら、大学で知り合った酒乱の友人が拳を血だらけにして殴りつけた電柱も移設されていたし、彼が彼女に電話しようとして間違えて自宅にかけた赤電話も肉屋と共になくなっていた。
 20年間なんていう年月が自分の生きた人生にあるなんて若いころは予想もしなかったけれど、気が付くと2クール以上生きている。
 いろんなものが変わってしまうはずだよ。

中野ツアー報告4「パピエ」

2005-12-14 01:06:54 | Weblog
 中野ブロードウェイ3Fにある、「パピエ」は、なんとフレンチコミック専門店である。この小さな店にもはまってしまった。以前から気になっていた絵があったのだが、それはエンキ・ビラル(Enki Bilal)という作家のパンキッシュで未来的画風によるものだったことがわかった。さらにさらに・・あとからこの作家について調べてみたら、なんと「バンカーパレス・ホテル」というこれまた10年位前に出張中に何気なくつけた深夜テレビで見てチェックしていた映画の監督であった。この映画はザミャーチンの「われら」を髣髴とさせる近未来映画(だったと思う)で、私の手帳に「いつか観ること」フォルダにメモしてあった気になる一本だ。
 なんてこった!
 何気なく手繰り寄せた糸が予想もしていないところで結びつく、ビックリ体験をすることができた。
 ここもとても小さな店舗だけれど、しゃれたフレンチテイストの絵本やらポストカードが所狭しと置かれている。
 「パリで開催された宮崎駿とMoebiusの個展の図録が入荷しました!」とHPにかかれている書籍を立ち読みしたけれどマニアにはよだれものだと思う。ただしどこかでフランス語を学ぶ必要があるけれど。あっ!そういえばフランス語を習うのにとてもよい外国語学校が長野にあるぞ!(宣伝です)
 ポストカードは私のささやかなコレクションのひとつだが、映画ポストカードというのはおおよそどの国にも置いてある。それなのに、ここにおいてある「猿の惑星」カードを見てビックリ。このシーンの写真をカードで送る物好きはいないだろう、と思われる一枚があった。遠く丘の上に家畜である人間が磔になっていてその前には2匹(人)の猿人がこちらを向いているあのシーンである。
 恐るべし、フランス魂。

中野ツアー報告3「Live Sound」

2005-12-13 01:05:06 | Weblog
 ブロードウェイの最小区画と思われるところに、「Live Sound」という名前の店があった。ここは、株式会社ジャステックというメーカーのショールームである。
 ショールームだって?
 中野ブロードウェイの奥まった場所の、しかもこんな小さくて目立たない場所が?
 驚く店舗設定以上に驚いたのはその取り扱い製品が「平面版スピーカーユニット」という目からうろこのコロンブスの卵的発想である。
 通常のスピーカーはコーンを振動させるため奥行きと空間が必要になるが、このスピーカーは壁かけようの額のようなカタチで、奥行きを取らない。優れものである。初期作品のアルミニウム製のものより、木製のほうがやわらかくて音域も広い。とはいえ、指向性が高くて斜めに立つと音が逃げていってしまう。しかも中音域に比べて低音域高音域の物足りなさは否めない。
 まあ、ここら辺は技術改良されればいずれはよくあるスピーカーと遜色ないものになるだろう。
 一番面白いと思ったのが、「まくら」と命名されたスピーカーで、その名のとおり、枕の下などに置いて音楽などを楽しむことができるスグレモノだ。寝ている頭の下からステレオサウンドでがつんがつんと音楽が聞ける。もちろん語学研修用CDも聞ける。って思い出したけれど昔雑誌に載っていた「睡眠学習用枕」というのはこれ?
 いずれにしてもこの2坪の店舗から斬新なアイディアと技術が世界に発信できるとは驚きであり、「まんだらけ」のようにいずれは上場するかもしれない.…かもしれない。

中野ツアー報告2「まんだらけ」

2005-12-12 01:03:39 | Weblog
 中野ブロードウェイで7,8年ほど昔から、古書を取り扱う「まんだらけ」というお店が話題になっていた。いわゆるちょっと変わった起業紹介というカテゴリーだったが、平成12年7月東証マザーズに株式上場を果たしてから急速に拡大して平成14年09月期売上が30億円という超巨大メジャー企業になった。まんだらけのHPにある企業情報を見ると、私が中野ブロードウェイに入り浸っていたころには2坪の古書店が存在していたことになっている。「あったあったよ、そういう店」と思い出したというのは嘘で、ぜんぜん記憶にありません。中野ブロードウェイが「マニア向けオタク向け」のメッカになったきっかけのひとつはこの「まんだらけ」だと思う。
 なにしろ、コミック・アニメからおもちゃ・古道具にいたるアナログなアミューズメント関係のものなら何でも置いてある。ブロードウェイ内にもカテゴリー別に20店舗も出店しているのだから。
 つい立ち寄った本店で、長野で10年以上も探していたコミック「カムイ伝」の、あるシリーズのうち我が家に欠けた12巻と15巻(こういう欠け方って悲しいでしょ)の2冊が「どうぞ」というように陳列してあったので思わずレジ横の「アキラ」全巻と「日出処の天子」(全巻;女房プレゼント用)とあわせて購入してしまった。宅配を頼んだら次の日の昼には届いていた。
 「まんだらけ」、恐るべし。
 この中野ブロードウェイには未だに2坪くらいの怪しい店も何店舗かあるのだが、いつかは上場することもあるかもしれない。

中野ツアー報告1「中野ブロードウェイ」

2005-12-11 00:52:52 | Weblog
 中野といってもお馴染み、長野県中野市ではなくて、東京都中野区中野のことである。
 商談で寄った中野には、予備校時代から大学1年生時代(1980年~82年)に住んでいた懐かしい場所なので、少し歩き回ってみたわけだ。
 ちょうど12月9日の新聞に「中野のファッションビルブロードウェイがお宅なエリアとして人気」というような記事を取り上げていたのでまず「中野ブロードウェイ」を訪問。
懐かしい通路と商店街は、40周年を迎えていた。基本的な構造は、もちろん昔のままで、エスカレーターに乗ると2Fを通過して3Fへ行ってしまうわくわくするギミックが仕掛けられている。昔も大慌てでこのエスカレーターに乗ってしまってぐるりと回りこんで2Fに降りたことを思い出す。
 80年代はファッション業界と流通業界に活気があって、この建物に入っているテナントもほとんどが洋服やら靴やらアクセサリーの店だったように思う。地元の長野では手に入らない安物の値打ち商品が所狭しと並べられていて、「さすが東京だ」と感激したものだ。特にめがね等はジョンレノン型がどっさり、靴はプラットホームブーツと呼ばれていたハードロックファンご用達の上げ底ブーツが男性用、女性用共に豊富な品揃えだった。恥ずかしいけれど、レッグウォーマーが流行って、バレリーナでもないのにジーパンに合わせて履いていた。そういえば俺も履いていた。(ああ、恥ずかしい)
 昔懐かしい話でまどろんだ次回からは、今の中野ブロードウェイツアー紀行をお届けします。

靴下の穴

2005-12-10 10:40:56 | Weblog
 まことに情けない話である。
 忘年会で行ったすし屋のお座敷でなんだかかかとがヒヤリとする。さりげなくかかとを触ってみると冬物の靴下のかかとのあたりに穴があいている。そっと見ると意外に大きな穴だ。朝、着替えているときにはなかった。か、あるいは気づかなかった穴だ。忘年会は一次会で解散になったので情けない穴は誰にも気づかれずに済んだ。
 これが初めてではない。というより、靴下は何回も履けば薄くなってくるから穴があいてその寿命を閉じるのは当然である。私の人生で宴会中に靴下の穴が露見したのは3回目であるが、これは多いのかはたまた少ないのか。全世界の平均を知りたい。
 プロ野球の新庄選手は業者とタイアップしたブリーフの発表会で「僕は360日、新しいブリーフをはきます!」と元気に宣言していた。のこりの5日はもしかすると履かないか、トランクスで間に合わせるのかもしれないけれど。まあ、とにかく毎日新しいものにはきかえれば穴があくことなどないからコストを考えなければグッドなアイディアである。
 ちなみに我が妻もお座敷の食事会中に靴下の穴を発見したそうだが、冷え性予防で重ね履きしていたシルク5本指靴下の白い生地がのぞいていたそうである。
 情けない。
 今後の人生で夫婦そろって同じ座敷で靴下の穴があいていない事を祈るばかりである。

今年の世相漢字

2005-12-09 10:46:56 | Weblog
 朝礼当番の男性が、「今日の一言」として、財団法人日本漢字能力検定協会http://www.kanken.or.jp/index.htmlが毎年全国公募している今年の世相漢字について話題にした。
 毎年12月12日に発表される世相漢字は2004年度は「災」だった。
 彼の考えによると、今年は楽天・ライブドアの一連の話題から「株」というのもあるという予測だ。
 なるほど、楽天・ライブドアの大量株取得による企業買収や、その防衛策、はたまた法整備などは大変紙面を賑わせた。資本主義社会下にいて、しかも株式を公開している企業にとっては当然こういったカタチでの騒動は予測できることである。両社が株を取得して相手企業の強みを取り込もうとする理由は、新聞などで見る限りどの経営者も考えて当然と思われるアイディアだ。たとえばインターネットという巨大なメディア内の仮想商店街で勝ちつづける楽天が、番組企画と製作技術で圧倒的にパワーを持つテレビ局と業務提携することを考えることなどは至極当然な流れだと思う。
 これまでの通念で、リーダー同士がお互いをわかり合い、何年もかけてすこしずつ両者の友好関係を育てる手法では、スピードの速い社会ではどんどんその価値が減ってしまう。経済界の新しい流れを喚起したという意味でも「株」の話題は大きい。

 「株」という意味でもうひとつ。今年は企業の倫理感、社会的使命、いわゆるコンプライアンスという言葉が広まった。企業の信頼度を「株が上がった」あるいは「株が下がった」という言い方をする。
春の福知山線での列車脱線事故におけるJR西日本のニュース、秋口から話題になっている耐震強度偽造事件に見る社会的信頼への裏切りのニュースなどは、「謝って済む問題じゃない」企業の社会的な存在意義をも問われる問題だ。
 12日の世相漢字が気になる。

延安の娘

2005-12-08 02:49:16 | Weblog
 『延安の娘』を女房・次男と共に観た。
 日中友好協会会員ということで私に2枚ずつチケット購入が割り当てられて送られてきた。いつも有無を言わさぬ勢いでチケットが同封されている。人によってはこういう手法が好きではないかもしれないけれど、私は結構便利に思っている。なぜって、長野に来ている中国映画や演劇なんて、よっぽど注意していないと情報網に引っ掛からないからだ。
 この映画もたった一日、二回公演のみの上映だ。しかも上映は今大ヒットロードショーの「ALWAYS三丁目の夕日」がかかっている映画館を貸し切りにするという大胆さだ。
 上映時刻前に行ってびっくり!映画館前には北京の朝市か?と思うくらいの黒山の人だかり。あのチケット同封作戦は成功だった。

 さて、映画は、毛沢東時代の紅衛兵が他人に預けた子供が27年を経て親探しをするという、ドキュメンタリーである。「泣くだろうな」と思っていたが、案の定冒頭からザクザクと重いテーマが投げかけられて、子を持つ親、親をもつ子としては涙を流さずにはいられない。まるでシナリヲがあるかのように衝撃的な事実が次々に登場人物に投げかけられる。受け入れられるもの、拒むものが演技ではなく言葉をぶつける。時代背景と中国史を事前に学んでおけばもっと理解が深まったに違いない。
 さらに、まるで地球を撮るくらいの距離からズームアップしてゆくと、ありえないほどの広大な丘に畑を耕す主人公が見えてくる。このシーンは狭い日本と比べてぜひともまぶたに焼き付けて欲しい。あまりにも広大な丘に驚き、その壁面に地層のごとく水平に引かれた線が、こつこつと人間が耕した畑に植えられた穀物の列であることに、衝撃を受けるだろう。
 文明とは何ぞやとか、考えないで観て欲しい。
 文句なし!にすばらしい。