土屋龍一郎のブログ

土屋龍一郎のブログです。

「コーヒーアンドシガレッツ」

2006-01-11 23:55:12 | Weblog
「COFFEE AND CIGARETTES」は、コアなファンをぐっと掴みそうな、というよりハートわしづかみの映画だ。
 ジム・ジャームッシュという監督が、「この映画はリラックスして楽しんで製作した」というとおり、そのお遊び感覚が伝わってめちゃくちゃ楽しい。
 11のストーリーがテーマにあわせて登場人物も設定も変えて並んでいる作品だ。登場人物はどのストーリーも監督が直接交渉したひとくせ、ふた癖ある有名人ばかりだ。たとえば、トム・ウェイツとイギー・ポップがジュークボックスが置いてあるカフェでコーヒーを飲みタバコをくゆらせながら会話をするなんて音楽ファンにはたまらない、ありそうで見られないシーンである。
 全部見終わってから、いくつかのストーリーを繰り返し見た。
 そのなかであっと驚くのは、ケイト・ブランシェットの出演である。これから見る方もいると思うのでそのトリックは伏せておくけれども、実際に有名な女優であるケイトとそのいとことの会話が超しゃれたカフェで交わされる。いとこの嫉妬と戸惑いながらも身内である気安さで攻撃をし返すやり取りに「うまいなぁ」と感心させられる。
 どのシーンもコーヒーを飲み、話をしているうちに最初テーブルについたときとは微妙に登場人物の感情が変化してくるところが面白い。
 現実のカフェでも、話しているうちに相手の言葉と自分の言葉の化学反応で、喜怒哀楽の微妙な変化が起こるものだ。いよいよ気まずくなればその場を離れるしかない。この映画は、そんなときに実際に見ることはできない、残された一人の感情や行動も表現している。
 なんというか、役者ってすげえなぁ、ということを一流役者のカタログを見ながらため息をつく、そんな映画です。
 ところで、ルネ・フレンチっていうすっごい美人が足を組んで本を読んでいる役で出演しているのだけれどインターネットで検索しても素性がわからない。映画のHPにさえ、「謎に包まれている」としか、書いてない。気になる。誰なのか教えてください。アーティスト、イラストレーターかもしれない。

「大統領の理髪師」

2006-01-10 23:34:18 | Weblog
「大統領の理髪師」
 私がファンになっている韓国映画界のスター ソン・ガンホ主演の話題作「大統領の理髪師」が、やっと最近贔屓にしているビデオレンタルショップに並んだ。心待ちにしていた超話題作なので、入荷が遅れたのだと思っていたが、入荷直後から7泊8日貸し出しのコーナーに並んでいた。
 あんまり、超大作ではないのかもしれない。予算も規模もそれなりの枠の中で作ったという感じがある。
 ロケを省いた状態の寅さん映画、といった感じのセットだった。
 でもやっぱりソン・ガンホ。いい味を出しているんだこの人が。
 無学な父親で理髪屋の役をソン・ガンホ流で演じている。情緒豊かな刑事役や切れ者の組織の一員といった役のイメージが強い人だが、今回はすっとぼけたニュアンスを持つ町の理髪屋のおやじである。韓国語はわからないけれど「四捨五入」ということばを教わって自慢げに使うところなどほほえましい。蛇足だが、大統領が「その言葉は日本語から来ている」、と叱責した場面や、突如日本語でせりふを言う場面などこの映画が日本で公開されることを見越した演出もありましたが。

 特典映像で、イム・チャンサン監督、ソン・ガンホ、女房役のムン・ソリのインタビューが出ていた。
 少々驚いたのは、その誰もが60年代から70年代の韓国の近代史のねじれを題材とした歴史映画といった認識が強かったことだ。「こんな逸話を映画にしてみた」などという甘いものではなくて、「当時はこういったことが社会に大きく影響を及ぼしていた」ということを表現しているとのことだ。あとから制作の背景をHPで調べてみると、果たして1969年生まれの監督が脚本から設定まで時代を意識して作り上げたということがわかった。
 決して民主主義的とはいえない選挙結果やら政権の変遷を非常に現実的に捉えた、いわば政治映画のようである。この映画が韓国国内でどんな評判になったのか興味のあるところだ。
 
 子を持つ親ならば彼の頭の中にある矛盾した現実認識をもどかしく思いながらも、子供(これがまた木村拓也ばりにハンサムなんだ)への感情移入で号泣する映画だと思う。
 韓流ブーム、この映画お勧めです。

これを読まず!「いなかのせんきょ」

2006-01-09 20:07:24 | これを読まず!
 1月8日の産經新聞朝刊の書評で紹介されていたこの本が、何となく気になって新刊の時期なのに購入した。
 「いなかのせんきょ」というとぼけた感じの題名にも惹かれた。ちょうど長野駅前の巨大書店に寄ったので平積みにされている一冊を手に取った。予想通り、カテゴライズしにくい本コーナー(私が勝手にそう呼んでいる場所)にあった。
 一気に読了した。藤田治さんという著者を存じ上げなかったのだが、講談風の仕立てで、語りかけてくるスタイルの文体なので読みやすい。
 藤田さんは長野にご縁の深い方なのではないだろうか?
 舞台となる戸陰村(とかげむら)は、実在した戸隠村(平成17年1月1日に長野市と合併)と名前が似ているし、村を囲む山々の描写が戸隠に似ている。しかも戸陰村の規模を表したところに「・・・広さだけなら長野市よりもなおデカいという広大なものだそうでありますが・・・」(11ページ)のように、いきなり長野市が登場する。

 さて、本年最初に読了した1冊は、ほのぼのした中にも世の中の選挙を風刺したところがある、楽しい一冊だった。
 1月1日現在86市町村ある長野県内でもいくつかの選挙が行われる。なんだか実際の選挙ってこんな感じだろうなと情景を思い浮かべながらこの本を読んだ。
 そうだ、今年は長野県知事選挙もあるんだっけ。

Another Bourne Identity

2006-01-08 02:27:15 | Weblog
 昨年はビデオ三昧の一年で、自宅でテレビを見ない代わりにずいぶんといろんなDVDやらVIDEOを借りてきて自宅で楽しんだ。
 その中でも傑作だったのはMatt Daemon出演の「The Bourne Identity」で、続きの「The Bourne Spremacy」も含めて大変ファンになった。DVDのコンテンツである撮影秘話なんかもばっちり見て格闘シーンのまねなんぞしたくらいだ。
 新しいタイプの007的スパイ映画だ。

 この映画が実はリメイクであって、ずいぶん前に別の主人公で映画化されたVIDEOが中古CD屋さんで売っているのを発見してしまった。結構高かったので買わなかったが、こりゃあ見ておかなくちゃいけないと思ってレンタル品を方々探しまわった。
 ところが昨年あんなに贔屓にしたレンタルビデオ屋さんには在庫が無く、しかも検索しても「そのような作品は無い」との答。!?
 12月にもっと大きなチェーンのレンタルビデオ屋さんに乗り換えて探したら、やはりありました。Richard Chamberlainが渋い顔して銃をこちらに向けているパッケージだ。日本語の解説を見たら同じあらすじだった。その時はなぜか「魔が差して」借りずにかえったのがまずかったのだと思う。
 昨日改めて借りに行ったらどう探しても見つからない。大変在庫整理がゆきとどいていて洋画でもカテゴリーごとに「あ」から「ん」まで並んでいる。それなのに見つからない。ボーンアイデンティティーの「ほ」を探していてもいつの間にか「ま」になっている。スパイものコーナーの辺には無く、ミステリーにも無く、アクションにも無く、ひょっとしたら韓国人が絡んでいるのかと思って韓国コーナーに行っても、香港コーナーにも見当たらぬ。1時間後にくたびれて、店員に聞いたところ、「ここにあるだけなんです」という、紋切り型の中では最低の答え。別の店員がパソコンで検索したら「そういった作品はありません」!?
 だって一ヶ月前にここにあったんだぜ!
 まさか、このストーリーのように何かの策略か、秘密組織の陰謀で、俺の楽しみを邪魔しているのか?
 「チェーンと言っても市内の各店舗は別の経営母体になっていまして、さらに上のレンタルビデオ屋から借りているんです。人気のないものや古いものは返しちゃうんです。」それは知らなかった。したがってその作品は存在を確認することもできず、店員の記憶にもパソコンの在庫にも残らない形で消滅したようであった。

 あまりに悔しいのでインターネットで検索したら3秒で出てきた。
 「The Bourne Identity」は1988年にテレビ映画化された作品だった。
 これ、どうしても見たい。

これを読まず!「運命の息子」

2006-01-07 23:15:47 | これを読まず!
 ジェフリーアーチャーの小説が好きで、ほとんどを読んでいる。
 「ケインとアベル」シリーズ3部作が特に好きで、何度読んでも作者の仕掛けた深みにはまってしまって、泣かずにはいられなかったり、勇気をもらったりする。
 「運命の息子」(Sons of fortune)を、年末に読んだ。
 定期的に家族で行く深夜本屋で、上巻を買ったら本の虫である女房が一気に読み終えて、いつの間にか下巻も読み終えていたので慌てて追いかけて読んだ。いつものジェフリーアーチャー流のストーリー展開なので罠と知りつつはまりながら、一気に読んでしまった。何日かかけて読むつもりだったが、ほぼ徹夜してしまう。いつもそうだ。
 この本のAmazonのレビューを見ると、元からのファンは結構手厳しい。これらのレビューを見てから、もう一度思い出すと、やはり、いつも以上の唐突な展開やらスピードに無理があるかもしれない。どんどん登場人物が役目を終えて切り捨てられてゆく技はジェフリー流なのだが、確かにもっと性格を書き込んだ方が面白い人もいた。
 まあ、でもこのシリーズは、なんと言っても永井淳氏の翻訳の力がものを言っていると思う。レビューの中には翻訳の致命的な欠陥があると指摘している方もいて、今度は原書にも挑戦してみたいと思う。原書との比較はできないけれども、永井氏の日本語のリズムは淡々としているけれども大人を引きつけるテンポを持っている。徹夜させる勢いがある。
 生意気いうなと怒られることを承知で言うけれど、ハリーポッターシリーズの日本語は、原書との比較以前に、「おかしな日本語」で書かれていると思う。読みにくい。
 きっと、ジェフリーアーチャーに新刊が出たら買うと思う。
 ところで、「運命の息子」はAmazonのユーズド価格では、¥1である。

年賀状2

2006-01-06 13:22:15 | Weblog
 「年賀状はなくなる」と、ある友人が予言していた。パソコンが普及して、楽しい写真つきmailが作れるようになると、はがきなど使わずにmailでご挨拶をするようになるだろうというのが彼の考えであった。
 確かに2000年ごろは、年が明けるとフォトレタッチで加工された楽しい年賀状が添付されたmailが届くことが多かった。
 ところが今年は同時配信によるグループ宛年賀状を除いては、個人から写真添付の年賀状がほとんど来なかった。ほとんどが加工されてプリントアウトされた写真であったから、パソコンの普及は進んでいるのだと思う。しかしなぜかかの友人の予言したような「年賀状がなくなる」ような気配もない。
 日本のよき伝統を残そうという考え方に私は賛同している。それにしても年賀状を出すという風習は実際には、多面的な要素があって、しかも、文面やらレイアウトやらの質感がとても気になるくらいに精神的な要素も多いから伝統を残すのも一苦労である。
 今年こそは「なるほど」と思われるような年賀状を企画しよう。
 と、毎年思っている。
 のは私だけではあるまい。

年賀状1

2006-01-05 13:06:43 | Weblog
 年賀状の対応については、いつもいつも苦労する。
 さて、年賀状というものは子供のころから続けてはいるものの、いったい何なんだろうか?
 日ごろの無沙汰を詫び、こちらの近況をお伝えするという大変大きな意味がある。実際に何年もお会いしていない方々からいただく年賀状を見るとそれぞれの地でお元気にされていることを知ってお互いに安心する。
 一年間に新たに出会いの会った方々に御礼と新年以降もお付き合いをお願いするということも大変大切だ。新しい出会いがあったときにすぐにお礼状などを出していればよいのだが、機を逸するとこのお礼状が非常に間抜けな感じになってしまう。そんなときに年賀状で御礼をすれば、少なくとも失礼にはあたらぬ。
 これ、大事!
 しかし、、、、いただく年賀状・出す年賀状共に、上記のいずれでもない年賀状もある。昔からの付き合いや日ごろからよく合う人からも年賀状が来る。元気なのもわかっているのだが・・・また、もうご縁も切れてお付き合いもない業者の方々から迷い込んだようにいただく年賀状もある。出すときの気持ちを考えると、企業人の一人としてその気持ちがわからないでもない。が・・・こちらは当惑する。
 いずれにしてもこれらの年賀状がほほえましい、あるいは大変に気合のこもった文面であったりするとそれなりにお返事も差し上げなくてはならぬ気持ちになる。しかし、文面・あて先共にパソコン出力で、添え書きもない時には単なる形式的な書状の交換にこれだけの苦労をされる意図がわからぬ場合も多い。
 いろいろなカテゴリーの方々とご縁をいただいてお付き合いをさせていただいているわけだが、毎年年末には年賀状をどのようにしたらよいかで悩んでしまい、挙句の果ては、やはり自分も印刷された形式的な年賀状をとりあえず用意することになる。
 さらにはどの方に差し上げたらよいかで悩んでしまって、早めに手配を始めた癖に年が明けてから投函するようなことが続いている。
 

初夢

2006-01-04 02:35:29 | Weblog
 新年に初めて見た夢を初夢という。
 毎年、いつの間にか正月が終わって初夢のことなど覚えていない。
 今年も、ばたばたしていてどれが初夢かわからない。
 けれども覚えていた夢があるので書いておきたい。
 私が好きな女性が(夢の中の設定です)、かねてより結婚について願望があったのだが、とある男性からプロポーズを受けて、こともあろうに私に相談をしてくるという夢だ。はじめはその気はなかったが「まんざらではない」男性と「まんざらではない」気持ちになったけれどどうしようかと悩んでいるとのことだ。
 目が覚めて思い出してみるとその女性は女房でも娘でもない。
 寝る前に大友克洋の「アキラ」4巻(まんだらけで購入したもの)を読んだせいかもしれない。
 4巻は珍しくラブストーリーなのだ。眠りしなに見たケイの残像が現れたのだろうか?
 いずれにしても非常にメンタルな意味が深い夢を見たものだ。初夢が一年の運勢を占っているとしたら、この夢はハッピーな暗示なのか、それとも喪失感の前兆なのか?
 まあ、夢の話だからな。

雪かき指南2「公道の雪」

2006-01-03 03:06:12 | Weblog
 ある新年会で、地元の新聞社の常務さんとご一緒した。
 その際に話題になった一つが今年の大雪である。長野では北部に「大雪警報」が出された。昨年末には「低温注意報」という聞き慣れないものも出たけれど、北海道を差し置いてなぜか長野が日本一寒い温度を記録しているのだから、しょうがない。
 気象庁が天気予報等で用いる用語によると、いずれにしても災害が引き起こされる可能性のある場合に発令されるようだ。
 いずれにしても、昨年末から正月にかけて日本全国を襲った大寒波は常軌を逸している。特に長野は朝に片付けたところが昼過ぎには雪で埋まり、夕方には片付けた痕跡さえも白く覆ってしまうほど雪が降っている。
 
 さて、常務さんと「自宅の前の公道の雪は誰がどこまで片付けるべきか」という、まことに新聞社らしい課題を提供していただいた。なるほど。
 隣にいた別の客人は、「すぐに市役所に連絡したら良い」という、ルール重視派であった。私は、「公道であっても自宅の前なのだから気づいた時点でその住民が片付けるべきだ」というモラル重視派である。
 さらに、「公道である限り向かい側のお宅もあるのでどこまで片付けたら良いか?」という疑問が生じる。
 これについては、先人の教えで「お向かいのお宅との境界線をまたいで一歩向こうの所までかいておく」ことが良いとされる。・・・らしい。
 かかれた雪がぴったりと境界線上であったら、これほど嫌みなことは無い。さらにお向かいのお宅が片付けるべき公道の雪を全部片付けてしまうのも失礼にあたる。なぜならば「次に雪が降ったらあんたがこっちの分も片付けな」と言っているようなものだからである。
 これは、夏の打ち水、掃除にも転用できる「先人の知恵」だな。

雪かき指南1「車の雪」

2006-01-02 03:06:43 | Weblog
 自宅の駐車場で、一晩に積もった雪が車をすっぽり覆ってしまった。
 冬期の車の管理は慣れが必要になる。
 暖房をかけて駐車した翌朝に冷え込んで、しかも雪が積もると、フロントガラスを含めて全部の窓の外側にびっしりと氷がついてしまう。まずワイパーを跳ね上げてフロントガラスから離して駐車することは常識である。そうしないと、ワイパーのゴムがフロントガラスの張り付いて動かなくなる。さらにゴムは傷む。先日知人のマーク2を借りたら、ワイパーがボンネットにもぐるように取り付けてあって跳ね上げることができなかった。スタイリングが美しい車だが寒冷地には適していないデザインだった。
 次にこれらのガラスに氷が張り付かないテクニック。
 1、駐車場に入れるしばらく前にヒーターを切って車内の温度を下げておく。
 2、盗難などに遭わない程度にそれぞれの窓を少しずつ開けておく。
 要するに、窓の氷は内側と外側の温度差が水滴を呼び込んで凍り付く訳なのでその温度差をなくせば窓に氷が張り付くことも無いのである。これはお試しください。

 車の屋根の上の雪!
 スキー場からの帰り道、県外ナンバーの車が「俺は思い切りスキーしてきたぜ」とこれ見よがしに屋根に雪をのせている光景に出くわす。これは危ない。
 山を下ってだんだん温度が高くなってくると車の屋根の上で雪が溶けて緩んでくる。そんなときにブレーキを踏むと屋根の上の雪が塊のまま一挙にフロントガラスになだれ落ちてくる。視界は一瞬にしてゼロになってドライバーはパニックになる。渋滞などしていたら追突間違いなしだ。
 長野県の教習所ではチェーン装着と雪の処理について講習を受けるけれど(私の時には2時間あった)、雪など滅多に降らない地域ではこのレベルの危機管理についてはなじみが薄いに違いない。

 どなたも安全運転を心がけてください。