こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
私は大学卒業して塾の仕事とはまったく関係のないところに就職しました。特にしたい仕事ではなかったですが、ここしか選択肢がなかったのでとりあえず行ってみることにしました。それが初日からあまりの居心地の悪さに耐え切れず、わずか2週間で退職願を提出しました。そのとき言われたのが「松下、もう一度考え直してみないか。今はしんどいかもしれんけど、そのうちきっと慣れてくるはずや。それにこんな形で辞めてしまうと、またお前は逃げてしまうぞ!そうならないためにも、もう一度頑張ってみないか?」
「あれっ?この言葉、聞いたの初めてじゃないぞ。いつかも同じようなこと言われたな」
そうそう、中学2年生のときでした。卓球部に入っていた私は3年生が引退し、キャプテンという大役を任され張り切っていました。ですが2年生の終わりごろになると、そろそろ本格的に受験勉強をしたいと思い、私のような不器用なタイプは勉強とクラブの両立はできないだろうという判断で顧問の先生に退部させてくださいとお願いしに行きました。そのときに先生は「松下、お前は確かに勉強はそこそこできるし、受験勉強したい気持ちもわからんではない。でもお前が抜けたら卓球部はどうなるんや?キャプテンのお前が抜けて残った部員はどうなるんや?そんなこと考えたことがあるか? それに受験勉強のためにクラブを辞めるなんて、そんな形で逃げていたら、この先また同じように逃げてしまうぞ!」
うーん。この先生の予言は当たっていたんですね。実は私は高校では柔道部に入っていましたが、高校2年生の冬に退部しているんです。そして前述したように、仕事も一瞬で辞めてしまっています。もっと言えば、大学時代にたくさんのアルバイトをしましたが、どれも長続きしませんでした。1日で辞めたバイトもありました。中2のときに卓球部を辞めたから、私は逃げ癖がついてしまったのでしょうか?
「そんなわけあるかーい!」
そもそもスポーツ推薦で進学を狙っているならともかく、私にとって部活はあくまでもサブです。特に中学校ではクラブに入らないといけない雰囲気があったので、まあとりあえずやっとこかという軽い気持ちで入ったにすぎません。
クラブを辞めてからの私は、友達からの遊びも断り、学校の休み時間でも勉強するようになり、そのおかげで成績は伸び、無事に第一志望校に合格することができました。受験勉強は逃げずに最後までやり遂げたんです。クラブを最後までやりとげた同級生の誰よりも一生懸命勉強したという自信がありました。
私がしたことは、「逃げる」ことではなく「選ぶ」ことだったのです。自分にとって大事なものは何か、自分がしたいことは何か、自分にとって居心地のいい場所はどこか、それらを考えて私はクラブを辞め、勉強に集中すると決めたのです。
それを「逃げる」と言われれば、今なら「はあ? へえー、そうなんだー(棒)」と聞き流すことができますが、まだ純粋だった頃の(笑)当時の私はやはり傷つきました。
と、こんな話を以前不登校の生徒としたことがありました。すると「僕も僕も。同じこと言われたで」「えっそうなん?どんなんやった?」「もう学校に行けなくなってたんで、もうこの学校には戻らないですって言ったら『今逃げたら、君はこの先ずっと逃げることになるよ!違う学校に行ってもまた逃げるし、高校や大学に進学してもまた逃げる!だから今逃げずに学校に帰ってくることが大切なんだ!』って言われてん」
そうなんです。特にこういうのは教師がよくいう台詞です。おそらく正論でしょう。そして自分自身がそうやって生きてきてそれが正しいと思っているからこそ生徒に伝えているんでしょう。でもね、そんな強い人間ばかりじゃないんです。そんなに器用な人間ばかりじゃないんですよ。
学校を辞めるリスク、仕事を辞めるリスク、それは本人が一番よくわかっています。それでもその場所から離れたいと思って辞める選択をしているのですから、それを「逃げる」というネガティブな一言で片づけてしまってよいのでしょうか。
大きなリスクを覚悟してでも、自分が本当に輝ける場所、本当に居心地のいい場所それを求めて離れるんです。その選択は私は素晴らしいと思います。ですので私はそんな決断をする子どもたちを心から応援しています。
生徒たちに「逃げる」と言っている教育関係者の方々、生徒がなぜそこから離れようとしているか考えたことはありますか? その原因が自分たちにあるという可能性を考えたことはありますか? 生徒の将来を真剣に考えたことがありますか?
一緒に見つけていくという姿勢が現在の教育関係者に最も欠けているのではないでしょうか。
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私は大学卒業して塾の仕事とはまったく関係のないところに就職しました。特にしたい仕事ではなかったですが、ここしか選択肢がなかったのでとりあえず行ってみることにしました。それが初日からあまりの居心地の悪さに耐え切れず、わずか2週間で退職願を提出しました。そのとき言われたのが「松下、もう一度考え直してみないか。今はしんどいかもしれんけど、そのうちきっと慣れてくるはずや。それにこんな形で辞めてしまうと、またお前は逃げてしまうぞ!そうならないためにも、もう一度頑張ってみないか?」
「あれっ?この言葉、聞いたの初めてじゃないぞ。いつかも同じようなこと言われたな」
そうそう、中学2年生のときでした。卓球部に入っていた私は3年生が引退し、キャプテンという大役を任され張り切っていました。ですが2年生の終わりごろになると、そろそろ本格的に受験勉強をしたいと思い、私のような不器用なタイプは勉強とクラブの両立はできないだろうという判断で顧問の先生に退部させてくださいとお願いしに行きました。そのときに先生は「松下、お前は確かに勉強はそこそこできるし、受験勉強したい気持ちもわからんではない。でもお前が抜けたら卓球部はどうなるんや?キャプテンのお前が抜けて残った部員はどうなるんや?そんなこと考えたことがあるか? それに受験勉強のためにクラブを辞めるなんて、そんな形で逃げていたら、この先また同じように逃げてしまうぞ!」
うーん。この先生の予言は当たっていたんですね。実は私は高校では柔道部に入っていましたが、高校2年生の冬に退部しているんです。そして前述したように、仕事も一瞬で辞めてしまっています。もっと言えば、大学時代にたくさんのアルバイトをしましたが、どれも長続きしませんでした。1日で辞めたバイトもありました。中2のときに卓球部を辞めたから、私は逃げ癖がついてしまったのでしょうか?
「そんなわけあるかーい!」
そもそもスポーツ推薦で進学を狙っているならともかく、私にとって部活はあくまでもサブです。特に中学校ではクラブに入らないといけない雰囲気があったので、まあとりあえずやっとこかという軽い気持ちで入ったにすぎません。
クラブを辞めてからの私は、友達からの遊びも断り、学校の休み時間でも勉強するようになり、そのおかげで成績は伸び、無事に第一志望校に合格することができました。受験勉強は逃げずに最後までやり遂げたんです。クラブを最後までやりとげた同級生の誰よりも一生懸命勉強したという自信がありました。
私がしたことは、「逃げる」ことではなく「選ぶ」ことだったのです。自分にとって大事なものは何か、自分がしたいことは何か、自分にとって居心地のいい場所はどこか、それらを考えて私はクラブを辞め、勉強に集中すると決めたのです。
それを「逃げる」と言われれば、今なら「はあ? へえー、そうなんだー(棒)」と聞き流すことができますが、まだ純粋だった頃の(笑)当時の私はやはり傷つきました。
と、こんな話を以前不登校の生徒としたことがありました。すると「僕も僕も。同じこと言われたで」「えっそうなん?どんなんやった?」「もう学校に行けなくなってたんで、もうこの学校には戻らないですって言ったら『今逃げたら、君はこの先ずっと逃げることになるよ!違う学校に行ってもまた逃げるし、高校や大学に進学してもまた逃げる!だから今逃げずに学校に帰ってくることが大切なんだ!』って言われてん」
そうなんです。特にこういうのは教師がよくいう台詞です。おそらく正論でしょう。そして自分自身がそうやって生きてきてそれが正しいと思っているからこそ生徒に伝えているんでしょう。でもね、そんな強い人間ばかりじゃないんです。そんなに器用な人間ばかりじゃないんですよ。
学校を辞めるリスク、仕事を辞めるリスク、それは本人が一番よくわかっています。それでもその場所から離れたいと思って辞める選択をしているのですから、それを「逃げる」というネガティブな一言で片づけてしまってよいのでしょうか。
大きなリスクを覚悟してでも、自分が本当に輝ける場所、本当に居心地のいい場所それを求めて離れるんです。その選択は私は素晴らしいと思います。ですので私はそんな決断をする子どもたちを心から応援しています。
生徒たちに「逃げる」と言っている教育関係者の方々、生徒がなぜそこから離れようとしているか考えたことはありますか? その原因が自分たちにあるという可能性を考えたことはありますか? 生徒の将来を真剣に考えたことがありますか?
一緒に見つけていくという姿勢が現在の教育関係者に最も欠けているのではないでしょうか。
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