おはようございます。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
みなさんは、学生時代、楽しんで学校に通っていましたか? 授業を受けることが楽しかったですか?
「楽しかった」と答える人にはそれぞれ理由があるでしょう。「友達と遊べる」「クラブが楽しい」これらが楽しい理由の上位にくるでしょうか。
こうした楽しみや拠り所がない子どもたちは、何を目標に、何をモチベーションとして学校生活を送っているのでしょうか。「学校に行くことは義務だから」「行かないと人生が終わってしまうから」そんなネガティヴな感情で通っている子どもはかなりの数いるのではないでしょうか。
学校という場所は、もちろんいい面もあるのですが、やっかいなところでもあるのです。たとえば、音楽で歌のテストがありますよね。私なんかは、人前で話すことすら当時は恥ずかしくてできなかったのに、歌を歌うなんてできるはずがない。でも歌を歌わないと音楽の内申点が下げられるから仕方なく歌いましたが、本当に嫌で嫌で前日の晩から不安で眠れないときもありました。「どうしてそんなことぐらいで?」と思われる方もいるでしょうか、当の本人にとっては大きな悩みなのです。
「そういった経験が社会にでたときに役立つんだよ」確かにそれはわかります。だからといって、私は成人してからも人前で話すことは苦手のままで、それが大学卒業後に「ひきこもった」大きな原因の1つとなったのは間違いありません。つまり人前で歌を歌わせられたり、発表させられたりしたことによって苦手が克服できたわけではないのです。逆にそれらがうまくいったことがなかったため、さらに自信をなくしコンプレックスになった気がします。大人になると、失敗することがあってもそれを受け入れることができ、もっと上達するためにどうすればよいのかを考えることができたり、そもそも失敗してもそれほど落ち込まなくなるのでそのうち慣れてきます。ですが10代の思春期真っ最中の子どもたちにとっては、1回や2回の失敗でその学校生活に大きく影響を及ぼすことだってあるんです。
繰り返しになりますが、学校で歌のテストや人前で発表させることをやめろと言っているのではなく、それらはおそらく子どもの成長にいい影響を与えるケースが多いでしょう。ただ絶対に正しいものだ!というのは少し私は怖く感じます。これまでの先生の経験だけで「これは絶対に正しいものだ!」という判断は危険なことのように思います。
たとえば、こんなこともありました。不登校になった生徒が頑張って学校に行きました。1ヵ月以上休んだ生徒が教室に入ることの恐怖を想像してみてください。クラスの同級生からは「何しに来たんや?」みたいな感じで見られ、ときにはわずかに耳に届くほどの小声で、悪口を言われているかもしれません。授業中、座っているだけでも不安でいっぱいの、そんなメンタルがかなり削られている状態の子がみんなの前で発表などできるでしょうか。先生は「この子はコミュニケーションに問題がある。このコミュニケーション能力を高めてあげれば毎日学校にこれるはずだ。そのためには話すことに慣れさせなくては!」という思いからでしょう。授業でも積極的に、この生徒を当てて答えさせ、意見を発表させました。不登校の間、勉強もできていなかったので、当然授業をうけてもほとんど答えられません。先生に当てられても答えられるはずもなく、いつも「わかりません」としか言えませんでした。そうすると、この子をイジッってくる子たちもでてきます。教室に入って授業を受けているだけでも大きなストレスになっているのに、それに追い打ちをかけるようなことをしているんですね。
甘やかすのではなく段階を経て、徐々にならせていくということが大切であって、いきなり高いハードルをつきつけられてしまったら、せっかく振り絞って出した勇気も消え失せ、二度と教室には入れなくなってしまいます。基本的には先生たちは不登校の子どもたちのことを心配しています。なんとか学校に来ることができるようにと、いろいろ考えたり試したりしてくださっていると思います。ですがその前に必要なものは、彼らがどうして不登校になったのかというその原因を知ること、あるいは知ろうとすること、彼らが毎日どういう気持ちで過ごしているのか、そして自分にとって正しいと思う行為であっても、それは正しくない場合もあるということを理解することが必要だと思います。マニュアル通りにいくことなんてほとんどありません。生徒1人1人に対して「そんな時間はない!」というのは、もっともなことですが、子どもたちの人生がかかっていることなんです。
学校側ができることは先生の人数や、しなければならない仕事を考えると今が限界かもしれません。先生も勉強を教えることはプロであっても、子どもたちの心のケアの専門家ではありません。ですから先生にすべてを押し付けるのではなく、学校にどんどん勉強を教えること以外の専門家を招いたり、ときには先生たちも講習を受けてもらって初歩的な知識だけでも持ってもらったり、あるいはどうしても学校に行くことができない子どもたちが通える場所をつくったり、そういったものが必要なのではないでしょうか。
私の塾でもすべてのことができるわけではなく、勉強を教えることが中心となりますが、「子どもたちにまだ絶望してほしくない。自分の将来に希望をもって進んでもらいたい」という思いをもって子どもたちに接しています。人生を諦めるには、まだ早すぎる子どもたちです。なんとか前向きな気持ちになってもらえるよう私なりにいろいろ考えて彼らと接しています。彼らの表情が少しずつ明るくなり、出てくる言葉もネガティヴなものからポジティブなものに変わっていくとき嬉しくて何ともいえない気持ちになります。
これからますます不登校で苦しむ子どもが増えていくと予想されています。もっと大胆な改革や変化を望んでいますし、私にも何かできることはないか考えていきたいと思います。今苦しんでいる不登校の子どもや、そのご両親。とても辛い状況でしょうが、きっと光は見えてきます。決してあきらめずに、変化が現れるときが必ず来ると信じてください!
ONE-SのHP
みなさんは、学生時代、楽しんで学校に通っていましたか? 授業を受けることが楽しかったですか?
「楽しかった」と答える人にはそれぞれ理由があるでしょう。「友達と遊べる」「クラブが楽しい」これらが楽しい理由の上位にくるでしょうか。
こうした楽しみや拠り所がない子どもたちは、何を目標に、何をモチベーションとして学校生活を送っているのでしょうか。「学校に行くことは義務だから」「行かないと人生が終わってしまうから」そんなネガティヴな感情で通っている子どもはかなりの数いるのではないでしょうか。
学校という場所は、もちろんいい面もあるのですが、やっかいなところでもあるのです。たとえば、音楽で歌のテストがありますよね。私なんかは、人前で話すことすら当時は恥ずかしくてできなかったのに、歌を歌うなんてできるはずがない。でも歌を歌わないと音楽の内申点が下げられるから仕方なく歌いましたが、本当に嫌で嫌で前日の晩から不安で眠れないときもありました。「どうしてそんなことぐらいで?」と思われる方もいるでしょうか、当の本人にとっては大きな悩みなのです。
「そういった経験が社会にでたときに役立つんだよ」確かにそれはわかります。だからといって、私は成人してからも人前で話すことは苦手のままで、それが大学卒業後に「ひきこもった」大きな原因の1つとなったのは間違いありません。つまり人前で歌を歌わせられたり、発表させられたりしたことによって苦手が克服できたわけではないのです。逆にそれらがうまくいったことがなかったため、さらに自信をなくしコンプレックスになった気がします。大人になると、失敗することがあってもそれを受け入れることができ、もっと上達するためにどうすればよいのかを考えることができたり、そもそも失敗してもそれほど落ち込まなくなるのでそのうち慣れてきます。ですが10代の思春期真っ最中の子どもたちにとっては、1回や2回の失敗でその学校生活に大きく影響を及ぼすことだってあるんです。
繰り返しになりますが、学校で歌のテストや人前で発表させることをやめろと言っているのではなく、それらはおそらく子どもの成長にいい影響を与えるケースが多いでしょう。ただ絶対に正しいものだ!というのは少し私は怖く感じます。これまでの先生の経験だけで「これは絶対に正しいものだ!」という判断は危険なことのように思います。
たとえば、こんなこともありました。不登校になった生徒が頑張って学校に行きました。1ヵ月以上休んだ生徒が教室に入ることの恐怖を想像してみてください。クラスの同級生からは「何しに来たんや?」みたいな感じで見られ、ときにはわずかに耳に届くほどの小声で、悪口を言われているかもしれません。授業中、座っているだけでも不安でいっぱいの、そんなメンタルがかなり削られている状態の子がみんなの前で発表などできるでしょうか。先生は「この子はコミュニケーションに問題がある。このコミュニケーション能力を高めてあげれば毎日学校にこれるはずだ。そのためには話すことに慣れさせなくては!」という思いからでしょう。授業でも積極的に、この生徒を当てて答えさせ、意見を発表させました。不登校の間、勉強もできていなかったので、当然授業をうけてもほとんど答えられません。先生に当てられても答えられるはずもなく、いつも「わかりません」としか言えませんでした。そうすると、この子をイジッってくる子たちもでてきます。教室に入って授業を受けているだけでも大きなストレスになっているのに、それに追い打ちをかけるようなことをしているんですね。
甘やかすのではなく段階を経て、徐々にならせていくということが大切であって、いきなり高いハードルをつきつけられてしまったら、せっかく振り絞って出した勇気も消え失せ、二度と教室には入れなくなってしまいます。基本的には先生たちは不登校の子どもたちのことを心配しています。なんとか学校に来ることができるようにと、いろいろ考えたり試したりしてくださっていると思います。ですがその前に必要なものは、彼らがどうして不登校になったのかというその原因を知ること、あるいは知ろうとすること、彼らが毎日どういう気持ちで過ごしているのか、そして自分にとって正しいと思う行為であっても、それは正しくない場合もあるということを理解することが必要だと思います。マニュアル通りにいくことなんてほとんどありません。生徒1人1人に対して「そんな時間はない!」というのは、もっともなことですが、子どもたちの人生がかかっていることなんです。
学校側ができることは先生の人数や、しなければならない仕事を考えると今が限界かもしれません。先生も勉強を教えることはプロであっても、子どもたちの心のケアの専門家ではありません。ですから先生にすべてを押し付けるのではなく、学校にどんどん勉強を教えること以外の専門家を招いたり、ときには先生たちも講習を受けてもらって初歩的な知識だけでも持ってもらったり、あるいはどうしても学校に行くことができない子どもたちが通える場所をつくったり、そういったものが必要なのではないでしょうか。
私の塾でもすべてのことができるわけではなく、勉強を教えることが中心となりますが、「子どもたちにまだ絶望してほしくない。自分の将来に希望をもって進んでもらいたい」という思いをもって子どもたちに接しています。人生を諦めるには、まだ早すぎる子どもたちです。なんとか前向きな気持ちになってもらえるよう私なりにいろいろ考えて彼らと接しています。彼らの表情が少しずつ明るくなり、出てくる言葉もネガティヴなものからポジティブなものに変わっていくとき嬉しくて何ともいえない気持ちになります。
これからますます不登校で苦しむ子どもが増えていくと予想されています。もっと大胆な改革や変化を望んでいますし、私にも何かできることはないか考えていきたいと思います。今苦しんでいる不登校の子どもや、そのご両親。とても辛い状況でしょうが、きっと光は見えてきます。決してあきらめずに、変化が現れるときが必ず来ると信じてください!
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