こんばんは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
前回の続きになります。
センター試験まであと1ヵ月という時期においても、私はようやく数学と英語の勉強がなんとか間に合ったという感じで(センター試験に出題されない数Ⅲは、まったく手を付けておらず)、物理・化学・世界史にいたっては、3分の1の範囲ほどしか終わっていませんでした。当然本番のセンター試験の結果はボロボロで、わかってはいたことでしたが、さすがにショックでした。この段階での私の選択肢は2つで、浪人して勉強し直すか、今の学力で合格できる大学を探すかのどちらかでした。これに関しては迷わず前者を選びました。「ある程度名前のある大学にいかないと!」というプライドがあり、「俺の力はこんなものじゃない」と信じて浪人しました。
予備校に通いながら、それなりに勉強したおかげで順調に成績は上がっていきましたが、結論から言うと、2浪することになったのです。滑り止めの大学も受験せず、自分の学力と同等かそれ以上の大学しか受験しなかったことが一番の原因でした。「浪人したのだから、これぐらいの大学にはいかないと」。「自分が大学で何をしたいか」ではなく、自分の「プライド」を守るための受験にシフトしていきました。
ですから2浪が決まった時には「こうなったら、国公立の医学部しかない!」と、医学の分野や医者という職業にまったく興味がなかったにもかかわらず、その方向で勉強を始めました。今から考えると、運が良かったというか、自分なりに精一杯勉強しましたが、私にはそういった大学に合格できるまでの能力はなく、第一志望としていた医学部の大学は不合格となりました。いくつかの医学部以外の大学には合格することができましたが、その中で選んだ大学は「一番偏差値の高い大学」でした。正直、工学部というものにピンときていなかったし、工学部の中でも材料系という学科でしたが、一体そこでどんな勉強をするのか、将来どのような仕事につながるのか、そんなことはまったく考えず、ただ偏差値のみで選びました。
その結果、過去のブログでも書いてあるように、実際に大学に通い始めてもその勉強内容にまったく興味を持てず、大学の授業をサボり続け、留年の危機に何度もさらされながら、ぎりぎり4年間でなんとか卒業しましたが、大学での勉強で何を学んだかと言われても何も答えることができないほど勉強がわからなかったですし、やる気も出ませんでした。
それでも私の勉強や学力に対する「プライド」のおかげで、国立大学卒業という学歴を手にすることはできました。
しかし、長い人生ちょっと学歴があるからといって、すべてがうまくいくほど簡単ではありません(もちろんスーパーな頭脳を持っていれば別でしょうが)。
大学卒業後、まず私は就職で失敗しました。細かいことは以前のブログでも書きましたので省略しますが、ことごとく就職試験に落ちてしまい、唯一受かった就職先もわずが2週間で退職してしまいました。それがきっかけとなって、私は約3年間、ひきこもることになるのです。
私はいわゆる氷河期世代です。就職が厳しかったのは事実だと思います。だからといって、働く場所がなかったわけではありません。しかし私は働けなかった、いえ働かなかったという方が正しいかもしれません。私が思い描いていた就職というのは、だれでも知っているような大企業で働くことによって「やっぱり松下ってすごいよな」と思われたい、そんなイメージでした。具体的にどういう業種で何をしたいかなどまったくなく、大学を選んだ時と同じ何も成長していない自分がいました。就職の合同説明会に行って、2社ほど面接を受けに行き、その場で内定をいただいたこともありました。ですが私は「こんな誰も知らんような会社で働くのは嫌やなあ」とその会社を詳しく調べることもなく、せっかく頂いた内定もその日のうちにお断りの電話をしました。その後も母親が、「こんな会社どう?」などと求人広告を持ってきてくれたことも何度かありましたが、「こんなところで働けるか!」と検討すらしませんでした。私のひきこもりの期間は、いろんな幸運とタイミングに恵まれ3年間で終わることができましたが、何か1つでもタイミングがずれていたら、もっと長引いた可能性があると思っています。
ひきこもっている子たちの中には、当時の私と同じような気持ちの子もいるでしょう。不登校の子たちの中には、小中学校と勉強ができるグループにいて、それなりに自信があったにもかかわらず、どこかでつまずいてしまい、「今さらそんな偏差値の低い学校には行けない」と思っている子もいるでしょう。気持ちはわかります。ですが、その大きなものと感じているでしょうプライドを勇気を持って捨ててしまいましょう。
「プライド」を持つことは人間が生きていくうえで必要なことだと思います。ただそれが、偏りすぎたものであったり、他人からどのように見られているのかを気にするようなものはプライドとは言えません。「自分が何をしたいか」が大切であり、プライドとはそれを続けているうちに、自分の心の奥底から湧いてくるものなのではないでしょうか。それが幸福感にもつながると思っています。
私は今、以前持っていたものとは全く異なるタイプのプライドを仕事に持つことができています。だれかと比べたりすることなんてありませんが、おそらく塾の講師の中には、私より勉強ができる人なんていくらでもいるでしょう、私より上手に勉強を教えることができる人なんて山ほどいるでしょう。ですがきっと、「他の誰かではなく松下先生に教えてもらえてよかった」「松下先生と出会えてよかった」と思ってくれる子がいると信じていますし、一人でも多くの生徒にそう思ってもらえるように頑張ろうという力がわいてきます。私にしかできないことがあるはずだ、それが私のプライドです。関わってきた生徒のみんなが、自分自身についてはもちろん、自分の選んだ学校や仕事にプライドを持って生きてほしいと願っています。
ONE-SのHP
前回の続きになります。
センター試験まであと1ヵ月という時期においても、私はようやく数学と英語の勉強がなんとか間に合ったという感じで(センター試験に出題されない数Ⅲは、まったく手を付けておらず)、物理・化学・世界史にいたっては、3分の1の範囲ほどしか終わっていませんでした。当然本番のセンター試験の結果はボロボロで、わかってはいたことでしたが、さすがにショックでした。この段階での私の選択肢は2つで、浪人して勉強し直すか、今の学力で合格できる大学を探すかのどちらかでした。これに関しては迷わず前者を選びました。「ある程度名前のある大学にいかないと!」というプライドがあり、「俺の力はこんなものじゃない」と信じて浪人しました。
予備校に通いながら、それなりに勉強したおかげで順調に成績は上がっていきましたが、結論から言うと、2浪することになったのです。滑り止めの大学も受験せず、自分の学力と同等かそれ以上の大学しか受験しなかったことが一番の原因でした。「浪人したのだから、これぐらいの大学にはいかないと」。「自分が大学で何をしたいか」ではなく、自分の「プライド」を守るための受験にシフトしていきました。
ですから2浪が決まった時には「こうなったら、国公立の医学部しかない!」と、医学の分野や医者という職業にまったく興味がなかったにもかかわらず、その方向で勉強を始めました。今から考えると、運が良かったというか、自分なりに精一杯勉強しましたが、私にはそういった大学に合格できるまでの能力はなく、第一志望としていた医学部の大学は不合格となりました。いくつかの医学部以外の大学には合格することができましたが、その中で選んだ大学は「一番偏差値の高い大学」でした。正直、工学部というものにピンときていなかったし、工学部の中でも材料系という学科でしたが、一体そこでどんな勉強をするのか、将来どのような仕事につながるのか、そんなことはまったく考えず、ただ偏差値のみで選びました。
その結果、過去のブログでも書いてあるように、実際に大学に通い始めてもその勉強内容にまったく興味を持てず、大学の授業をサボり続け、留年の危機に何度もさらされながら、ぎりぎり4年間でなんとか卒業しましたが、大学での勉強で何を学んだかと言われても何も答えることができないほど勉強がわからなかったですし、やる気も出ませんでした。
それでも私の勉強や学力に対する「プライド」のおかげで、国立大学卒業という学歴を手にすることはできました。
しかし、長い人生ちょっと学歴があるからといって、すべてがうまくいくほど簡単ではありません(もちろんスーパーな頭脳を持っていれば別でしょうが)。
大学卒業後、まず私は就職で失敗しました。細かいことは以前のブログでも書きましたので省略しますが、ことごとく就職試験に落ちてしまい、唯一受かった就職先もわずが2週間で退職してしまいました。それがきっかけとなって、私は約3年間、ひきこもることになるのです。
私はいわゆる氷河期世代です。就職が厳しかったのは事実だと思います。だからといって、働く場所がなかったわけではありません。しかし私は働けなかった、いえ働かなかったという方が正しいかもしれません。私が思い描いていた就職というのは、だれでも知っているような大企業で働くことによって「やっぱり松下ってすごいよな」と思われたい、そんなイメージでした。具体的にどういう業種で何をしたいかなどまったくなく、大学を選んだ時と同じ何も成長していない自分がいました。就職の合同説明会に行って、2社ほど面接を受けに行き、その場で内定をいただいたこともありました。ですが私は「こんな誰も知らんような会社で働くのは嫌やなあ」とその会社を詳しく調べることもなく、せっかく頂いた内定もその日のうちにお断りの電話をしました。その後も母親が、「こんな会社どう?」などと求人広告を持ってきてくれたことも何度かありましたが、「こんなところで働けるか!」と検討すらしませんでした。私のひきこもりの期間は、いろんな幸運とタイミングに恵まれ3年間で終わることができましたが、何か1つでもタイミングがずれていたら、もっと長引いた可能性があると思っています。
ひきこもっている子たちの中には、当時の私と同じような気持ちの子もいるでしょう。不登校の子たちの中には、小中学校と勉強ができるグループにいて、それなりに自信があったにもかかわらず、どこかでつまずいてしまい、「今さらそんな偏差値の低い学校には行けない」と思っている子もいるでしょう。気持ちはわかります。ですが、その大きなものと感じているでしょうプライドを勇気を持って捨ててしまいましょう。
「プライド」を持つことは人間が生きていくうえで必要なことだと思います。ただそれが、偏りすぎたものであったり、他人からどのように見られているのかを気にするようなものはプライドとは言えません。「自分が何をしたいか」が大切であり、プライドとはそれを続けているうちに、自分の心の奥底から湧いてくるものなのではないでしょうか。それが幸福感にもつながると思っています。
私は今、以前持っていたものとは全く異なるタイプのプライドを仕事に持つことができています。だれかと比べたりすることなんてありませんが、おそらく塾の講師の中には、私より勉強ができる人なんていくらでもいるでしょう、私より上手に勉強を教えることができる人なんて山ほどいるでしょう。ですがきっと、「他の誰かではなく松下先生に教えてもらえてよかった」「松下先生と出会えてよかった」と思ってくれる子がいると信じていますし、一人でも多くの生徒にそう思ってもらえるように頑張ろうという力がわいてきます。私にしかできないことがあるはずだ、それが私のプライドです。関わってきた生徒のみんなが、自分自身についてはもちろん、自分の選んだ学校や仕事にプライドを持って生きてほしいと願っています。
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