こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
塾を始めて、たくさんの子どもたちと話をするようになり、私が子どもたちに伝えることも多いでしょうが、逆に子どもたちの話の中から、私が様々なことに気づいたり、反省することがあったりと、私自身が勉強になることも決して少なくありません。
たとえば、お正月明けの授業のときには、お年玉の話をしてくる子どももたくさんいます。今はあげる側ですので、お正月は怖いですが(笑)、確かに子どもの頃はお年玉がめちゃ楽しみでしたね。
私が驚いたのは、ほとんどの生徒は、お年玉をご両親や、おじいちゃん・おばあちゃん、そして親戚の方からだけもらってるということでした。というのも、私の場合は、祖父と祖母から毎年頂き、父と母からもほんのわずかですがもらっていました(お札でもらった記憶がありません。硬貨だったような気が…(笑)でもありがとうね、感謝してるよ)。しかし、親戚が関西にいなかったこともあり、親戚からお年玉を頂いたことはほとんどありませんでした。それでも、私たち兄弟に十分なお年玉があったのは、近所のおばさんたちがくれたからなんです。ですから、私はお年玉というのは、親族だけではなく、近所の人たち同士でやり取りするものだと思っていましたが、それは少数派だと知ったとき、衝撃とともに、深い感謝の気持ちがわいてきました。
私の実家は堺市の古い町でして、今でもご近所さん同士が仲良く、朝や夕方にはおばさんたちが集まって、ワイワイお話しています。私はもう46歳になるのですが、そのおばさんたちは今でも私のことを「えーちゃん」と呼んでかわいがってくれてます(笑)(名前が英治ですので)。
その中でも特に松下家によくしてくれる方がいました。私の母よりも15歳ほど上の方で、母もその方のことを「ねえちゃん」と呼んで、とても慕っていました。先ほど書いたように私たち3兄弟にお年玉を毎年くれるだけでなく、小学校から大学までずっと、入学祝い・卒業祝い、そして就職祝い、すべてしてくれました(就職なんて、私の場合は2週間で辞めてしまってるんで、おばちゃんになんて報告しようか、悩んだものです)。
私たち兄弟が大人になってからも、それぞれの結婚や出産のお祝い、そしてその子どもの誕生日までいつも祝ってくれました。兄はもうオーストラリアに移住してまして、日本を離れて15年以上となりますが、それでも兄の子どもの誕生日は忘れず、わざわざオーストラリアに誕生日プレゼントを渡してくれていたのです。
また、私がひきこもりだったときも、おばちゃんはすっごく心配してくれたり、私の母は少し世間知らずのところがあるのですが、その母の相談にもいつも優しく乗ってくれたり、いろいろアドバイスをしてくれたり、私にとっては、祖母がもう一人いてくれているような感覚でした。
そのおばちゃんが、つい先日亡くなりました。お通夜、お葬式とちらもおばちゃんにお別れの言葉を伝えに行きましたが、ただただ感謝しかなく「ありがとう」以外の言葉が出てきませんでした。まだまだ恩返しできていなかったし、まだまだ「ありがとう」を伝えたかったし、小さい頃からのおばちゃんの優しさを思い出して、涙が止まりませんでした。
決して豊かな家庭で育ったわけではなく、大学卒業後には3年間のひきこもりも経験しました。「どうして俺がこんな目にあわないといかないんや!他の家に生まれとったらよかったのに!」と自分の境遇を恨んだこともありました。世の中で自分が一番不幸な人間かもしれないと悲劇の主人公になっていた時期もありました。
ですが、それが大きな間違いであったことがよくわかるようになりました。たとえ家庭が貧しかったのは本当だったとしても、それでも私たち3兄弟にそんな思いをさせないように必死で働いてくれた両親、塾や予備校、そして大学まで進学させてくれたこと、ひきこもりになっても、何も私を責めなかった優しい両親、家族でもないただの近所の子どもなのに、ここまで、ここまでかわいがってくれたおばちゃん、こんなにもたくさんの優しくてあったかい人たちに囲まれて私は育ってきたんです。どれほど恵まれた環境で育てられてきたか。
子どものときというのは、視野も狭く、自分が恵まれていることに気づかず、不満ばかり言ったり、その不満を家族にぶつけたりします。ですが、きっとそれが間違いだったことに気づき、感謝する日がやってくるばずです。どうかそれまで、あたたかく見守っていてあげてください。
おばちゃん、本当に今までありがとう。おばちゃんのおかげで、今の俺があるんだよ。いつか胸を張って「俺はこんなにも立派になりました」とおばちゃんに報告できるように一生懸命頑張るからね。
そして、俺がおばちゃんに出会えて本当に幸せだったと心から思えるのと同じように、1人でも多くの子どもたちに俺と出会えてよかったと思ってもらえるように頑張るからね。
ONE-SのHP
塾を始めて、たくさんの子どもたちと話をするようになり、私が子どもたちに伝えることも多いでしょうが、逆に子どもたちの話の中から、私が様々なことに気づいたり、反省することがあったりと、私自身が勉強になることも決して少なくありません。
たとえば、お正月明けの授業のときには、お年玉の話をしてくる子どももたくさんいます。今はあげる側ですので、お正月は怖いですが(笑)、確かに子どもの頃はお年玉がめちゃ楽しみでしたね。
私が驚いたのは、ほとんどの生徒は、お年玉をご両親や、おじいちゃん・おばあちゃん、そして親戚の方からだけもらってるということでした。というのも、私の場合は、祖父と祖母から毎年頂き、父と母からもほんのわずかですがもらっていました(お札でもらった記憶がありません。硬貨だったような気が…(笑)でもありがとうね、感謝してるよ)。しかし、親戚が関西にいなかったこともあり、親戚からお年玉を頂いたことはほとんどありませんでした。それでも、私たち兄弟に十分なお年玉があったのは、近所のおばさんたちがくれたからなんです。ですから、私はお年玉というのは、親族だけではなく、近所の人たち同士でやり取りするものだと思っていましたが、それは少数派だと知ったとき、衝撃とともに、深い感謝の気持ちがわいてきました。
私の実家は堺市の古い町でして、今でもご近所さん同士が仲良く、朝や夕方にはおばさんたちが集まって、ワイワイお話しています。私はもう46歳になるのですが、そのおばさんたちは今でも私のことを「えーちゃん」と呼んでかわいがってくれてます(笑)(名前が英治ですので)。
その中でも特に松下家によくしてくれる方がいました。私の母よりも15歳ほど上の方で、母もその方のことを「ねえちゃん」と呼んで、とても慕っていました。先ほど書いたように私たち3兄弟にお年玉を毎年くれるだけでなく、小学校から大学までずっと、入学祝い・卒業祝い、そして就職祝い、すべてしてくれました(就職なんて、私の場合は2週間で辞めてしまってるんで、おばちゃんになんて報告しようか、悩んだものです)。
私たち兄弟が大人になってからも、それぞれの結婚や出産のお祝い、そしてその子どもの誕生日までいつも祝ってくれました。兄はもうオーストラリアに移住してまして、日本を離れて15年以上となりますが、それでも兄の子どもの誕生日は忘れず、わざわざオーストラリアに誕生日プレゼントを渡してくれていたのです。
また、私がひきこもりだったときも、おばちゃんはすっごく心配してくれたり、私の母は少し世間知らずのところがあるのですが、その母の相談にもいつも優しく乗ってくれたり、いろいろアドバイスをしてくれたり、私にとっては、祖母がもう一人いてくれているような感覚でした。
そのおばちゃんが、つい先日亡くなりました。お通夜、お葬式とちらもおばちゃんにお別れの言葉を伝えに行きましたが、ただただ感謝しかなく「ありがとう」以外の言葉が出てきませんでした。まだまだ恩返しできていなかったし、まだまだ「ありがとう」を伝えたかったし、小さい頃からのおばちゃんの優しさを思い出して、涙が止まりませんでした。
決して豊かな家庭で育ったわけではなく、大学卒業後には3年間のひきこもりも経験しました。「どうして俺がこんな目にあわないといかないんや!他の家に生まれとったらよかったのに!」と自分の境遇を恨んだこともありました。世の中で自分が一番不幸な人間かもしれないと悲劇の主人公になっていた時期もありました。
ですが、それが大きな間違いであったことがよくわかるようになりました。たとえ家庭が貧しかったのは本当だったとしても、それでも私たち3兄弟にそんな思いをさせないように必死で働いてくれた両親、塾や予備校、そして大学まで進学させてくれたこと、ひきこもりになっても、何も私を責めなかった優しい両親、家族でもないただの近所の子どもなのに、ここまで、ここまでかわいがってくれたおばちゃん、こんなにもたくさんの優しくてあったかい人たちに囲まれて私は育ってきたんです。どれほど恵まれた環境で育てられてきたか。
子どものときというのは、視野も狭く、自分が恵まれていることに気づかず、不満ばかり言ったり、その不満を家族にぶつけたりします。ですが、きっとそれが間違いだったことに気づき、感謝する日がやってくるばずです。どうかそれまで、あたたかく見守っていてあげてください。
おばちゃん、本当に今までありがとう。おばちゃんのおかげで、今の俺があるんだよ。いつか胸を張って「俺はこんなにも立派になりました」とおばちゃんに報告できるように一生懸命頑張るからね。
そして、俺がおばちゃんに出会えて本当に幸せだったと心から思えるのと同じように、1人でも多くの子どもたちに俺と出会えてよかったと思ってもらえるように頑張るからね。
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