大分市東部、坂ノ市にある「亀塚古墳」を観てきました。
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坂ノ市は別府湾の南東部。4〜5世紀のこの地域は、多く漁を行い塩を作り、大和政権と深い関わりが出来「海部(あまべ)勢力」成立の舞台になりました。
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大分市東部にある7基の前方後円墳の中で、全長116mの『海部の王』の亀塚古墳は最大です。
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後円の周りや、張り出し部分には赤く塗られた円筒型や朝顔型の埴輪がずっと並べられており、葺石(ふきいし)の白とのコントラスはかなりインパクトが強く印象的です。
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一番高い場所、後円部に収められた石棺。この地方で産出する緑泥片岩と言う岩石で作られています。
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(海部古墳資料館の展示)
ところで、私見ですが、
県南 海岸部は、南海部郡(みなみあまべぐん)北海部郡(きたあまべぐん)と言う地名で呼ばれていました。南海部郡の町村は現在 佐伯市と合併しました。
1600年前からの部族の呼び名が、延々こんにちまで続いていたのでしょう。
そして、大分にも大規模な前方後円墳が存在し、「邪馬台国、大分説」も聞こえてくる中 私の興味も尽きません。