私が最初に就職したのは、地元の超地元密着型の百貨店グループだった。
当時は百貨店形態の店舗が4店舗、ストア形態の店舗が7店舗だった。
私は広告やイベントを企画する販売促進部に配属された。
18歳の、普通高校卒業したて。
先輩や上司はまともに教えてくれない。
(恐らく、私に問題があったんだろうなあ)
新しい店舗が出来ると開店応援にも駆け付ける。
私が居た1年少しだけで何店舗開店したのだろう。
結局、私はそこでは役立たずだったらしく、ヤング向けwメンズ服の専門店に回された。
当初は路面店で女性の先輩と2人での店番だったが、この先輩が碌でもなかった。
就業規則では休憩は45分となっているのだが、1時間半経っても帰ってこない。
煙草を吸いに行っては30分戻って来ない。
先輩と上司はガッチリとスクラム組んでいるので、私が報告したところで、私が悪く言われるに決まっている。
そのうちに、少し田舎の新しい形態の店舗(今でいうショッピングモールの走りの縮小版)の中にある店舗に異動になった。
ここは色々な売り場があって、パートのおばさん達も元気がよく、同期の子も居たのでとても仕事がしやすかった。
ただ、直属の上司は相変わらず何を考えているのか分からない。
方針も何も言ってこない。
突然、商品をドンと持ってくるだけ。
しかもセクハラ野郎だった。
就職して3年経った頃、そろそろ私は限界に来た。
私が所属しているのは専門店事業部という部署で、テナントとして入っている店舗のストア事業部ではない。
なのにストアの店長から、そちらの部署のノルマを課せられる(家電とか宝石とかね)
当時の私の給料の手取りは「8万円」前後だった。20歳過ぎていたのに。
それでも、この地方ではまあまあ良い方だったのだ。
そして、就職して丸4年を目前にして私はその百貨店を退職した。
売上ノルマも嫌だったし、セクハラ上司も嫌だった。
何より、素人目にも無計画に見えるストア店舗の出店ペースが怖かった。
それは、やり手だった女性社長の後継が実の息子の専務にほぼ決まった事によるもの。
もし後継が婿養子の常務だったら、私はもう少しこの会社に居ただろう。
結局どちらが良かったのかは判らない。
私は退職してから1年半程フリーター(死語ですねw)をやり、それから適当な理由で次の職を得た。
適当な理由。
コンサートに行きやすい場所に会社があること。
ミュージシャンの夏のイベントに行ける会社であること。
土日が休みであること。
それだけ。
そんな理由で選んだ会社に、なにかの弾みで合格して入社。
「お給料の手取りが10万円以上ある!」って喜んだら、先輩に大笑いされましたw
まだバブルの名残が残っていた時代。
そして気が付いたら20年近く勤めていたw
転職して1・2年経った頃に退職直前まで居た店舗に遊びに行ったら、何だか空気が変わってて
「××(私)ちゃん、いい時に辞めて転職したよ。先見の明があったよ」
と、いったような事をみんなから言われました。
それから暫くのうちに、新しく出店したストア店舗が幾つか閉店。
百貨店店舗も2つ閉店。
驚きました。
私の新しい勤め先はこの辺りで一番の都会でしたが、業務の都合で勤務地がどんどん東へ行き、
仕事も忙しくなり土日出勤も当たり前で、地元のことを省みる暇も無い程でした。
そして、住まいも勤務地の近くに移してしまい。
気が付いたら、前の会社は同業他社に買収されていました…。
久しぶりに同期の友達に連絡を取ったら、私が最後に居た店舗も買収時に閉店。
誰々は保険外交員に、誰々はこういう仕事に…。
正社員の男性陣はほとんどリストラされていました。
同期の女性陣は早くに結婚していたので、特に問題はなかったのですけどね。
転職先で頑張りすぎて(苦笑)、身体を壊して地元に戻ってきたら、元会社の店舗がほとんどなくなっていました。
本店(百貨店)と、市内にストア2店舗。市外にストア3店舗に。
最盛期は百貨店4店舗にストア17店舗ぐらいまであったんじゃなかったかなあ。
あまりの寂しさに乾いた笑いしか出ませんでしたよ。
本当にあの百貨店に早々に見切りをつけて転職しておいて良かった。
そのおかげで、仕事に対する姿勢、やり方、効率、何よりも、物凄い知識を得ることができた。
この知識は百貨店に居たら絶対に得る事が出来なかっただろう物。
「手に職」とまではいかないけれど、素人以上プロ未満な知識と技術は身に付いた。
あの百貨店は一族経営で、なあなあ体質だったのだ。
だから大手百貨店と違って、現場の社員とパートが会社を動かしていたような物だったのだ。
(バイヤーさんは、あまり新しい物を取り入れようって気が少なかったし)
まあ、代償として身体を壊した。という話もあるが、今は地元の緑多い所で療養できている。
仕事がしたいという気持ちも強いけど、体調が安定しない限りは無理なのでのんびりするしかない。
仕事なんて、やりたい事とやる気と体力があれば何歳からだって始められるからね。
この歳になればヘンなプライドも無いし。
無事に治癒したらどんな仕事をしようかと、今から色々と楽しみだったりする。
その為に色々と通院しているのだけど、今日、2週間毎のクリニックに行った帰り、ふと思い立って違う道を通ってみた。
そこには昔の会社のストアが、買収された後も名前を変えて営業していたのだ。
しかし。
「1月21日をもって閉店いたしました」
の、張り紙。
ああ。市内に2店舗あったストアの1店舗が一つ消えてしまった。
其処から1kmほど離れたところにある、少し大きな通りに面した別のチェーンのスーパーが、去年の秋に新築再OPENしたのだ。
前は古いボーリング場を改修した店舗で、うす暗くてだだっ広いだけだったのが、広い駐車場に小ぢんまりした店舗、
スタッフの制服はデパ地下の食品売り場のようなスマートなデザイン。
売り場がキレイで明るくなり、素朴でお値打ちな惣菜や、インストアベーカリー、小さな休憩所も出来た事もあって、かなりこちらに客が流れてしまったらしい。
商品の内容を取っても、新築した店の方が物量共に多く、時間帯に合わせて惣菜コーナーも置く物が違うのだ。
なるほどね。
買収で新規エリアを開拓して、非効率な店舗は容赦なく切り捨てて、少数精鋭でエリアを確保する。ってわけか。
どこの業界も厳しいけど、やはり販売業界は更に厳しいのだね。
そしてまた一つ、私の記憶からデータが削除されることになる。
同期の友人に、あの店が閉店したことを連絡しておこう。
当時は百貨店形態の店舗が4店舗、ストア形態の店舗が7店舗だった。
私は広告やイベントを企画する販売促進部に配属された。
18歳の、普通高校卒業したて。
先輩や上司はまともに教えてくれない。
(恐らく、私に問題があったんだろうなあ)
新しい店舗が出来ると開店応援にも駆け付ける。
私が居た1年少しだけで何店舗開店したのだろう。
結局、私はそこでは役立たずだったらしく、ヤング向けwメンズ服の専門店に回された。
当初は路面店で女性の先輩と2人での店番だったが、この先輩が碌でもなかった。
就業規則では休憩は45分となっているのだが、1時間半経っても帰ってこない。
煙草を吸いに行っては30分戻って来ない。
先輩と上司はガッチリとスクラム組んでいるので、私が報告したところで、私が悪く言われるに決まっている。
そのうちに、少し田舎の新しい形態の店舗(今でいうショッピングモールの走りの縮小版)の中にある店舗に異動になった。
ここは色々な売り場があって、パートのおばさん達も元気がよく、同期の子も居たのでとても仕事がしやすかった。
ただ、直属の上司は相変わらず何を考えているのか分からない。
方針も何も言ってこない。
突然、商品をドンと持ってくるだけ。
しかもセクハラ野郎だった。
就職して3年経った頃、そろそろ私は限界に来た。
私が所属しているのは専門店事業部という部署で、テナントとして入っている店舗のストア事業部ではない。
なのにストアの店長から、そちらの部署のノルマを課せられる(家電とか宝石とかね)
当時の私の給料の手取りは「8万円」前後だった。20歳過ぎていたのに。
それでも、この地方ではまあまあ良い方だったのだ。
そして、就職して丸4年を目前にして私はその百貨店を退職した。
売上ノルマも嫌だったし、セクハラ上司も嫌だった。
何より、素人目にも無計画に見えるストア店舗の出店ペースが怖かった。
それは、やり手だった女性社長の後継が実の息子の専務にほぼ決まった事によるもの。
もし後継が婿養子の常務だったら、私はもう少しこの会社に居ただろう。
結局どちらが良かったのかは判らない。
私は退職してから1年半程フリーター(死語ですねw)をやり、それから適当な理由で次の職を得た。
適当な理由。
コンサートに行きやすい場所に会社があること。
ミュージシャンの夏のイベントに行ける会社であること。
土日が休みであること。
それだけ。
そんな理由で選んだ会社に、なにかの弾みで合格して入社。
「お給料の手取りが10万円以上ある!」って喜んだら、先輩に大笑いされましたw
まだバブルの名残が残っていた時代。
そして気が付いたら20年近く勤めていたw
転職して1・2年経った頃に退職直前まで居た店舗に遊びに行ったら、何だか空気が変わってて
「××(私)ちゃん、いい時に辞めて転職したよ。先見の明があったよ」
と、いったような事をみんなから言われました。
それから暫くのうちに、新しく出店したストア店舗が幾つか閉店。
百貨店店舗も2つ閉店。
驚きました。
私の新しい勤め先はこの辺りで一番の都会でしたが、業務の都合で勤務地がどんどん東へ行き、
仕事も忙しくなり土日出勤も当たり前で、地元のことを省みる暇も無い程でした。
そして、住まいも勤務地の近くに移してしまい。
気が付いたら、前の会社は同業他社に買収されていました…。
久しぶりに同期の友達に連絡を取ったら、私が最後に居た店舗も買収時に閉店。
誰々は保険外交員に、誰々はこういう仕事に…。
正社員の男性陣はほとんどリストラされていました。
同期の女性陣は早くに結婚していたので、特に問題はなかったのですけどね。
転職先で頑張りすぎて(苦笑)、身体を壊して地元に戻ってきたら、元会社の店舗がほとんどなくなっていました。
本店(百貨店)と、市内にストア2店舗。市外にストア3店舗に。
最盛期は百貨店4店舗にストア17店舗ぐらいまであったんじゃなかったかなあ。
あまりの寂しさに乾いた笑いしか出ませんでしたよ。
本当にあの百貨店に早々に見切りをつけて転職しておいて良かった。
そのおかげで、仕事に対する姿勢、やり方、効率、何よりも、物凄い知識を得ることができた。
この知識は百貨店に居たら絶対に得る事が出来なかっただろう物。
「手に職」とまではいかないけれど、素人以上プロ未満な知識と技術は身に付いた。
あの百貨店は一族経営で、なあなあ体質だったのだ。
だから大手百貨店と違って、現場の社員とパートが会社を動かしていたような物だったのだ。
(バイヤーさんは、あまり新しい物を取り入れようって気が少なかったし)
まあ、代償として身体を壊した。という話もあるが、今は地元の緑多い所で療養できている。
仕事がしたいという気持ちも強いけど、体調が安定しない限りは無理なのでのんびりするしかない。
仕事なんて、やりたい事とやる気と体力があれば何歳からだって始められるからね。
この歳になればヘンなプライドも無いし。
無事に治癒したらどんな仕事をしようかと、今から色々と楽しみだったりする。
その為に色々と通院しているのだけど、今日、2週間毎のクリニックに行った帰り、ふと思い立って違う道を通ってみた。
そこには昔の会社のストアが、買収された後も名前を変えて営業していたのだ。
しかし。
「1月21日をもって閉店いたしました」
の、張り紙。
ああ。市内に2店舗あったストアの1店舗が一つ消えてしまった。
其処から1kmほど離れたところにある、少し大きな通りに面した別のチェーンのスーパーが、去年の秋に新築再OPENしたのだ。
前は古いボーリング場を改修した店舗で、うす暗くてだだっ広いだけだったのが、広い駐車場に小ぢんまりした店舗、
スタッフの制服はデパ地下の食品売り場のようなスマートなデザイン。
売り場がキレイで明るくなり、素朴でお値打ちな惣菜や、インストアベーカリー、小さな休憩所も出来た事もあって、かなりこちらに客が流れてしまったらしい。
商品の内容を取っても、新築した店の方が物量共に多く、時間帯に合わせて惣菜コーナーも置く物が違うのだ。
なるほどね。
買収で新規エリアを開拓して、非効率な店舗は容赦なく切り捨てて、少数精鋭でエリアを確保する。ってわけか。
どこの業界も厳しいけど、やはり販売業界は更に厳しいのだね。
そしてまた一つ、私の記憶からデータが削除されることになる。
同期の友人に、あの店が閉店したことを連絡しておこう。
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