富山旅行で「国鉄色キハ58」を見て、何度も「奥久慈号・・・」と感極まった(笑)んですが、、、
その「急行奥久慈号」の画像、紹介しないとシャレになりませんね。。。(苦笑)
この画像が奥久慈号です!
、、、、と言っても、何も変哲もないキハ58の4両編成。(苦笑)
これだけでは山陰でも四国でも九州でも見れそうですよね。。。(汗)
まあ、でも、今思えば、4両きれいにキハ58系で編成された列車は、やっぱり「急行列車」の貫禄ありますよね~^^
あと、マニアな方なら「運転台後ろのドアの”タブレット防護柵”」も注目でしょう!
ちなみに場所は、水郡線上菅谷駅。
当時、このあたりに親戚がいて、夏休みには必ずお邪魔してたので、暇をみては撮りに行ってたんですよ・・・
撮ったのは、、、1982年8月だったかな???
そして、この列車は郡山から水郡線、水戸経由で上野に向かってた「奥久慈4号」。
上菅谷を午後1時半ころ通り、水戸に午後2時前に着いて、水戸始発のときわ号(8両)と併結して、なんと12両編成で上野に向かったんですよ。
・・・いい時代だったなぁ。。。(しみじみ・・・笑)
ちなみにこの奥久慈4号、あのなつかしのドラマ「鉄道公安官(石立”鉄”男の! 爆)」の主役(?!)になったこともあるんですよ~(ちょっと自慢! 笑)
今どきこのルートで上野方面に向かう人はいないでしょうが、当時はこういうローカル線乗り入れの急行がたくさんありましたよね。。。
常磐線関連だけでも、、、
水戸線経由で上野~勝田を走ってた「つくばね」号。
水戸、平と磐越東線(郡山経由)東北本線周りで仙台とを結んでた「いわき」号。
あと、夏の臨時列車で上野と大洗、阿字ヶ浦を結んでた「おおあらい」「あじがうら」号も。。。
こんな個性的な急行がありましたよね・・・(遠い目・・・)
てか、特急ではできない”きめ細かなルート設定&停車駅”も急行のメリットだったんでしょうね。。。
そういう意味でも、当時は特急よりも急行が身近だったといえましょう。。。
、、、というわけで、「ウチ的には今でもキハ58といえば”奥久慈号”だ!」ってことを、なんとしてでもここで証明したかった(爆)画像でした。。。
その「急行奥久慈号」の画像、紹介しないとシャレになりませんね。。。(苦笑)
この画像が奥久慈号です!
、、、、と言っても、何も変哲もないキハ58の4両編成。(苦笑)
これだけでは山陰でも四国でも九州でも見れそうですよね。。。(汗)
まあ、でも、今思えば、4両きれいにキハ58系で編成された列車は、やっぱり「急行列車」の貫禄ありますよね~^^
あと、マニアな方なら「運転台後ろのドアの”タブレット防護柵”」も注目でしょう!
ちなみに場所は、水郡線上菅谷駅。
当時、このあたりに親戚がいて、夏休みには必ずお邪魔してたので、暇をみては撮りに行ってたんですよ・・・
撮ったのは、、、1982年8月だったかな???
そして、この列車は郡山から水郡線、水戸経由で上野に向かってた「奥久慈4号」。
上菅谷を午後1時半ころ通り、水戸に午後2時前に着いて、水戸始発のときわ号(8両)と併結して、なんと12両編成で上野に向かったんですよ。
・・・いい時代だったなぁ。。。(しみじみ・・・笑)
ちなみにこの奥久慈4号、あのなつかしのドラマ「鉄道公安官(石立”鉄”男の! 爆)」の主役(?!)になったこともあるんですよ~(ちょっと自慢! 笑)
今どきこのルートで上野方面に向かう人はいないでしょうが、当時はこういうローカル線乗り入れの急行がたくさんありましたよね。。。
常磐線関連だけでも、、、
水戸線経由で上野~勝田を走ってた「つくばね」号。
水戸、平と磐越東線(郡山経由)東北本線周りで仙台とを結んでた「いわき」号。
あと、夏の臨時列車で上野と大洗、阿字ヶ浦を結んでた「おおあらい」「あじがうら」号も。。。
こんな個性的な急行がありましたよね・・・(遠い目・・・)
てか、特急ではできない”きめ細かなルート設定&停車駅”も急行のメリットだったんでしょうね。。。
そういう意味でも、当時は特急よりも急行が身近だったといえましょう。。。
、、、というわけで、「ウチ的には今でもキハ58といえば”奥久慈号”だ!」ってことを、なんとしてでもここで証明したかった(爆)画像でした。。。
イヤですっ! 絶対見たくありません!!!
(爆)
モノが違いすぎますから。。。
てか、同じリバイバルでも、185系湘南色は、なんだかんだ言って、結構評判みたいで、、、
と言うと、旅行人さんは逆にイヤな顔されるかもしれませんが。。。(苦笑)
82年夏の北海道ですか?!
いい時代でしょうね、きっと。。。
ローカル線あり、客車列車あり、急行列車あり、もちろん青函連絡船あり。。。
そして最後に書いた「きめ細かいルート」の列車もありましたよね!
ぱっと思い出しただけでも胆振線の環状急行「いぶり」とか、稚内行きの天北号、函館~瀬棚の「せたな」号、、、
そうそう、宗谷号は函館発の青函連絡船接続急行だったことも!
・・・まるでパリ~ウィーンのユーロシティ「モーツアルト号」みたいでしたね!(笑 てか、いきなり”ヨーロッパネタ出すなよ!”って?! 爆)
膨大な国鉄の赤字、そしてJRの"会社化"
、そしてローカル線の廃止、、、
地方の鉄道をとりまく環境は、残念ながらあまりいいことは聞けませんね、、、残念です。。。
自分は奥久慈号には乗った記憶がないのですが、リバイバルでも走らせてくれないかな~~
キハE130系を国鉄色にして・・・(爆)。
あと、この写真を撮影されたのは1982年8月なんですね~~~
ちょうど、自分が北海道デビューで、標津線やら、白糠線をウロウロしていて、家出少年と間違えられた(爆)時期でした。。。
こちらまで懐かしくなりましたよ^^
>特急ではできない”きめ細かなルート設定&停車駅”も急行のメリット
同感!!
てか(笑)、かつての急行のような芸当は、今の航空機やバスにはマネできないんですから、そういう庶民的な列車をもう少し残していれば、今ほど、地方における鉄道輸送の地位低下にはならなかったんではないかな??と思います。