今日はついに、29年前の時刻表を引っ張り出した!(笑)
どやっ、1982年6月号。
問答無用の「東北新幹線開通号」ですぞっ!
てか、「国鉄監修&交通公社の」ってフレーズも懐かしい。。。(笑)
で、ズームすると、、、
へぇ~っ、伯備線&山陰本線電化(倉敷~伯耆大山~”知井宮”←今の西出雲ですね!)もこのころだったんだぁ~
あと、房総各線の夏ダイヤもなつかしい!
最近復活したけど「青い海」「白い砂」なんて快速がありましたよね~
あぁ、、、「いい日旅立ち」のフレーズも懐かしい。。。(笑)
でも、さらに突っ込む、、、
いや、突っ込みどころは無限大にあるので絞らないと・・・(苦笑)
というわけで、突っ込んだのは”困った時の常磐線”(爆)
まずは頭から、、、
まず注目はルートが面白い「いわき」号でしょう!
水戸→平(いわき)→郡山→福島→仙台は、当時の国鉄急行らしいルート。
しかも自由席グリーン車付き!(この無駄さも国鉄らしい!爆)
郡山から「いなわしろ」号と併結して運転してたのも東北急行らしい!
ちなみにいなわしろ号は「喜多方」「会津田島」「只見」からの列車をすでに併結して、しかもキハ52を使ってた急行らしかったです。。。
なので、いわき号以上に個性的な急行だったんですね~(笑)
あと、よ~く見ると、原ノ町発青森行き客車列車も見れます。。。
これは乗ったことあるでしょうか、旅行人さん?!(笑)
次に、、、
あぁ~~~~~~~~~っ、なつかしの「ときわ」「もりおか」「奥久慈」号~~~~~っ!(涙)
それと「あじがうら」「かわらご」と言った海水浴臨時列車も懐かしい~っ!
でも、臨時奥久慈は、上野~水戸を1時間55分もかかったんだ・・・
普通電車(あれは快速とは決して呼びません、ウチは”)は、当時も今もそれくらいの時間で走るから、今、こんな急行走ってたら”ぼったくり急行”と呼んじゃいそうですね。。。(苦笑)
で、当時の普通電車、三河島も南千住も天王台も停まらなかった。。。
今の特別快速並みじゃないですか!
(だから、ウチは今の特別快速を、別に特別とも何とも思わないんです・・・)
あと、端に見えますよね!
客車列車!
常磐線はもちろん、水戸線も!
そして、、、
ここの突っ込みどころは、やっぱりみちのく号!
今思えば、全区間は無理としても一度くらい無理して上野~水戸間だけでも乗りたかったですね・・・
あと、ディーゼル「ときわ&奥久慈」が11番線から発車してたのはご存知ですか?!
このホームは取手までの”国電”(←あぁ、、、トシばれる。。。苦笑)がメインなので、ここに水戸方面へ、しかも急行気動車が入るなんて、本当にレアなケースでしたよ!
”伝統の10番線”にはひたちが入ってた関係なんですね。。。
てか、どちらか地平ホームには入れなかったんでしょうか??
今となってはその理由が分からないのですが、この「ときわ&奥久慈」を地平線ホームから乗りたかったですね~
そして、最後に、、、
夜行列車タイム!
見てください、ゆうづるがいっぱい!(爆)
しかも十和田も3本+1本!
あわせて11本ですか???
今では想像もつかないですよね・・・
今はこの時間はひたちばかりですから、優等列車が多い、という伝統だけは継いでるみたいですね。。。(苦笑)
てか、普通電車、全体的に少なすぎ!
今、1時間に1本なんて運転したら、それこそヒンシュクもんですからねっ!
というわけで、常磐線だけでこれだけ突っ込みました。
いや、これでも抑えたほうなんですが・・・(笑)
あなたならどの路線に突っ込みを入れたいですか?!
次回の更新の時に載せてみたいと思いますので、よかったらリクエストしてくださいね!(笑)
どやっ、1982年6月号。
問答無用の「東北新幹線開通号」ですぞっ!
てか、「国鉄監修&交通公社の」ってフレーズも懐かしい。。。(笑)
で、ズームすると、、、
へぇ~っ、伯備線&山陰本線電化(倉敷~伯耆大山~”知井宮”←今の西出雲ですね!)もこのころだったんだぁ~
あと、房総各線の夏ダイヤもなつかしい!
最近復活したけど「青い海」「白い砂」なんて快速がありましたよね~
あぁ、、、「いい日旅立ち」のフレーズも懐かしい。。。(笑)
でも、さらに突っ込む、、、
いや、突っ込みどころは無限大にあるので絞らないと・・・(苦笑)
というわけで、突っ込んだのは”困った時の常磐線”(爆)
まずは頭から、、、
まず注目はルートが面白い「いわき」号でしょう!
水戸→平(いわき)→郡山→福島→仙台は、当時の国鉄急行らしいルート。
しかも自由席グリーン車付き!(この無駄さも国鉄らしい!爆)
郡山から「いなわしろ」号と併結して運転してたのも東北急行らしい!
ちなみにいなわしろ号は「喜多方」「会津田島」「只見」からの列車をすでに併結して、しかもキハ52を使ってた急行らしかったです。。。
なので、いわき号以上に個性的な急行だったんですね~(笑)
あと、よ~く見ると、原ノ町発青森行き客車列車も見れます。。。
これは乗ったことあるでしょうか、旅行人さん?!(笑)
次に、、、
あぁ~~~~~~~~~っ、なつかしの「ときわ」「もりおか」「奥久慈」号~~~~~っ!(涙)
それと「あじがうら」「かわらご」と言った海水浴臨時列車も懐かしい~っ!
でも、臨時奥久慈は、上野~水戸を1時間55分もかかったんだ・・・
普通電車(あれは快速とは決して呼びません、ウチは”)は、当時も今もそれくらいの時間で走るから、今、こんな急行走ってたら”ぼったくり急行”と呼んじゃいそうですね。。。(苦笑)
で、当時の普通電車、三河島も南千住も天王台も停まらなかった。。。
今の特別快速並みじゃないですか!
(だから、ウチは今の特別快速を、別に特別とも何とも思わないんです・・・)
あと、端に見えますよね!
客車列車!
常磐線はもちろん、水戸線も!
そして、、、
ここの突っ込みどころは、やっぱりみちのく号!
今思えば、全区間は無理としても一度くらい無理して上野~水戸間だけでも乗りたかったですね・・・
あと、ディーゼル「ときわ&奥久慈」が11番線から発車してたのはご存知ですか?!
このホームは取手までの”国電”(←あぁ、、、トシばれる。。。苦笑)がメインなので、ここに水戸方面へ、しかも急行気動車が入るなんて、本当にレアなケースでしたよ!
”伝統の10番線”にはひたちが入ってた関係なんですね。。。
てか、どちらか地平ホームには入れなかったんでしょうか??
今となってはその理由が分からないのですが、この「ときわ&奥久慈」を地平線ホームから乗りたかったですね~
そして、最後に、、、
夜行列車タイム!
見てください、ゆうづるがいっぱい!(爆)
しかも十和田も3本+1本!
あわせて11本ですか???
今では想像もつかないですよね・・・
今はこの時間はひたちばかりですから、優等列車が多い、という伝統だけは継いでるみたいですね。。。(苦笑)
てか、普通電車、全体的に少なすぎ!
今、1時間に1本なんて運転したら、それこそヒンシュクもんですからねっ!
というわけで、常磐線だけでこれだけ突っ込みました。
いや、これでも抑えたほうなんですが・・・(笑)
あなたならどの路線に突っ込みを入れたいですか?!
次回の更新の時に載せてみたいと思いますので、よかったらリクエストしてくださいね!(笑)
いろいろと印もつけてあるし(笑)。
大宮~盛岡まで開業して間もない8月に乗ったのも懐かしい思い出。当時9歳でした(笑)。
ひたちばかりの今日からは想像もできない状況、時代ですね~。
私からのリクエストは、やはり新幹線の食堂車マークと信越本線の「あさま・白山」時刻表でしょうか。白山には日食の食堂車もついていたような気が・・・。
この路線がウイーン・ザルツブルク間に次いで今までの人生で一番良く乗った路線なので(苦笑)。
是非お願いします!
黒磯→仙台→青森というルートで旧客鈍行を乗り通したことはありましたが、、、
それにしても、上野発仙台行き223列車!
いいですね~~~^^
旧客鈍行に限り、松戸に停まって、柏通過とか面白い^^
十和田3号なんかはぜったい20系だったと思うし、、、
ゆうづる号もこの時分が全盛期かもしれないですね~~~
もちろん、元・大宮市民としては、”かわらご”もシブい^^
追伸:自分で保存し、現存する最古の時刻表は1979年2月号。
肥薩線大畑駅に停車する旧型客車が表紙だったというのも何らかの縁でしょうか、、、(苦笑)。
そのころからもう「どの列車に乗るか」をこだわりながら(笑)選んでたので。。。
あと、終電近い2本の普通電車は、実は急行型電車使用ということでマークしたんだっけ?!
グリーン車を普通車扱いで乗れたんで。。。
いや、常磐線は客車、気動車、電車とバラエティに富んでたので、それは面白かったし気合入ってましたよ!(笑)
東北新幹線は開業してからすぐ乗ったのですね!
ウチは1年経ってから乗ったのかな・・・
ただ、回転しない3列席の逆向き席に座って、気持ち悪くなった苦い思い出が。。。
(当時はそれが苦手だった・・・)
東海道新幹線&信越線ですね!
了解です。
後日載せてみますのでお楽しみに!
今改めて見たら、上野~水戸間を2時間20分ですか・・・
当時はこれで充分「旅行」でしたね、、、ウチは。。。
てか、普通列車が”北千住&柏通過”って今ではありえないですよね~(笑)
十和田号は、12系、14系、そして20系と、列車ごとに形式も編成も違ってましたよね!
20系急行は他にも「おが」「天の川」「新星」もあったし・・・
夜行列車だけでもこれだけ急行があって、まさに急行列車花盛りの時代でしたね。。。
お持ちの79年2月号の時刻表、表紙だけでもできれば拝見したいです・・・
特に夜行寝台。青森夜行はなやかで、当時は1本以外すべて常磐線。
だから原発の横も車窓をみたことはない(夜ですから)けど通過した人はたくさんいました。
平家物語の冒頭があたまにかすめながら読ましていただきました。
在りし日の面影、まさにおっしゃるとおりで、上野駅がにぎやかだった時代そのものでしたね。現在日中は全く常磐線特急が来ない上野駅16、17番線ホームは「夏草や、、」の俳句を思い出させてくれます。夜行列車は一度583系のゆうづる1号で通ったことがあります。始めての寝台列車、なかなか眠れませんでしたが、あのときの感激は今でも鮮明に覚えてます。
自由グリーン車の車内はどのような感じだったのでしょうか?
ご存知でしたらご教示願います
というか、コメント大幅に遅れて申し訳ございません。
多忙のため長らく開店休業してましたので・・・
急行いわきのグリーン車はキロ28でしたので、おそらく当時の標準的な設備&席配置だったと思います。
あえて例を挙げるなら、今度3月で勇退する東京~伊豆急下田の踊り子のサロでしょうか、、モケットは変わってますが、設備的には当時と似てるところがあると思います。
この程度のコメントで恐縮ですが、ご参考になれば幸いです。