先日、「Radio Niederoestereich」を聴いてたら・・・
なんとフランスの歌が流れてました!!!
タイトルを画面で確認したら・・・
「Paroles Paroles」
ダリダとアラン・ドロン(?!)のデュエットでした!
(かなり古い歌みたいで・・・)
なんか、曲がすごく色っぽいんだよね・・・
とくに男の「ウィスパーヴォイス」が。。。
なんていうか・・・そう、「セクシー」なんです!
いい意味で「エロい(?!)」って感じです
「セルジュ・ゲーンズブールを思い出させる!」を言えば分かるかな??
で、そのあと、「You-Tube」で、このビデオ、見ちゃいました。
でも、なぜか男の方はアラン・ドロンじゃなくて、「ず~っと後ろを向いたまま」。。。
女の方がひたすら映って歌ってたように見えたけど、これって口パク?!
でも、コレ見て、思いました・・・
「あ~、フランスの男は、こうやって女性を口説くのか・・・」って。。。
・・・今度、ウチも、この手で口説いてみようっ?!
なんとフランスの歌が流れてました!!!
タイトルを画面で確認したら・・・
「Paroles Paroles」
ダリダとアラン・ドロン(?!)のデュエットでした!
(かなり古い歌みたいで・・・)
なんか、曲がすごく色っぽいんだよね・・・
とくに男の「ウィスパーヴォイス」が。。。
なんていうか・・・そう、「セクシー」なんです!
いい意味で「エロい(?!)」って感じです
「セルジュ・ゲーンズブールを思い出させる!」を言えば分かるかな??
で、そのあと、「You-Tube」で、このビデオ、見ちゃいました。
でも、なぜか男の方はアラン・ドロンじゃなくて、「ず~っと後ろを向いたまま」。。。
女の方がひたすら映って歌ってたように見えたけど、これって口パク?!
でも、コレ見て、思いました・・・
「あ~、フランスの男は、こうやって女性を口説くのか・・・」って。。。
・・・今度、ウチも、この手で口説いてみようっ?!
そしたらSuzukkyさんも同じこと書いてました(笑)。
あの手の感じですね・・・。想像つきます。
フランス語ってキレイですもんねぇ。
あれで口説かれたら女性は弱くなるでしょうね(笑)。
サブリナ・フェリッリというイタリア人の女優さん主演(彼女のHP↓)で。http://www.sabrinaferilli.it/
とても面白かったです。
この曲ではないけど、Dalidaと言えば「ciao amore ciao」が印象深いです。
http://www.youtube.com/watch?v=VSwsz5yl35w
↑ここで聞けます。ドキュメンタリーのあと(3分ごろ)、歌始まります
意外にも初期の彼は、ちゃんと歌ってたんですね!
(失礼っ!)
あの「例のウィスパーヴォイス」は中期から?!
やっぱり恋愛と歳を重ねると、自然にそうなるのかな?
フランス語、確かに「聞くと」きれいですね!
でも、いざしゃべると・・・
とんでもないっ!
例えば「Grand Pris」(グランプリ)なんて・・・
「グゥウァン・プゥウィ」って「鼻から息を抜きながら」発音するのと同時に・・・
「R」の発音だって、極端に言うと「ノドの奥から何かを吐き出すように」(下品でごめんなさい!)言うから!
これで日本人の大半は戸惑っちゃうんですよね・・・
てか、ドイツ語の「R」も思いっきりノドを鳴らして震わせて言うから、これも慣れないと難しいですよねっ!
でも、これこそがドイツ語の醍醐味?!
なんか途中で号泣してたけど、あの涙の意味は何なんでしょう???
すみません、ネイティヴのナチュラルなフランス語が分からなくて・・・
でも、なんか「ラヴ・ストーリー」みたいのなのがあったみたいかな??
てか、今どきかもしれないけど、彼女はいわゆる「国民的歌手」だったんですか???
漠然とだけど、この歌手にちょっと興味が出てきました!
イタリアに住むものとしては、イタリア人のLuigi Tenco(ルイジ・テンコー)とのエピソードが興味深いのと、ひょっとして彼女が泣いていた理由につながるのでは?と思い、そこだけ書き留めます。
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ヨランダ(ダリダ)はイタリア人(サイトによってはイタリア・フランスのハーフと記載もある)移民として、カイロで産声を上げた。父親がカイロ王立交響楽団のヴァイオリニストであった影響か?歌や映画に親しんで育つ。ただ、幼少期は極度の近視と斜視のため分厚いメガネをかけていて、どちらかと言えば地味。美しさに脚光を浴びることはなかったが、社会人として働き出した頃、それは花開き、ミスコンに応募。「ミスエジプト」に選ばれたことがキッカケで芸能界入りを希望するようになり、フランスへ旅たつのです。最初は映画女優として志望し、オーディションを繰り返すものの敗れる毎日。ふとしたきっかけで友人になった女性から歌手転向を進められ、日の目を浴びるようになるのです。
ルージ・テンコー、彼はイタリア・ローマの生まれ。テンコーは孤独癖のある青年で、流行に沿った歌ではなく、あくまでも自分の歌いたい歌にこだわったりと、世間的には「変わり者」のレッテルを貼られることも多く、報道関係者や聴衆からの強い支持を得ることはありませんでした。
そんな折、1966年のこと。ダリダはシンガーソングライターであるルイージ・テンコーに知り合い、恋人同士になるのです。そして、翌年には、ルイジ・テンコーと結婚することを公表するまでに。
1967年、初めてイタリアの歴史・名誉ある音楽祭「サンレモ音楽祭」に出場が決まる二人。
後の証言によると、最初テンコーはサンレモで「ciao amore ciao」を歌うことには乗り気ではなかったそうです。しかし、その歌でサンレモ音楽祭に臨むことを強く希望、彼を説得するダリダ。ついには、テンコーはダリダと「ciao amore ciao」を歌うことを決意したのです。
しかし、皮肉にも結果は惨敗。音楽祭の初日では入賞すらできず、それに抗議したテンコーは宿泊先のホテル・サヴォイアでピストル自殺を遂げたのです。そして、テンコの死を発見したのは、そう、ダリダ。彼の死の発見後、半狂乱状態となり、服毒自殺を図りましたが、未遂に終わったのです。
その後は、ステージでは長身に長いドレスと髪で歌い、「聖母のような歌手」とあだ名がついたことも(恐らくあのビデオあたりでしょう。泣いていたのはテンコーとのドゥエットが蘇ったのでしょうか?)
70年には、フランス、イタリア・ヨーロッパ、また日本でも彼女の歌が続々ヒットします。「パローレ・パローレ」「愛するジジ(ジジ・ラモローゾ)・・・
70年代後半にはアメリカでも活動。80年代には実質ともに、フランスを代表する国際的歌手となったのです。私生活は、と言うとその後も数々の不幸な恋愛を繰り返し傷ついていくダリダ。
そして、1987年5月。
デビューから30年、テンコーの死から20年が経ち、彼女が54歳の時のこと。
彼女は睡眠薬の多量摂取で自殺をしたのでした。
「許してください、人生はつらすぎる」という遺書を残して。
現在、彼女の自宅があったモンマルトルの広場にはダリダの胸像が完成し「ダリダ広場」と呼ばれている。
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ね、とても波乱に満ちた一生ですよね。色々な方がDALIDAの波乱万丈人生を取り上げているので、是非読んでみてください。
てか、まず電車の中でケータイで読んでたら、なんか段々ウルウルしちゃって・・・
チトやばかったから改めてウチに戻ってから読み直したけど・・・
冷静に読んでも「胸が痛む」物語ですね。。。
その「涙」の意味、分かりました・・
ちなみに質問なんですが・・・
彼女の人生がTV化された「DALIDA」って映画ですか?
それともドラマ?
もしそれが日本で見れたらいいなぁ~、って思うんですが・・・
調べてみたら、フランスでもこのテレフィルムやっていました、同じキャスティングで。恐らくイタリアが製作、フランスでも放送されたと思います。
YOU TUBEやこちらの動画共有サイトで調べたけどヒットはしませんでした。まぁ、あったとしてもオリジナル言語である可能性が高いのですが・・
ちなみに
http://www.dalidalefilm.com/
に紹介がありましたが、フランス語なようでよくわかりません、ごめんなさい!
がんばってフランス語のサイト、読んでみました。
きっこさんの言ってたこととだいたい同じだったと思います。
読んで改めて感じたんですが。。。
彼女は「愛したい、でも愛しすぎたゆえに・・・」このような結末を迎えてしまったのかもしれませんね。。。
ダリダのドキュメンタリーとかドラマとか、もし見たら、ウチ男だけど、ウルウルしちゃうのかなぁ~