親子eighterはじめました。~母はなにわ男子も嗜みはじめました。~

AmBitiousも応援中!真弓のタケ垣にタケ立て掛けたのはタケ立て掛けたかったからタケ立て掛けたのです。

面白い女はモテない。

2011-01-22 22:25:48 | 母の日記
みなさま、ごきげんよう。

いよいよ新しいカレンダーがベールを脱ぎはじめましたね!

母は美容院で髪をカラーリングしながら、じっくり眺めて参りました。

バラエティーに富んだショットが期待できそうですね~。

ロケ地はなさそうですけども・・・(笑)

楽天の予約ランキングで関ジャニ∞のカレンダーが第四位に入っていました!

わーい!これから、もう少しランクがあがるのかな?どうかな?







ここからは、カレンダーとは関係の無い母の昔話なのですが・・・・。

何故髪を染めていたかと言えば、大学時代の友人の結婚式があるからなのです。

20年ぶりに会うお友達もいるんだな。

みんな、私に気付くかな?

あの頃より30キロ増えた私に・・・。

はじめまして、なんて挨拶されてりしてね(笑)

体型はどうしようも無いので、せめて白髪位は染めて行こうと思ったんです。

あの頃の私・・・。


時代はバブル。

女子大に通っていました。

サークルは沢山の大学との交流がある、真面目サークルに所属していました。

あえて真面目と書いたのは、ありがちなスポーツなどで他大学の男子と交流するタイプのサークルでは無かったからです。

どうしても、そういう雰囲気のサークルは性に合わない気がしていました。


サークルの活動自体は真面目なのですが、活動が終わって後で、お楽しみがございました。


それは一つの伝統にもなっていて、合同の大きな合宿や、イベントの打ち上げなどで「エンタテ」と呼ばれるお楽しみ会風な事がありました。


そのお楽しみ会では、各大学から召集された委員が出し物をしたり、希望の大学が出し物をしたり、とイベント毎の楽しみでもありました。


大学2年からの一年間は、私は委員の仕事をしていたので、必然的にそのお楽しみ会の出し物に触れ、自分自身も参加しなければならない状況になりました。


初めて「エンタテ」をしなければならなかった時、メンバーが揃ったばかりで意見もまとまらず、どんな事をするのか時間ギリギリまで決まりませんでした。


もう、どうしようもなくて「東村山音頭」(*わからないよい子はお家の方に聞いて下さいね(笑))にしよう!と提案がありました。



提案したのは、私でした。


みんなでイヤイヤ踊った東村山音頭は、会場を冷ややかな空気が包み込むのを、その場にいた誰もが感じられる程でした。


出し物が終わると、スベッたのは、まるで私が悪かった・・・そんな空気さえ委員の中に生まれていました。


どうして、私のせいなの?時間も無かったし練習も出来ないし、だれも意見を言わなかったじゃない?


その時の事が、後の私に大きな変化をもたらす事になるとは、その時はその場にいた委員はおろか、私自身でさえ気付いてはいませんでした。


イベントや委員会を回を重ね、みんなが仲良くなっていくと、次第に「エンタテ」も面白い物が出来る様になって来ました。


時間が経って気付くのですが、決して面白い事をするためだけのエンタテではなくて、そこから生まれる委員同士の絆があったりするのです。


そして、その絆が次のイベントを円滑に運営する事に大きく貢献したりもするのです。


そして、少しづつでしたが、私はそのエンタテでいかに笑いを取るか・・・という事にも大きく心を奪われる事になって行きました。


イベント毎にエンタテでの確かな手応えを感じられる様になった頃、いつしか私はエンタテには欠かせない要員の一人となっていたのです。


そして、そのエンタテに懸けた(笑)私のサークル人生で最大の見せ場がやって来ました。


本来の活動の見せ場は全く違う所に存在していたのは、言うまでもありません(笑)もちろん、本来の活動もしっかり頑張っていました。


最大の見せ場。


それは、関東の70近い数の大学の幹部が集まって、1000人近い規模で行う合宿の最後を飾る「エンタテ」です!


そして、その場は1年前に東村山音頭で辛酸をなめたのと、同じ合宿です。


リベンジのチャンスが私にやって来たのです。


今回は大学単位でのエントリーをしてエンタテに臨みました。


そう!状況は違っていたのです。

もう、東村山音頭をイヤイヤ踊っていた頃の私はいませんでした。


その頃には、☆☆大学の○○(←私の事)ってエンタテ、すごいんでしょう!?

今年の優勝は☆☆だよね~。

☆☆のエンタテ楽しみ!!


などど、前評判が高く、私には優勝しか許されない状況だったのです。

私は合宿本来の行事を合間を縫って、また睡眠時間を削ってまで台本を書きました。

1年の時を経て、再び同じ合宿のエンタテの舞台に立つ同じ大学の部員と私。


結果は・・・・



優勝でした


私のエンタテは関東の大学の頂点に立ったのでした。

その日から、私は「エンタテの女王」の名を欲しいままにし、楽しい大学生活を送る事が出来たのでした。


何が言いたいのかというと。

レコメンで横山さんが言ってました。



女の子はおしとやかにしとけばええ!

面白い女はモテない!!



その通りなのです。

面白い子で終わってしまう私。

そんな面白くてモテなかった時代からの、お友達の結婚式。

楽しみです。