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21年2月28日 マシーン日記 感想 -真冬の渋谷で一番暑い部屋-

2021-02-28 23:35:14 | NaNaによるレポ


※本記事はマシーン日記の内容、ネタばれを含みます※












この度大変有難いご縁があり『マシーン日記』の東京千秋楽を観劇することになった。

一言で言うと異様な作品だと思った。私はまだこの作品を「エンターテイメント」として昇華することができていない。狂気、エロ、混沌。観劇後の心が沸騰するようなドロドロした熱が今も後頭部を打ち付けてくるようだ。

今回は舞台を観た感想と私なりの解釈を備忘録として記していく。

360度見渡すことが可能なセット。雑多とした工場内に佇むプレハブ小屋(物語の中では第2作業所と呼ばれる)が中央にあり、基本的にはその上で物語が展開していく。会場の客席に時折プロジェクションマッピング的に映り込み、動き続ける無数の歯車はそのゴツゴツとして無機質なセットと共に臨場感を演出していた。またかなり効果的に音楽が作用しており、工場的な音がサンプリングされた不穏な音楽の数々は多くの場面で私の心を「異常な世界」へと引き込んでいった。

陰惨な事実の元、実の兄であるアキトシ(大倉孝二)に監禁されることになるミチオ(横山裕)。監禁されているにしては美しすぎるそのビジュアルに息をのむことしかできない。卓越した透明感。もはや向こう側が透けていた。(確実に透けていた。)

今作は4人の男女の馬鹿馬鹿しいほどの「生」の物語だと思う。

この作品を愛の物語だと感じる人もいると思うし、人間の狂気の物語だと感じる人もいると思う。登場人物の異常な言動には気持ちわるさを感じざるを得ないが、それ以上に「生」への尋常でない執着が私は気になった。明らかにおかしい人たちなんだけど、みんな一生懸命生きようとしてるところが何だか眩しかった。

この4人にはそれぞれ「足りていない部分」があるところがオズの魔法使いの登場人物とリンクしている部分ではないだろうか。オズの魔法使いには両親を失った少女ドロシー、脳みそを欲しがるかかし、心を欲しがるブリキ、勇気を欲しがるライオンが出てくるが…。

ミチオは強姦をしたことが原因となり鎖に繋がれ監禁されているが、何かにつけて、その「鎖」を言い訳にし能動的な行動を全くとろうとしない。狂気的な兄に振り回されて人生がめちゃくちゃになっているのに、もはやそのめちゃくちゃの中に安住しているような節がある。本当は外の世界に出るのが怖いんだと思う。(本当に逃げたかったら、警察に連絡するとかサチコに助け呼んでもらうとかもできるよね?)

アキヨシは兄指という6本目の指を持つ存在で鳥人間コンテストに出場するも指のせいで放送されないなど悲しい思いをしてきた。そのことも相まってか、家族にこだわり、弟の強姦の責任でサチコ(森川葵)と結婚する(←このことも正論だと思っているがよく考えたらおかしな提案である)が、他の3人からは双極性障害を疑われるほど不安定な存在で、たびたび暴力をふるって周囲からの「愛」を支配しようとする。

サチコはいつも奥歯にものが詰まったような物言いしかできない頭の悪い人物なのに常に「主役」になりたがっている。夫に暴力を振るわれても「今の私、悲劇のヒロインっぽくない?主役じゃない?」といった具合で目を輝かせるような異常性がある。

ケイコ(秋山菜津子)はこのマシーン日記のタイトルにもなった不気味な日記を書いている人物で、レトリックを嫌い、様々な挑戦を試みる性格で「歪曲した母性」が原動力のようで、ミチオのセックスマシーンになると宣言し、自らを三号機と呼ばせる。元々おかしかった工場をもっともっとおかしくしてしまう存在だ。

そんな「足りない」人たちが生きるということについて、考えさせられるような作品になっていると思う。

コンプレックスから逃げたい、幸福になるための苦労を避けて不幸というぬるま湯につかっていたい、主役になりたい、愛したい、愛されたい…あらゆる欲に忠実で居たい。物語の登場人物の欲望は誇張されているが、一つ一つの核の部分は、デジタル化が発展した消費社会で機械のように生きる我々が抱える課題と映し鏡になっているのではないだろうか?

ちょうど最近そのようなことについてよく考えていた。簡単に加工できたり、少しだけ工夫すれば良く見えたりするように作られているハリボテ(Tiktokとかインスタとか)を使い、多くの人からの賛辞集めに熱中することが「普通」とされる世の中に一種の諦めのような感情を抱いていた。小さなイーハトーブを作り上げて満足し、肝心の自分の人生の操縦桿は誰かに渡してしまうような、そんなふんわりとした生き方を私は送りたくはない。

しかし、ともすれば物語の中心地である、工場の中で一番暑いプレハブは、欲望まみれの彼らにとっては理想郷なのかもしれない。それぞれが様々な「欲求」に忠実に生きようとする姿を「異常」だと思った私がすでに、悪しき「普通」に染まってきているともいえるだろう。

主役の横山裕さんは本当に素晴らしく、彼らしいミチオ像を演じてくれたと思う。(戯曲も買って読みました。)

他がもっと狂っているのでミチオは、登場人物の中では割と普通の感覚を持っている人だと思うが、劣等感や孤独感などから自分をあまり出さず、長いものに巻かれてしまう節がある。脚本の印象だともっと飄々とした人物のように捉えていたのだが、大根さんの演出による新しいミチオでは「恐ろしくクオリティーの低い古畑任三郎のモノマネ」や繋がれた鎖を活用したsmooth criminalのダンスシーンなど所々に横山さんの本来持つコミカルさが表現されていて、舞台全体のシリアスな雰囲気をポップに仕立て上げていた。

また秋山さん演じるケイコが水気のある色気を余すところなくダダ漏れさせていた一方、横山さんのミチオは渇いた色気、砂漠に咲く花のようなワイルドでカッサカサな色気で対抗しており、観ていて非常に興奮した。(大変興奮した。)

白すぎる肌、浮き上がった骨と筋肉、そして鋭く光る眼で、この上ない気迫とエロティシズムを表現しており、松尾スズキ×大根仁のエロ&バイオレンス&コミカルな世界観の中心の人物として素晴らしく演じ切っていた。

横山裕の持つユーモア、やさしさ、色気、寂しさ、ガッツ…。

彼を構成する様々な要素が存分に発揮され、表現者としての新しい一面が垣間見えた。まさしくこれは、彼の30代の集大成となり、またこれからの人生における輝かしい橋のような作品となるだろう。今の横山裕だからこそチャレンジできたこの作品を目撃できて本当に本当に良かった。

東京千秋楽ということで、カーテンコールには何度も応じてくれて、マイクを通さず大きな声で客席に「ありがとう!気を付けて!」と声を掛けてくれるやさしさにハートがウォーミングせずには居られなかった…。二次元から浮かび上がってきているかのような圧倒的な美貌を持っていながら、あんなにやさしい心を持っているなんて……。

残りの公演もお身体に気を付けて頑張ってください…!!!
ますます脂がのった横山裕さんのご活躍を心より応援します!!!