どうも、無事なNaNaですけれどもー。
沢山の方からご連絡いただきました。
携帯にご連絡くださったかたには、お返事をいたしましたがー…。
今日は、昨日の夜。
激動の一夜のNaNaの行動についてお話しようと思います。
昨日はもう、お休みで、新宿で友人らと遊んでいました。
地震が来たときはカラオケにいて、最初は自分が激しく踊っていたのでまったく気が付かなかったのですが、窓の外を見るとはすむかいの隣接するビルとビル同士が、くっつく勢いで揺れており、混乱する街中が目に入りました。
やっとのことで、ドアにマイクを挟んで、店員さんがくるまで机の下にいました。
ひとりの子がパニックを起こして外に逃げようとしたけれど、危ないので、強引にひっぱって机の下にもぐらせました。
そしたら店員さんが来てー…避難しましょうと言うので避難して。お金も払わずに、さっさと外に出ました。何故だか、状況が把握できずー、冷静だった私。
新宿は騒ぎすぎだと、思いました。そのときは状況もわからず、ただ電車が止まっているという事以外に、正しい情報もなかったので、遊ぶのを続行することにしました。
プリを撮っている最中に母から「余震が来ます。道の真ん中に。」といった内容のメールが来て、それから3分後に余震が来ました。ゲーセンの5階でした。
静かに歩いて階段を下りて、道に出ました。
新宿は、混乱していました。

地震直後、歌舞伎町の入り口の写真です。
よく見ると、道の真ん中、車道と車道との間に沢山の人がいるの、わかりますか?
救急車や消防車の激しい往来が目に入りました。
アルタ前の電光掲示板の前に移動すると、ニュースが流れていてみんな不安そうにしていました。
その後、お手洗いに行きたくなり、地下のお手洗いに行きました。まだ、コトの重大さに気が付かない人も多く…トイレは比較的空いていました。私達がトイレを出る時、トイレには長蛇の列が出来ていました。
そのまま地下街を歩いて、駅に着きました。
駅についてようやく、この地震がどれほど大きいものだったのか、気が付きました。
駅には座り込む老若男女がいました。
まだ、お店がやっていたので、お店にはいって早めにチョコレイトとポカリを買いました。
長い夜になると思ったからです。
その5分後、お店の前を通ると、閉店していました。駅の売店も次々に閉店していき、食料を確保しておいて良かった、と心底思いました。
そこで、友人ら2人が帰る方向が一緒なので、一緒にタクシーをつかまえて帰るという事になりました。
私と、もう一人の友人は、帰る方向が違うので駅で待つ事になりました。駅で2時間程待ちました。住宅情報の冊子が壁に掛かっていたのでそれをとって、キレイではなかったけれど床に敷いて座りました。
しばらくすると、駅にアナウンスが流れました。
「関東全路線、本日中の回復は難しいです。」
希望の光がたたれました。
友人と…高校一年生で野宿はいやだ。朝帰りはいやだ。と強い思いを分かち合い、2手にわかれたもう片方の友人に連絡をしてみると…。
「タクシーが捕まらないので、学校に行く事にしました。」
と。連絡がありました。そうか、その手があったか。お家に帰るより、どちらかといえば学校の方が近いので、学校に行く事にしました。
ここからが長かった。
私も友人も、5センチくらいのヒールのある靴を履いていました。電車でいけば、学校まではほんの何駅かです。
総歩き時間、約3時間。
薄着にヒールで、交番交番へ渡り歩いて。
その、通りをずーっとずーっと真っ直ぐ行けば、学校の辺りに行けるとわかりました。いつ余震がくるかわからず、人の波は新宿に向うものばかりで歩きにくかった。道だってあっているかどうか、わからないし不安でした。
車道には、整備の車、救急車、消防車…。
激しく音が鳴り響き、点滅するサイレンに胸が痛みました。

途中でみた封鎖される駅です。
入り口が完全にふさがれて立ち入れ無い様になっていました。
もうすぐ学校だという目印の場所が見えて、心も穏やかになってきました。でも、結局そこから2kmくらいは歩きました。
すると、外に先生がいてー…半泣きで駆け寄ったら怒鳴られました。その先生のことは、もう何があっても絶対許さないです。それくらいショックでした。
でも、職員室に行って、学生証を見せて、仲間のいる待機場所に行くとー…。
温かく迎え入れてくださいました。
どうやってここに来たかみんなに話してみ、といわれて3時間掛けて歩いてきたというと…この2人に拍手!って。
安堵感から涙が溢れてきました。
先生があったかいお茶を入れてくれて。
でも、手が寒さで震えてなかなかお茶が飲めませんでした。
メイク落としたい、と遊んでたメンバーが申し出るとメイクOTOSHIをくださいました。
それから、結構ショックでダウンしている子もいてー…。先生が面白い話とかをしてくれてかなり心が安らぎました。あの先生には、感謝してもしてもしつくせないくらいお世話になりました。
少しして毛布の配給があり、お琴部から「ござ」の提供もあって、それを床に敷いて毛布に包まりました。眠れない夜のはじまりです。
お迎えに来る組もいたけれど、家は父も動けない状態だったのでお泊り組になりました。
やっと寝たかなーと思うと恐怖心を煽るようなサイレンがなりー…。
(もっと安らかな音楽にしても良いと思った。だってこわいんだもの)
5 4 3 2 1
と、地震予想のアナウンスが流れて、急いで起きて机の下に隠れました。何度か、予想は的中して揺れましたが怪我や事故も無く、安全でした。
かなり疲れていたので、割と私は眠れました。今朝頃はわりと体力も回復していましたので、精力的に毛布返却のお手伝いをしたり机を元に戻す作業をしました。
それからすこしまったりして、朝のティータイム。
改めて昨夜のことを先生とお話しました。
お前ら、昨日手もかなり冷えてたし、大変だったな、と仰ってくださり、熱いお茶が目に沁みてか、また泣きそうになりました。毎年この日が来るたびに、この経験を思い出すだろうね、とみんなで言っていて、本当だなあ、と思いました。
自宅の最寄の駅まで先生がついてきてくださりー…本当に学校には感謝の気持ちで一杯でした。
最寄り駅の改札を出ると、母が待っていてくれました。
真っ先に 「おめでとう」 といいました。
今日は、母の誕生日です。
安心感からか、母の目にも涙が光っていました。
本当に貴重な経験だったと改めて思います。もし自分にこどもが出来たら、このこと話してあげたい、温かくしてもらって嬉しかったこと、歩きつかれて爪が壊死したこと、でもサバイバル力がついたこと。
まだまだ苦しい地域のかたいっぱいいらっしゃると思います。余震だってまだ続いて、不安だと思います。
日常がどんなに、幸せなのか、今改めてひしひしと実感しています。
私達の愛し合う地球に、これ以上の涙はいらないですよね。
まだ仙台のおともだちとは連絡が取れていませんがー…無事を祈っています。
沢山の方からご連絡いただきました。
携帯にご連絡くださったかたには、お返事をいたしましたがー…。
今日は、昨日の夜。
激動の一夜のNaNaの行動についてお話しようと思います。
昨日はもう、お休みで、新宿で友人らと遊んでいました。
地震が来たときはカラオケにいて、最初は自分が激しく踊っていたのでまったく気が付かなかったのですが、窓の外を見るとはすむかいの隣接するビルとビル同士が、くっつく勢いで揺れており、混乱する街中が目に入りました。
やっとのことで、ドアにマイクを挟んで、店員さんがくるまで机の下にいました。
ひとりの子がパニックを起こして外に逃げようとしたけれど、危ないので、強引にひっぱって机の下にもぐらせました。
そしたら店員さんが来てー…避難しましょうと言うので避難して。お金も払わずに、さっさと外に出ました。何故だか、状況が把握できずー、冷静だった私。
新宿は騒ぎすぎだと、思いました。そのときは状況もわからず、ただ電車が止まっているという事以外に、正しい情報もなかったので、遊ぶのを続行することにしました。
プリを撮っている最中に母から「余震が来ます。道の真ん中に。」といった内容のメールが来て、それから3分後に余震が来ました。ゲーセンの5階でした。
静かに歩いて階段を下りて、道に出ました。
新宿は、混乱していました。

地震直後、歌舞伎町の入り口の写真です。
よく見ると、道の真ん中、車道と車道との間に沢山の人がいるの、わかりますか?
救急車や消防車の激しい往来が目に入りました。
アルタ前の電光掲示板の前に移動すると、ニュースが流れていてみんな不安そうにしていました。
その後、お手洗いに行きたくなり、地下のお手洗いに行きました。まだ、コトの重大さに気が付かない人も多く…トイレは比較的空いていました。私達がトイレを出る時、トイレには長蛇の列が出来ていました。
そのまま地下街を歩いて、駅に着きました。
駅についてようやく、この地震がどれほど大きいものだったのか、気が付きました。
駅には座り込む老若男女がいました。
まだ、お店がやっていたので、お店にはいって早めにチョコレイトとポカリを買いました。
長い夜になると思ったからです。
その5分後、お店の前を通ると、閉店していました。駅の売店も次々に閉店していき、食料を確保しておいて良かった、と心底思いました。
そこで、友人ら2人が帰る方向が一緒なので、一緒にタクシーをつかまえて帰るという事になりました。
私と、もう一人の友人は、帰る方向が違うので駅で待つ事になりました。駅で2時間程待ちました。住宅情報の冊子が壁に掛かっていたのでそれをとって、キレイではなかったけれど床に敷いて座りました。
しばらくすると、駅にアナウンスが流れました。
「関東全路線、本日中の回復は難しいです。」
希望の光がたたれました。
友人と…高校一年生で野宿はいやだ。朝帰りはいやだ。と強い思いを分かち合い、2手にわかれたもう片方の友人に連絡をしてみると…。
「タクシーが捕まらないので、学校に行く事にしました。」
と。連絡がありました。そうか、その手があったか。お家に帰るより、どちらかといえば学校の方が近いので、学校に行く事にしました。
ここからが長かった。
私も友人も、5センチくらいのヒールのある靴を履いていました。電車でいけば、学校まではほんの何駅かです。
総歩き時間、約3時間。
薄着にヒールで、交番交番へ渡り歩いて。
その、通りをずーっとずーっと真っ直ぐ行けば、学校の辺りに行けるとわかりました。いつ余震がくるかわからず、人の波は新宿に向うものばかりで歩きにくかった。道だってあっているかどうか、わからないし不安でした。
車道には、整備の車、救急車、消防車…。
激しく音が鳴り響き、点滅するサイレンに胸が痛みました。

途中でみた封鎖される駅です。
入り口が完全にふさがれて立ち入れ無い様になっていました。
もうすぐ学校だという目印の場所が見えて、心も穏やかになってきました。でも、結局そこから2kmくらいは歩きました。
すると、外に先生がいてー…半泣きで駆け寄ったら怒鳴られました。その先生のことは、もう何があっても絶対許さないです。それくらいショックでした。
でも、職員室に行って、学生証を見せて、仲間のいる待機場所に行くとー…。
温かく迎え入れてくださいました。
どうやってここに来たかみんなに話してみ、といわれて3時間掛けて歩いてきたというと…この2人に拍手!って。
安堵感から涙が溢れてきました。
先生があったかいお茶を入れてくれて。
でも、手が寒さで震えてなかなかお茶が飲めませんでした。
メイク落としたい、と遊んでたメンバーが申し出るとメイクOTOSHIをくださいました。
それから、結構ショックでダウンしている子もいてー…。先生が面白い話とかをしてくれてかなり心が安らぎました。あの先生には、感謝してもしてもしつくせないくらいお世話になりました。
少しして毛布の配給があり、お琴部から「ござ」の提供もあって、それを床に敷いて毛布に包まりました。眠れない夜のはじまりです。
お迎えに来る組もいたけれど、家は父も動けない状態だったのでお泊り組になりました。
やっと寝たかなーと思うと恐怖心を煽るようなサイレンがなりー…。
(もっと安らかな音楽にしても良いと思った。だってこわいんだもの)
5 4 3 2 1
と、地震予想のアナウンスが流れて、急いで起きて机の下に隠れました。何度か、予想は的中して揺れましたが怪我や事故も無く、安全でした。
かなり疲れていたので、割と私は眠れました。今朝頃はわりと体力も回復していましたので、精力的に毛布返却のお手伝いをしたり机を元に戻す作業をしました。
それからすこしまったりして、朝のティータイム。
改めて昨夜のことを先生とお話しました。
お前ら、昨日手もかなり冷えてたし、大変だったな、と仰ってくださり、熱いお茶が目に沁みてか、また泣きそうになりました。毎年この日が来るたびに、この経験を思い出すだろうね、とみんなで言っていて、本当だなあ、と思いました。
自宅の最寄の駅まで先生がついてきてくださりー…本当に学校には感謝の気持ちで一杯でした。
最寄り駅の改札を出ると、母が待っていてくれました。
真っ先に 「おめでとう」 といいました。
今日は、母の誕生日です。
安心感からか、母の目にも涙が光っていました。
本当に貴重な経験だったと改めて思います。もし自分にこどもが出来たら、このこと話してあげたい、温かくしてもらって嬉しかったこと、歩きつかれて爪が壊死したこと、でもサバイバル力がついたこと。
まだまだ苦しい地域のかたいっぱいいらっしゃると思います。余震だってまだ続いて、不安だと思います。
日常がどんなに、幸せなのか、今改めてひしひしと実感しています。
私達の愛し合う地球に、これ以上の涙はいらないですよね。
まだ仙台のおともだちとは連絡が取れていませんがー…無事を祈っています。
もぱりあるの方を何度か見ましたが、更新されていなかったのでとても心配でしたが、今日更新されたのを見て、本当に安心しました。
大変な一日を過ごされたのですね。でもご無事で本当によかったです。
母様、お誕生日だったのですね。母様も大変な一日を過ごされたことと思いますが、ご家族の皆様がご無事で本当に何よりです。
私の幼なじみの親友も母様と同じく誕生日でした。母様もお誕生日おめでとうございます。
まだまだ油断はできませんが、皆で励まし合い助け合って、今できる事をやりましょう!こんな時だからこそ支え合い、不安は半分、笑顔は倍にして!
お母様もお誕生日おめでとうございました。
日本は、きっと、大丈夫です。
真っ先にメールを送らせてもらいましたが…(よく考えたら混乱していた中、すみませんでした)すぐに返事をいただき安心しました。
NaNaちゃんもお疲れ様でした。
国内最大の悲劇になってしまい…ニュースを見るたびに胸が痛みます。
余震など、今後もご注意くださいね!
ママ様、お誕生日おめでとうございます☆
ご友人も、NaNaさんの冷静な対応に救われたのでは、と思います。
昨日の晩は大人でも恐かった・・・。
優しい先生方に感謝ですね。
東北ではまだまだ深刻な状況が続いていますね。
一人でも多くの命が助かりますように・・・祈るばかりです。
そしてお母様、お誕生日おめでとうございます。
この言葉が今日も言える。
そんな事がものすごく嬉しいです。
母さんお誕生日おめでとうございます(*μωμ*)
時々のぞいて、楽しい親子だなぁと思っていましたが、うちの娘と同じ年だったのですね。読んでいて、他人事とは思えなくて…。
地震の日は、札幌も息子の乗った地下鉄が止まって、連絡がとれなくて(電波届かない)心配しました。にもかかわらず、娘は友達と出かけて(笑)注意しました。 ∞のコンサートも近々発表にならないかと思っていたけど、しばらく無さそうですね。丸も横もブログアップしてないし…。
怒鳴った先生は、許してあげて下さいね(笑)
長くてごめんなさい。体調に気を付けて下さいね。また、遊びに来ます!!
良かったです(>_<)
まだまだ余震が続いてますね
これからも気をつけて下さい
私は福島に住んでますが
被害が少なかったので
良かったです。
これ以上何もないと良いですね。