やっと作り上げた作品をライブハウスで演奏した後で感じた事。すごく大切な事だし、あまり人には話したことがない事。意味があるかわからないけど、必要性を感じたので書きます。
自分の中で、衝撃的だったのは今の2人編成になってまだライブもやってない頃の出来事。曲作りを試行錯誤していて、ずっと好きなバンドのライブを見た時、その日は面白く観戦できなかった。そのバンドの事は尊敬していて、今まで10年以上ずっと身近に接してきたバンド。それがなぜ・・・。(その後別の日、そのバンドのライブを見た時には、楽しく見れた。)
ずっと好きなバンドが面白く見えなかったのは、papalionが今の2人編成になったことに要因があった。
なぜそんなマイナーチェンジが自分の中に起こったのか、始めはわからなかった。
2人編成になるまでは、ドラム・ギター・ベースという安定したバランスの中で曲を作り上げていた。根本的な手法は、色づけとしての色を抜くことだった。もちろんそれだけじゃないけど。
その安定からベース音が抜けた時、確実に不安定な音の状態になった。
例えると風景写真なのに赤インクがないから全く違う風景に見えるような状態。ちなみに上の写真は赤を抜いています。
赤がない風景写真を、バランスが悪いものとして見せて、見る側の想像力に委ねることも可能だとは思う。でも、それは望まない。
作品として風景写真として見せたいけど赤はない。どうする?と考えた結果、好きなバンドが面白く見えなくなるような何かが新たに自分の中に入ってきたのだと思う。
ドラムとギター、オルガン、竹楽器、歌声の中で、2人で安定した曲を作り上げる事は、違和感の連続だった。が、試行錯誤を繰り返すうちになんとなくわかっていった。
今は、2人でやっている時の感覚が、3ピースでやっていた頃と同じような感覚で曲を考えられる。いろんな選択肢の一つだと考えられる。
ただ、そういう、作り出す場所に介入してくるいつもの事だけど、頭の中ではイメージできるけど、リアルに感じようと思って、リアルなものを作り出そうとする事は、今だに慣れないし、時間がかかる。デッサンに色を落としていく、色を選択していく事。2人になって、それは、今までの経験とか好きな型だけでは色づけできなくなった。
全ては結果だ。
どうやって色づけしたかを書く必要があるかどうかわからないけどまた改めて。
自分の中で、衝撃的だったのは今の2人編成になってまだライブもやってない頃の出来事。曲作りを試行錯誤していて、ずっと好きなバンドのライブを見た時、その日は面白く観戦できなかった。そのバンドの事は尊敬していて、今まで10年以上ずっと身近に接してきたバンド。それがなぜ・・・。(その後別の日、そのバンドのライブを見た時には、楽しく見れた。)
ずっと好きなバンドが面白く見えなかったのは、papalionが今の2人編成になったことに要因があった。
なぜそんなマイナーチェンジが自分の中に起こったのか、始めはわからなかった。
2人編成になるまでは、ドラム・ギター・ベースという安定したバランスの中で曲を作り上げていた。根本的な手法は、色づけとしての色を抜くことだった。もちろんそれだけじゃないけど。
その安定からベース音が抜けた時、確実に不安定な音の状態になった。
例えると風景写真なのに赤インクがないから全く違う風景に見えるような状態。ちなみに上の写真は赤を抜いています。
赤がない風景写真を、バランスが悪いものとして見せて、見る側の想像力に委ねることも可能だとは思う。でも、それは望まない。
作品として風景写真として見せたいけど赤はない。どうする?と考えた結果、好きなバンドが面白く見えなくなるような何かが新たに自分の中に入ってきたのだと思う。
ドラムとギター、オルガン、竹楽器、歌声の中で、2人で安定した曲を作り上げる事は、違和感の連続だった。が、試行錯誤を繰り返すうちになんとなくわかっていった。
今は、2人でやっている時の感覚が、3ピースでやっていた頃と同じような感覚で曲を考えられる。いろんな選択肢の一つだと考えられる。
ただ、そういう、作り出す場所に介入してくるいつもの事だけど、頭の中ではイメージできるけど、リアルに感じようと思って、リアルなものを作り出そうとする事は、今だに慣れないし、時間がかかる。デッサンに色を落としていく、色を選択していく事。2人になって、それは、今までの経験とか好きな型だけでは色づけできなくなった。
全ては結果だ。
どうやって色づけしたかを書く必要があるかどうかわからないけどまた改めて。