DEEP SEAα

ココロの軌跡

Beautiful Colors

箸置

2007-02-12 | 遠い日の海(過去エントリー)
食事をするときは、なるべく箸置きを使うようにしている。


コレクションしている方も多いそうだが、私はそんなに数は持っていない。



先日、木の枝で作られた箸置きを買った。


本物の木の温もりの玩具を姪に与えたいと思い、買い求めに訪れたショップで偶然見つけた。





雑務に負われて過ごしていると、つい慌ただしく食事を済ませてしまいがちになる。

ましてひとりきりの時などは器を選ぶ手間もそこそこに、簡単にしつらえてしまいがち。



それがなんだか味気なくて、ある時から意識して箸置きを使うようになった。



箸置きに箸を置きながら食事をする癖をつけると、気持ちにも余裕が生まれるような気がする。



お茶を飲むとき、器を手前に取り寄せたい瞬間、中座するときなど、無作法な様子を曝さなくて済む。


何より、キチンと食事をするようになるし、自然に所作にも気を使うようになる。


改まった席で会食しなければならない時など、つい日頃の習慣が顔を覗かせてしまうから、普段から気をつけるのに越したことはない。




日々の生活は人それぞれであるが、さほど違わないもの。



どのような意識で暮らすか‥という違いだけである。





奔放でも赦される蒼い時期を過ぎたならば、ほんの些細な事からでも熟成という高みを求められるような、生き方をしたいものだ。



それは無駄だと思われるような事でも、コツコツと丁寧に暮らして行くことだと思う。


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終わらない物語

2007-02-09 | 遠い日の海(過去エントリー)
「終わらない物語。
聖書だけがその願いを叶えてくれた。」


好きな作家が以前洩らした言葉。




私は本が大好き。


書店に行き本棚の前に立つ時の、あのワクワクする気分。

今回は、どんな世界を知ることができるのだろう… と。

まさに宝の山に見えてくるのだ。




私の読書の仕方には特徴があって、一人の時にしか読まない。

立ち読みや電車の中とかでの読書は皆無。



一人になって、クラシックのCDを耳に触れる程度に流し、手元には飲み物とミントタブレット… 、あとは何も要らない。


当然、お菓子を食べながらやお酒を飲みながらなどは考えられない。




最近では読むジャンルも拘らなくなった。


朝の新聞から始まって、とにかく暇を見つけては読んでる。

使い込んだ辞書を一時間も読んでた時には、流石に驚いたけどw



だけど何故かコミックは見ない。

嫌いというわけじゃないけど、興味がない。

これまで買ってまでして読んだのは、多分「ホットロード」ど「C級サラリーマン講座」くらいかな。 笑



活字を目で追ってる間は、周りの音が聞こえない。

完全に本の世界に入り込んでる。


笑う、怒る、号泣する…… 。

大変な騒ぎである。



「ハッ!」と気がついて、冷めた紅茶を飲まなければならない事はザラ。

CDはいつの間にか止まっている。



こんな調子だから、ひとりの方が都合いいのである。 笑



ぐいぐいと引き込まれる本と出逢ってしまった時などは、著者と会話をしているような気分になる。

活字ではなく声となって響いてくる。

それは時に肉感的な程に。



夢中になってページを捲って行き、残り僅かになってくると、なんだかとても心細いような悲しい気分になる。


もっともっといつまでも話していたいのに… と。



本の中は、私が大好きなある種の妄想の世界だから、読み終えた後も帰りたくない時が多々あるのも事実。


まったく危ないものである。





私にとっての「終わらない物語」とは、いつ巡り逢えるだろう…… 。

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胡椒が好き

2007-02-07 | 遠い日の海(過去エントリー)
私は胡椒が好きだ。


ブラック、ホワイト、レッド、ピンクそれぞれに好き



ラーメンは勿論、お蕎麦やスープ、サラダ、ケーキ…… 、やたらに振りかけて食べる。


近頃は、胡椒あじのお菓子が増えてきたのでとても嬉しい。


スーパーやコンビニに行くと、やたら買い漁る妙な趣味が出来てしまったw




何故こんなに胡椒が好きなのか…… ?


以前は普通に好きな程度だった。



少し思い当たる出来事がある。




私の好きな人が、ちっちゃい頃通っていた保育園で「好きな食べ物はなんですか?」と保育士さんに聞かれたらしい。


聞かれた園児達はそれぞれ、ハンバーグやスパゲティ、ケーキなどと答えたが、その人は「コショウ」と言ったという。

勿論、その頃一番好きだったからそう答えたらしいのだが、「そんなのはおかしい」と保育士に言われてとても傷ついた… と、笑っていた事があった。

それがトラウマになったのか、人に嗜好を聞かれるのは今でもあまり好きではないとも… 。



ちっちゃなちっちゃな胸を痛めた出来事が起きた日




人は大人であろうが子供であろうが、大きく心が傷付く出来事に遭遇すると、その大小に関わらずその後の人格形成に少なからず影響する。



特に子供の頃は、善悪の区別が鮮明でないから、SOSを発するきっかけを失い、深い傷になっているのにも気付かぬまま大人になる事が多い。



心ない大人の為に、傷ついたまま時を経てきた人に出逢うたびに、「その頃にもし私がいたら、助けてあげられたのにな」と、思ってしまう。



そして、どうしたらこのトラウマから解放してあげる事ができるかな…と。



へんてこりんかもしれないけど、胸が痛くなってたまらなくなるのだ。




だから、きっと、胡椒が好きになったんだと思う。




「胡椒が好きな事は、ちっともヘンじゃないし、私も大好きなのよ」‥と伝えたいから。



ちっちゃい頃に傷ついてしまった可哀想な心が、いつか癒される日が来るといいね。



私はいつも味方だよ。


もう大丈夫だよ。



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最後の手紙

2007-02-07 | 遠い日の海(過去エントリー)
風のなかを自由にあるけるとか、


はっきりした声で何時間も話ができるとか、


じぶんの兄弟のために何円かを手伝えるとかいうようなことは、


できないものから見れば神の業にも均しいものです。


そんなことはもう人間の当然の権利だなどというような考えでは、


本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。





【宮沢賢治】

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よだかの星

2007-02-07 | 遠い日の海(過去エントリー)

寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。


よだかははねがすっかりしびれてしまいました。

そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。


そうです。


これがよだかの最後でした。


もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。


ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居りました。



それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。


そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。


すぐとなりは、カシオピア座でした。


天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。


そしてよだかの星は燃えつづけました。


いつまでもいつまでも燃えつづけました。


今でもまだ燃えています。







【宮沢賢治】

 

 

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