年の瀬を迎え 新年を迎えるべく 師走の慌しさに拍車がかかる日々である
さて 本年を振り返ってみると 続発する無差別殺人 食の安全崩壊 世界に吹き荒れる不景気等 挙げればきりがない
事件が起こるたびに私たちは一喜一憂し錯綜する情報に心痛む思いがした
まさに「心身ともに疲れて 坐起安からず」の毎日であった
これは私たちが生きる指針 真の生きがいを見失った結果ではないか
今ほど人間性が失われている時代はない
自分がいかにあるべきかを問うことすら 私たちは忘れている
しかし誰もが 人生で生きがいを感じて人生を生き抜こうとする
幸せや安らぎといったものは 生きがいの姿であろう
では 生きがいとは何か
それは天地万物に生かされて生きる自己を認識し 見る世界の中にいる自己が見られている自己だと知ることである
私たちが神仏を超えてまで勝ち取ったと錯覚している人間の主体性は 物質的に豊かな生活の享受を約束こそしても 精神の自由を保障するもので無かったことを 今になってようやく人々は理解しはじめてきたのではないだろうか
欧米の自由主義経済の影響を受けた我々が こころの糧を仏教に求めようとしながらも 仏を見る対象としか捉えず 仏に見られている自己を忘れ去っている
つまり 人間性喪失の現代の生活は 仏不在の生き方に起因しているともいえる
比叡山で修行され曹洞宗の祖となられた道元禅師は『正法眼藏』で
「仏道をならうというは 自己をならうなり
自己をならうというは 自己をわするるなり
自己をわするるというは 万法に証せらるるなり
万法に証せらるるというは 自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり」
と述べておられる
自身を知り 本来の自己になっていく自分を見つけることができた時 はじめて真の生きがいを得ることができる
何事にも動じない心(不動心)を得 新しい年を迎えたいものである
( 比叡山時報より )
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