DEEP SEAα

ココロの軌跡

除夜の鐘

2008-12-31 | 言の葉の海


以前 此処に [ 泥田 ] という記事をentryしたことがありました


その記事で私は 仏教ととても関わりのある「蓮華」の花の教えを表したかったのでした

蓮華は泥田にしか咲きません キレイな真水では枯れてしまうのです

泥に身を埋めつつも その花や葉に泥の色や香りを少しも染め出さずに
栄養として吸収し 清らかで美しい花を咲かせるのが
蓮華です


「padma」 とは サンスクリット語で 「蓮華」を意味します


ハンネをpadmaにしたのは
そんな意味合いもありました




私は此処で時々
自分の言葉ではなく 他の方々の詞や文章を引用することがあります

自分の言葉で綴るのが一番善いことなのは 重々承知していますが
それには理由があります

仏様の教えを説くのは 出家をしたお坊様でなければならないという
決まりがあります
私には師匠がいますが まだ正式に出家得度はしておりません
なので 知ったかぶりで 皆さんにああだこーだと説法をしてはいけないのです

それで きちんとお坊様の資格を持った方々の御言葉をお借りしながら
その時々で 様々な気持ちを此処に綴ってきたという訳です


なので今回も 「泥田」に続くお話しを綴りたいと思います







 大晦日には百八の除夜の鐘をつく

百八というのは仏教で分類した人間の煩悩の数である
除夜とは夜を除くと書く

夜とは何か
道理にくらいための夜である

道理にくらく 道理にもとる生きざまのゆえにみずから招いた苦しみの数々
その苦悩に導かれ 苦悩を手がかりとして仏法の門をたたく姿が 除夜の鐘をつく姿なのである

かくて百八の煩悩の闇は百八の法門の輝きと転じて 光明燦然とした元旦がやって来るのである


一日に八万四千の煩悩あり八万四千のみほとけゐます


煩悩の数だけ仏がいまし 煩悩の数だけ法をお説きくださったと詠んだこの歌の作者 青木敬麿という方は 浄土真宗のお坊さんであるという

年に一度 大晦日から元旦にかけて除夜の鐘をつけばよいといものではない
毎日毎時間 我が心に向かって除夜の鐘をつきつづけなければならないのである


一歩一歩に蓮華の花を開かせてゆかねばならないのである




(青山俊董師)
 








今年も一年 驚くほどたくさんの方々に訪れていただき とても感謝しています
ありがとうございました



皆様にとりましても 来る年がお幸せなものでありますように



どうぞ良い新年をお迎えください







  合掌












                                

                                 不滅の法灯















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