屋敷中の正月飾りを外し 七草粥を頂く
今日はもう 正月七日
あっという間だった
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八年前の今日
訃報のTelが入ったのは
お神酒を持参しての初釣りをしに海へ行った
大雪の降る帰り道でのことだった
其の御方に私は
産まれおちた時から 孫娘のように可愛がってもらっていた
「癌の神様」と称された 吉田富三先生の下で研究生活を送った経歴もある方であったから
地元での医療活動に対しても尽力され
休日当番医制度や 救急医療
特に 県境を越えての救急車の搬入や
高度救命センターの設立を全国に先駆けて行うなど
地域医療に貢献をされたドクターだった
先生はある患者様に言われた言葉を
常日頃からよくお話されていた
「 私は あなたのもとで死にたい だから何処にもやらないで(転院させないで)ください」
先生は この言葉を 一生の宝にしたいと
ご自身の著書の中でもあらためて触れられている
貧しくて病院へ通うことの出来ない方の処へも
「 支払いは いつでもいいですよ」
と 無償で往診をしていたこともあった先生
それは若くして 瑞巖寺 西光寺で学んだ先生らしいお姿だった
軍医時代に幾度も人の死に立会い
生き死は全く紙一重の運に左右されるものだという体験が
仏教に大きな関心を持つきっかけになったのだという
そして生涯
薬師経の十二大願の研究も続けておられ
「 ヒポクラテスの徒ではなく 薬師如来の弟子である 」
ご自身をそう称し
「[衆生無辺誓願度]を 足元の灯として 医師としての道を歩み続けただけ」
最期まで そう仰っていた
私は今でも
先生とのご縁を得 寵愛を受けたことを誇りに想う
医学 そして仏教を学ばせていただく きっかけを与えてくださった
恩人でもあるから
彼岸に居られる先生は
今のこの 医療界の現実や 杜撰とも取れる国の政策の有様を
どんなお気持ちで眺めておられるだろうかと
想いを巡らせる事が多くなった
今日の命日に
只ひたすらに 病める者たちの為にと活きた 先生の偉業を想い返し
誰もが平等に 充分な医療が受けられる世になることを祈りたい
そしてその 薬師如来の如き 温かなお顔と御手の先生を
偲びたいと想う
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