
清衡公が中尊寺を建立されたときの願文に
「官軍と夷虜の戦死者は古来から数多い 毛羽鱗介(鳥獣魚介)の犠牲も数知れません そのたましいは遠く去り 骨は朽ちて地の塵となっています うち鳴らすこの鐘の音が大地を動かすたびごとに どうか この罪のない無数のたましいが 安らぎの浄土に導かれますように」(意訳)
とあります
敵味方の恩讐を超え 鳥獣魚介をも包み込む広大な祈りではありませんか
辺境の東北に初めて 高い次元の精神 怨念を超えた仏心の世界が開かれたのです
敵味方の怨念を超えるということが 人間にとっていかに困難であることか!だからこそ それが人間にとって いかに高貴な精神の営みであることか!現代の世相が如実に物語っております
清衡公は 敢えてこの困難な課題に立ちむかったのです
清衡公が 到達した境地の証を 私たちは金色堂の仏たちの柔和な微笑みにみることができましょう
この祈りが 天台の「山川草木 悉皆成仏」の思想に基づくものであることに私は深い感動を禁じえません
単なる一門だけの哀悼ではない
単なる味方だけの鎮魂でもない
単なる人間だけの成仏でもない
この「悉皆」の祈りの高さ 大きさ 広さを 深く思いみてほしいのです
靖国問題が議論される折から 私はこれこそ みちのく東北が 胸を張って 現代世界に発信できる人類普遍のメッセージであると確信しております

[ 千田孝信師 比叡山時報より ]
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