「やっぱりな 悪い結末でも 七分どころは自分の非と心得なくちゃ 世の中うまくいきっこねぇ」
と 年期の入った仕草で語る老人がいる
七分が八分になることもあるが 口癖のように繰り返し言うから 陰で「七八分の爺さま」とあだ名されている
彼は 人様の家を訪ねる時は 玄関から入らずに いきなり縁側に腰を下ろして 縁側談義をはじめる
「ところで近頃 世の中 ギスギスしてると思うんだがね
自分の事は棚に上げ 相手を少し責め過ぎやしねえか
悪いのは相手ばかりじゃない そうでしょ?」
と 切り出す 一息入れて
「世の中は縁 縁といや つながり かかわり合いってコトでしょう
なのに 自分を外において 相手ばかりを責める根性はおもしろくねぇ」
爺さまの言うことは 現代の風潮を見れば 頷ける
「確かに自己主張が強くなって お互い様という心掛けが薄れたように思います
この世に生きているからには なにごとによらず 自分にも責任があるのですから
ところで あなたがよく言う七 八分の自己責任とは どういう意味ですか 少し謙虚過ぎるのではありませんか」
すると爺さまは
「人は 得てして自分に甘すぎるからね
そこを戒めるために七分 時には八分は自分で受け持てとね」
つまり 悪い結果が出た時 その原因を他人のせいにし過ぎる
それは 自己に甘いからなのだ
その甘さを加減するために自己に辛い点数を付けると言うことなのだ
では よい結果が出た時はどうなのだろうか
七 八割は私の働きだと自慢していいのか
爺さまは
「よいことは つべこべ言わず 皆で喜びゃいい」
と明快に言う
「悪事は己に向かえ 好事は他に与え ・・・・・」
という伝教大師様のお言葉を学ぶ初歩として参考までに紹介した
( 阿 純孝師 ・ 比叡山時報より )
クリックしていただくと 励みになります☆ (携帯からもclickできるようになりました)
初めてブログを拝見いたしました。
背景がとても素敵ですね。
ブログもとても含蓄のある内容です
今後も時々拝見させていただきます。
先日、いただいた私のブログに
遅ればせながら返事させていただきました。
熟柿庵さま
ようこそおいでくださいました
過日は生意気な意見を申しまして 失礼しました
お褒め頂いてありがとうございます
在家の気安さから 勝手気ままに綴らせていただいてる場所です
宜しかったら どうぞまたお越しください
私も後ほどまた お邪魔させていただきます
「ところで近頃 世の中 ギスギスしてると思うんだがね
自分の事は棚に上げ 相手を少し責め過ぎやしねえか
悪いのは相手ばかりじゃない そうでしょ?」
この言葉 ドキューンときた
我が家では 私が まさしく …です
反省!でも なかなか 治らない(>_<)
あはは そーなんですか?
けどそんなものですよ
私だってそうですもん(笑)
つい 口やかましくなっちゃうんですよね
ただおうちの中では 「権利だ訴訟だ」などとはなかなかならないでしょうから
その点では救われますね
よけいにポンポン言っちゃいますけど(笑)
仏様の愛とは
人の過ちでさえも 悲しみ慈しんでくださるものです
私等にはなかなか無理っぽだけど
少しずつでも努力していきたいものです